第23話 セリア=ルゼリア=ノルドの記録
セリア=ルゼリア=ノルドの記録
セリア=ルゼリア=ノルドは、かつてノルド王国の未来を担う王妃候補として生を受けた。彼女は、王国屈指の名家であるルゼリア公爵家の令嬢にして、ノルド王家の血も引く存在だった。王国第一王子エリオット=ノルドの婚約者として名を知られ、将来は王妃の座が約束されていると、多くの者が疑わなかった。
幼い頃のセリアは、誰よりも無邪気で、そしてよく笑う少女だった。青空の下を駆け回り、城の花園ではしゃぐ姿は、まるで精霊のように人々の心を和ませた。とりわけエリオットとの仲睦まじい様子は、王族と公爵家の絆の象徴ともされた。
しかし、それは遠い昔の話。
王妃教育という名の教育が、少女から感情を奪っていった。
「笑ってはいけません、セリア様。微笑むだけで十分です」
「感情を見せる者は、民に侮られます」
「女王は冷静であるべき存在です」
教本の言葉、女官たちの指導、そして義務感。そうしたものに縛られ、セリアはしだいに笑わなくなった。感情を抑える訓練は日に日に厳しくなり、それに耐える彼女の表情からは、やがて喜怒哀楽という人間らしさが消えていった。
さらに不幸なことに、彼女にはエリオットの分の執務までが押しつけられていた。エリオットは王子としての職務に熱心とは言えず、遊びや学問にかまけ、政務に身を入れようとはしなかった。代わりに、セリアが日々、王国の帳簿に目を通し、諸侯との折衝に備え、魔法の理論を練り、国家の未来を想っていた。
その努力が認められたのか、セリアは魔法理論の構築において高い評価を得るようになった。宮廷魔術師たちさえ舌を巻くほどの才能。だが、そこに微笑みはなかった。淡々と語り、冷静に論を進める彼女の姿は、周囲に「冷たい」と誤解されるようになっていく。
しかし、優秀すぎる婚約者はエリオットにとっては、忌々しい存在になっていた。セリア様は優秀、それに比べて王子殿下は~そして、王子の劣等感から事件は起こった。
エリオット=ノルドが学園を卒業する年の春――
その日は、王であるユリウス五世が外交任務で長期不在にしていた特異な時期だった。
王不在の中、エリオットはひとつの「告発」を受け取る。
それは、セリアが学園内で、彼の親しくしていた元平民出身の男爵令嬢を「いじめている」という内容だった。まったくの虚偽。だが、あまりに都合の良いタイミングだった。
エリオットは、その令嬢と親しくなっていた。心が通い合っていると思っていた。セリアにはない柔らかさ、気安さ、そして感情を見せる人間らしさに、エリオットは惹かれていった。そこに「セリアが彼女を虐げている」という話が入れば――あとは簡単だった。
公の場で、彼は宣言した。
「私は、セリア=ルゼリア=ノルドとの婚約を破棄する」
「理由は、彼女が私の大切な人を貶めたからだ」
証拠も、証人もなかった。ただ王子の言葉というだけで、それは真実とされた。
セリアはその場で反論せず、ただ静かに一礼したのみであった。
それすらも、「罪の自覚があるからだ」と受け取られた。
だが、それはほんの序章にすぎなかった。
婚約破棄の衝撃が広がる中、突如としてルゼリア公爵家に対し「謀反の疑い」がかけられる。王都での騒動と混乱の最中、「国家転覆を図る魔法理論を構築していた」とまで言われ始め、あろうことか、それを裏付けるかのような捏造文書までが流出する。
父であるルゼリア公は、審問のために王宮に召喚された翌日、不慮の事故とされる火災で邸宅もろとも命を落とした。
母は「病を理由に自刃」、弟妹は「行方不明」――すべてが、仕組まれていた。
一族全体が、王国から消された。
それは粛清とも呼べる所業だった。だが、それを「謀反者を断った正義の剣」として称える者も多かった。王都はその噂で騒然となり、人々はセリアの名を語るたび、怯えと軽蔑を混ぜた視線を向けた。
セリア本人は、裁判すら与えられなかった。
彼女の処刑は、王命として静かに執り行われようとしていた。
ただの政治処理のように、ただの記録の一行として。
しかし、セリアは脱走できた。それはセリアに恋心を抱いていた第二王子の手の者によって。
そのとき、王であるユリウス五世はまだ外交先にあった。
そして帰還したときには、すでにすべてが終わっていた。
彼は、悲しい表情を浮かべて呟いた。
「……弟を殺したお前に、ユリウスの名を継がせることはできない、エリオット」
王位継承の流れは、第二王子のアルフレッドへと変わり、エリオットは罪を犯した王族が収監される魔塔へと。そして、毒盃を飲まされ、秘密裏に処理された。また、世間には、エリオットは病気のため、静養中とし、のちに時期をみて病死として発表された。同じく男爵冷蔵の一族もこの世から消された。
こうして、セリア=ルゼリア=ノルドという少女の名は、王国の正史からもほとんど抹消されることとなる。
彼女の作り上げた魔法理論も、論文も、多くが禁書指定を受け、王国図書館の地下に封印された。
けれど――
誰かが言った。
「セリア様は死んでなどいない」
「彼女は、風に還っただけだ」
いまもなお、王国の空を吹き抜ける風の中に、彼女の意思が宿っていると信じる者たちが、ほんのわずかに、いる。
そしていつか、その風が嵐となり、真実を暴く日が来ることを――
彼らは、ただ静かに待ち続けているのだった。




