第二章完結 第143話 リーリアン旅立ちの時
『紅き別れ、銀の旅路』
「……もう、行くのか」
静かな朝の空気に、その言葉は少しだけ重く響いた。
フリーソウ侯爵領の城門前。
黒と紅の軍服を纏ったカデス=フリーソウは、娘の背中を見つめていた。
リーリアンは、いつものようにピンク色の髪を風になびかせていたが、その表情には少しだけ影が差している。
「うん。……でも、また来るよ。必ず」
リーリアンは父に向き直り、小さく笑った。
「一緒に暮らした時間は短かったけど……私は、あなたの娘でよかったって思ってる」
カデスはその言葉に、わずかに目を細める。
「魔王になる道を選ばず、旅を続けると……本当にそれでいいのか?」
「うん。今はまだ、カールたちと歩く旅を終わらせたくないの。あの人と、セリアと……そして、ルゥと。私の心がそう言ってる」
リーリアンの背には、六枚の紅い光翼ではなく、旅のマントだけが揺れていた。
でも、彼女の中にある“紅翼の誇り”は、確かに燃えている。
「……ならば、止めはせん。お前が選んだ道だ」
そう言ってカデスは、娘の頭に大きな手をそっと置いた。
「ただし──必ず、生きて帰れ。何があろうと、帰る場所はここにある。忘れるな」
「……うん」
リーリアンは涙をこらえながら、ぎゅっと父の手を握り返した。
◇ ◇ ◇
少し離れた場所では、カールとセリアが旅の準備をしていた。
「馬車は町外れで待機中。ルゥは……あ、ほら、あそこにいた」
「ほんとだ。パン屋さんの店先でおこぼれ狙ってるわね、あの子……」
二人が顔を見合わせ、くすっと笑う。
銀髪のカール=キリトは、その目に静かな決意を宿していた。
右手の甲に浮かぶウロボロスの紋章が、淡く光を放つ。
「フリューゲンまでの道は険しい。でも……俺たちなら、乗り越えられる」
「当然よ。私たち三人がそろってるんだもの」
セリア=ルゼリア=ノルド。
かつて氷の魔剣士と呼ばれ、今は白銀の聖女。
彼女の足元には、淡い魔法陣の残響がまだかすかに残っていた。
◇ ◇ ◇
「……待った?」
リーリアンが戻ってくると、カールとセリアは顔を上げた。
「いいえ。ちょうど今、ルゥも戻ってきたところよ」
「パンをくわえてる……まったく、食いしん坊なんだから」
「ワフン♪」
小さな白銀の子狼ルゥは、満足げに尻尾を振っている。
「じゃあ、行こうか。……私たちの旅の続きを」
「うん」
「任せて。絶対、あなたを守るから」
セリアが柔らかく微笑む。
リーリアンも頷いた。けれど、最後にもう一度だけ、門の向こうに立つ父の姿を振り返った。
カデスは何も言わず、ただ腕を組んで立っている。
けれどその眼差しは、どこまでも優しかった。
「──行ってきます」
リーリアンがつぶやくように告げると、三人と一匹は門を越えて歩き出す。
朝日が街に差し込み、彼らの背中を照らしていた。
◇ ◇ ◇
道中、丘の上から城を振り返ったとき──
「きっとまた来よう。……あの場所は、私にとって大切な場所だから」
リーリアンが静かに言った。
「うん。帰る場所があるって、強いよな」
「ふふっ、なら私も連れて行ってね。次はもっと静かに過ごしたいわ」
「その前にルゥがまたパン屋に突撃するかもだけど」
「ワフン!」
三人の声と、子狼の鳴き声が重なって、丘に響く。
それはどこか旅の始まりを思わせる、懐かしくて新しい音だった。
◇ ◇ ◇
やがて、街の景色が小さくなり、道は森へと続いていく。
鳥のさえずり、風の匂い。
木漏れ日が舞い、葉が揺れ、世界は再び冒険の舞台となった。
「さあ、フリューゲンへ。俺たちの場所へ──」
カールの言葉に、二人はうなずく。
「今度は……私が“帰る場所”になりたい。きっと、誰かにとって」
リーリアンの声は、少しだけ切なくて、でも確かに前を向いていた。
「だったら急ぎましょう。寄り道なんてしてられないわ」
「わかった、わかった。……ルゥ、ちゃんとついてこいよ?」
「ワフンっ!」
三人と一匹は、並んで歩いていく。
朝日が照らす森の道を、まっすぐに。
──その旅路の先に、どんな出会いと別れが待っていても。
彼らはもう、迷わない。
再び動き出す物語が、確かにここから始まっていた。
第二章完結




