第29話 氷の魔女が探し続けた名――セリア=ノルドの想い
氷の魔女が探し続けた名――セリア=ノルドの想い
吹雪の中に生まれ、氷に育てられた少女――セリア=ノルド。
北方魔導国家ノルドに生まれながら、王家の血を引く存在として望まれぬ注目を集め、その瞳の冷たさから“氷の魔女”と呼ばれた。
彼女が初めて「カール=キリト」という名を聞いたのは、十三歳のときだった。
幼き頃、王都の片隅にある古文書庫で偶然見つけた、誰にも開かれぬはずの禁書。そこにはこう記されていた。
「アリシア=ノルド、消息不明。王族暗殺未遂事件との関連を疑われ、追放措置。生存不明。
魔法技術に秀でている」」
その時、セリアは己の心が奇妙に震えるのを感じた。
なぜか、その名に惹かれた。アリシアという名に。
まるで見知らぬ姉の影を追うように、セリアはその名を心に刻み込んだ。
彼女の家――ノルド王家と従兄妹の関係であったが、あの事件以来、すでに政治的にも力を失い、冷遇されていた。
だが祖父だけは、あるときこう呟いたのだ。
「アリシアは、北の氷に囚われる器ではなかった。
彼女が生きているのなら……その血が、世界を変えるかもしれん」
それが、彼女の探求の始まりだった。
やがてセリアは、氷の魔術と剣術の才能を開花させ、「氷の魔女」の異名を得る。
だが、冷たいまなざしと孤高の性格、そしてアリシアへの執着とも言える探求心は、周囲との溝を深めていった。
十六歳のある日、彼女は王城の中で極秘の文書を盗み見てしまう。
そこにはこうあった――
「アリシア=ノルド、生存の可能性あり。
南部リューゲン王国近郊にて目撃情報。
名:アリシア=キリト。貴族の使用人を経て、男子を出産した後、病没とされる。
子の名は――カール=キリト」
それは、封印されていた名だった。
彼女の心が、大きく揺れた。
――生きていた。
――そして、“子を遺した”。
アリシアという存在がただの過去の亡霊ではないと知った瞬間、セリアは全てを捨てる決意をした。
名誉も、家も、そしてノルドという国そのものさえも。
「私は……彼を、この目で見たい。カール=キリトに会ってみたい!」
「アリシア様が命を賭して託した存在。
その剣が、魔力が、歩みが、私に何を示すのか」
その想いは、もはや使命に近かった。
ただの王族の血を求めたわけではない。
ただの興味でもない。
セリアの中には、ずっと満たされぬ“問い”があった。
自分は何のために生まれたのか。
なぜこの力を持ち、なぜこの孤独を背負ってきたのか。
そして、なぜアリシアの名だけが、心にあたたかく響くのか。
答えが欲しかった。
それは、強さの理由を知るためでもあり――
自分の存在理由を探す旅でもあった。
そうして、セリア=ノルドは長き旅に出た。
雪原を越え、山を越え、南の王都へと。
幾度も命を狙われながら、彼女はただ“彼”を探し続けた。
そしてついに――
王都ギルドで、黒衣の剣聖の名を聞いた。
「カール=キリト。貴族を断罪し、剣ひとつで真実を貫いた男」
その名を耳にした瞬間、セリアの心は凍てついた湖のようにひび割れた。
それは――あまりにも、アリシアの歩みに似ていたから。
真実のために立ち、孤独を恐れず、信じる者を守るために戦う者。
彼女は、確信した。
彼こそが、アリシアの“遺した答え”だと。
だからこそ、あの時。
ギルドで初めて彼に声をかけたとき。
セリアは、自分でも驚くほど、心が震えていた。
「……あなたと共に、戦いたい」
「あなたの強さの理由を、この目で知りたい」
それは剣士としての興味であり、
魔導師としての本能であり――
少女としての、祈りにも似た願いだった。
アリシアという星を追っていた氷の魔女は、
今や、もうひとつの星に引き寄せられようとしていた。
その名は、カール=キリト。
アリシアの子。そして、セリアが探し続けた“答え”。
彼と交差したその瞬間、彼女の氷は、ほんのわずかに、音を立てて溶けた。




