第26話 ギルドマスターの視点 セリア=ノルド
ギルドマスターの視点
かつて、“氷の魔女”と呼ばれた少女が、現れた。
セリア=ノルド。
その名を聞いた瞬間、私は立ち止まり、手にしていた報告書を閉じた。
それは、戦場においても幾多の修羅場をくぐってきた私の背を、久々に冷たい風が撫でたような、そんな感覚だった。
ノルド家――かつて北方に栄えた魔導王家の末裔。その中でもセリアは、天才と謳われた魔導剣士。だが魔導国家での王族暗殺未遂事件の首謀者と目された父の粛清を皮切りに、彼女の名は闇に堕ちた。
真実を知る者など、ほとんどいない。記録は隠蔽され、口を開く者は姿を消し、残されたのは“心を失った少女”という冷たいレッテルだけだ。
だが、私は知っている。
あの事件の裏には、北方の魔導国家内の王都貴族の権力争いであったことを。
セリア=ノルドは、罪人ではない。
――彼女は、国に裏切られた“犠牲者”なのだ。
それでも、彼女は生き延びた。
家も名も、すべてを捨てて。
ただ剣と魔法の才だけを頼りに、闇に潜り、ギルドで名を成した。
そして今――
黒衣の剣聖、カール=キリトの前に現れた。
彼女が何を思い、なぜカールの元を訪れたのか。その動機を私は直接聞いたわけではない。だが、私は見ていた。
ギルドで、カールと対峙したあの瞬間――あの氷のような瞳が、ほんのわずかに揺れたのを。
人は、氷のように感情を凍らせて生き続けることはできない。
セリアはその限界に、気づきかけている。
いや、気づかせたのは、あの男――カール=キリトなのだろう。
彼はどこまでも不器用で、真っすぐで、だからこそ嘘がない。
過去を背負い、汚れ、憎しみにも似た執念を力に変えてきた男だ。
セリアにとって、カールは似ているのだ。
“信じたものに裏切られながら、それでも剣を捨てなかった者”として。
セリア=ノルドは、強い。
剣技、魔法、冷静な判断力。すべてが一流だ。
だが、それは“弱さを隠すための強さ”でもある。
心を開かず、誰にも頼らず、己の力だけを信じて戦い続けてきた少女にとって、誰かに「並び立つ」ということは、きっと想像すらできなかったのだろう。
だが、あの目――
ほんの一瞬でもカールに見せた、微かな微笑。
それは、少女の中に残っていた“人間としての熱”が、再び灯りはじめた証だ。
戦場において、最も脅威となるのは、“怒れる剣士”でも“狂気の魔導師”でもない。
本当に恐ろしいのは――
「心を取り戻した天才」だ。
もしセリア=ノルドが、過去と向き合い、心の鎧を解き、そのすべてを“意志”に変えたとき――
彼女は、真に無敵となる。
王都は、変わりつつある。
カール=キリトという“黒衣の逆転者”の登場で、腐敗が揺らぎ、民が声を上げ始めた。
そしてセリア=ノルド。
かつて凍てついたまま失われるはずだった少女が、再び歩み始めた。
ふたりの交差が、運命を変える。
それを誰よりも実感しているのは、きっと私だろう。
セリア。
おまえがその剣を、ようやく“誰かのために”振るおうとするならば――
私は、その背を押す者となろう。
過ちを繰り返さぬよう、ギルドマスターとして。
だからどうか、その氷の瞳に宿した熱を、消さないでくれ。
バルド=グランダス
王都ギルドマスター




