第6話 王都の影と剣聖の帰還
◆王都の影と、剣聖の帰還◆
朝靄が森を包み、淡く光を揺らしていた。
その中を一人の男が歩む。背にマントを翻し、腰に名もなき黒刃を携え、まっすぐな足取りで、彼は進んでいた。
カール=キリト。かつては名門伯爵家の三男にして、学院首席の栄誉を持ち、将来を約束された男。そして今は、追放された者、だが同時に——魔獣王バルグロスを討ち滅ぼした《剣聖》である。
「……そろそろ、王都に戻る時だな」
誰に告げるでもなく、静かに呟く。だが、その声には鋼のような意志が宿っていた。
グレンディアの森での日々は、孤独と静謐の中で彼を鍛え上げた。魔物との戦いは容赦なく、血のにおいと死の気配が日常だった。だが、カールは生き延び、そして勝った。バルグロスの咆哮すら打ち砕いたその剣は、今や王都でも知らぬ者はいないほどの伝説と化しつつある。
だが彼が王都へ戻る理由は、名声のためではない。
アイテムボックスの中には、膨大な素材が収められていた。バルグロスの魔核、古代竜の鱗、精霊花の蜜、神鋼石……辺境ではただの宝の山も、王都ならば剣となり、城となり、軍勢すら築ける力と化す。
だが、それらすらも、カールの決意においては副次的なものに過ぎなかった。
真の理由——それは、“王都の噂”だった。
キリト伯爵。かつて彼を「恥」と呼び、書面一つで追放した実の父。その男が、今や政争に敗れ、没落の淵にあるという。領地の経済は傾き、忠誠を誓っていた家臣たちは次々と離反。爵位すら危ういと噂されていた。
そしてリリス=ヴァレンタイン。己の婚約者でありながら、貴族という肩書きのためにカールを切り捨てた女。彼女は、ダンガー子爵と共に貴族議会の新星と謳われ、今やその権勢は王家の耳にも届くほどだという。
「皮肉なもんだな……あれだけ見下していた俺に、今さら泣きつくか?」
そう呟く口元に、冷笑が浮かんだ。
復讐心はあった。リリスの侮辱、父の冷酷、貴族たちの嘲笑——全てを忘れたわけではない。
だが、今のカールにとって、それはもはや些末なことだった。
彼の視線はもっと先を見ていた。個人への憎しみなど、どうでもよかった。問題なのは、この世界の「構造」そのもの。
生まれによって運命が定められ、貴族が全てを支配する不条理な世界。
努力よりも血統が尊ばれ、才覚よりも家柄が評価される。そんな腐りきった社会に、彼はもう一度、踏み込む覚悟を決めた。
ただし今度は、貴族としてではない。孤高の《剣聖》として。
「この剣で、すべてを斬る」
それは権威でも、血統でも、偽りの栄光でもない。真に強い者、己の信念を貫く者が道を切り開く。そういう世界を作るための第一歩。
王都ルメリア——それは華やかさの裏に、権謀術数と陰謀が渦巻く都市。
その街で、剣聖はどのように立ち回るのか。
かつて自らを捨てた人々が、彼の前でどんな表情を浮かべるのか。
カール=キリトは、ただ淡々と、運命の街を目指す。
春の風が彼のマントを翻し、森の小道に光と影を落としていく。
――そして、剣聖の帰還は、王都に新たな嵐を呼び起こすことになる。
誰も、それを止めることはできない。