第3話 キリト伯爵視点:冷酷なる断絶
キリト伯爵視点:冷酷なる断絶
静まり返った書斎の中で、私はペンを置いた。
それは一枚の追放状。法的効力を持ち、そして何より——父としての情を断ち切る宣告。
「……カール=キリト。貴様を、我が家の名より永久に追放する」
その言葉を口にした瞬間、胸に重く鈍い痛みが走った。
だが、それを表に出すわけにはいかない。貴族とは、感情で判断する生き物ではない。威厳と責務、それこそが我らの血に刻まれた使命だ。
目の前の青年——カールは、目を見開いたまま立ち尽くしている。
どこか、夢でも見ているような顔だった。だが、それは夢ではない。現実だ。厳然たる、現実だ。
「理由を……お聞かせ願えますか」
そう言ったとき、あの子の目は濁っていなかった。ただまっすぐに、私の本心を求めていた。
だが私は、その期待を容赦なく踏みにじる。
「名誉を汚した愚か者に、説明の義務はない。お前は我が家の恥だ。せめてもの情けとして、生きる自由だけは与えてやろう」
——そう言い切った時、自分の中に微かな後悔が芽生えた。
しかし、それもすぐにかき消す。私の選択が誤っていないと、自分に言い聞かせるように。
カールが生まれた日のことを、私は今も覚えている。
屋敷の裏手に仕えるただのメイドだった女が、私の子を身ごもったと知ったとき——私は狼狽した。
だが、不思議と憎めなかった。カールの母は愚かで純朴で、だが目にどこか知性を宿していた。彼女が命がけで産んだその子を、私は——当初、ただの義務として迎え入れた。
それでも、成長するカールは聡明だった。剣も学問も人並み以上で、何より、貴族らしい誇りを持とうとしていた。
だから、私は与えたのだ。名を。教育を。未来を。
だが——それが、間違いだったのかもしれない。
彼がリリス=ヴァレンタインと婚約したとき、私は少しだけ、誇らしかった。貴族社会に彼が溶け込む道が、ようやく開かれたのだと。
けれど、現実は残酷だった。
リリスの父は私に告げてきた。
——「あの子との縁談は破棄させていただきます。うちの娘が、あのような“混じりもの”に情を抱いたことが恥ですらある」
その言葉に、私は己の血が、またしても貴族としての誇りを汚したことを知った。
カールが努力してきたことも、私の目には見えていた。だが、どれだけ積み上げたところで、彼が“混じりもの”であるという事実は覆せない。
——この子に未来はない。
そう判断したのだ。情けではなく、現実を見た結果として。
「……すまないな、カール」
本当は、そう言いたかったのかもしれない。
だが、私は黙して語らなかった。
あの子は、何も言わず、ただ深く頭を下げた。涙はなかった。ただ、凍りついたように静かだった。
その背に、私がかつて見た“自分自身”の影が一瞬よぎった。
誇り高く、だが不器用で、感情を隠すことしかできない若き日の私。
——似てしまったのだ、この子は。皮肉なことに。
屋敷を去っていくあの背中を、私は窓から見ていた。
彼のマントが春風に揺れ、肩が微かに震えているのを見て、私はようやく安堵と後悔の入り混じった溜息をついた。
「……どうか、生き抜いてくれ」
口にしたその言葉は、誰にも届かない。
私は再び椅子に深く腰を沈めた。静寂だけが書斎に残り、あの少年の足音はもう聞こえない。
——これでいい。
そう、自分に言い聞かせながらも、胸の奥に宿ったひとしずくの痛みだけは、決して消えることはなかった。