第20.6話 ◆リリス視点:あの人への手紙◆
◆リリス視点:あの人への手紙◆
執務机の上に、封筒と便箋が置かれている。
ヴァレンタイン家の紋章入り──けれど、私がこの紙を使うのは、ずいぶん久しぶりだった。
手が震えている。
けれど、これは必要なこと。誇りを捨てろと言われたからには、それなりの覚悟を見せなくては。何より、このままでは本当に“誰からも選ばれない人生”が待っている。
──嫌だった。
侯爵夫人になる夢が、あの夜を境に崩れ去ったことは、確かに悔しい。
でも、だからと言ってこのまま終わるなんて、私が私である意味がなくなる。
そう、たしかにカールは一度“切ったカード”。でも、見方を変えれば──あの時より今の方が、ずっと“使える”じゃない?
(剣聖、王命、側近候補……悪くないわ。顔は昔から悪くなかったし、今の立ち位置なら、下手な貴族より将来性はある。あれほど私を想ってくれたのだから……“やり直してあげる”と言えば、きっと飛びついてくるはず)
私は舌打ちしたくなる思いを抑えながら、便箋にペンを取る。
拝啓 カール=キリト殿
突然のお便りを差し上げる非礼をお許しください。
私、リリス=ヴァレンタインは、貴方に深い謝意と、改めてお話ししたい旨をお伝えしたく筆を執った次第です。
あの夜、舞踏会において貴方が見せたご覚悟と、ご誠実な振る舞いに、心よりの敬意を抱きました。
かつて私が至らなかったこと、今は痛いほど理解しております。
貴方がどれほどの才を秘めていたのか、どれほどの想いを捧げてくれていたのか。
今になって、それがようやく分かりました。
──遅すぎた理解であることも、百も承知です。
けれど、どうかもう一度、お話する機会をいただけませんでしょうか。
お断りいただいても構いません。ですが、私の言葉を一度だけでもお耳に入れていただけたなら……。
ご多忙のところ恐れ入りますが、差し支えなければ、貴方の滞在先にて、短くともお時間をいただければ幸いに存じます。
敬具
リリス=ヴァレンタイン
──ふう、と息をついた。
どうにか形にはなったけれど、正直、書いていて気が滅入った。こんな風にへりくだった言葉を並べる自分なんて、かつての私では考えられない。
でも、背に腹は代えられない。
それに、考えてみれば──“悪くない選択肢”なのよ、カールは。
銀髪に整った顔立ち、昔はあの素朴さが田舎臭く見えたけど、今となってはむしろ“硬派な魅力”に変わってる。制服も黒で統一されて、無口なところも“騎士らしい”って王都の令嬢たちが騒いでいたっけ。
何より、陛下の側近候補なんて──王族に近づくための最短ルートじゃない。私がまた“表舞台”に戻るためにも、カールとの復縁は、むしろ得策……。
(あの男にここまでのし上がらせたのは、私のおかげでもあるのよ? リリス様と釣り合わないって言われて、必死に努力したんでしょう? だったら──少しくらい感謝してくれてもいいはず)
そんな自分の思考に、少しだけ苦笑した。
“見下していた”──確かに、父の言う通りだったかもしれない。でも、今はもう違う。ちゃんと見て、見極めて、判断してる。
これは、私の“再起”のための一手。
ペンを置き、封筒に手紙を入れ、蝋を垂らして封をする。
立ち上がって、召使を呼んだ。
「この手紙を、至急カール=キリト殿の宿泊先へ届けてちょうだい。礼を尽くしてね。乱暴に扱ったら、ただじゃ済まさないわよ」
メイドは少しだけ目を見開いたが、すぐに「かしこまりました」と頭を下げて部屋を出ていく。
扉が閉まる音がした後、私は机に肘をつき、頬杖をついた。
──届いたら、彼はどう思うかしら。
“あのリリス様から手紙が来た”と知ったら、喜んで舞い上がるんじゃない?
貴族令嬢に冷たくされ、傷ついて、努力して、ようやく今の地位を得た男──そういうタイプは、過去の想い人にまだ未練を残しているものよ。
だったら、その未練を利用しない手はない。
「……侯爵夫人にはなれなかったけれど、剣聖の奥方……それも悪くない選択肢ね」
口元が自然に綻ぶ。
──カール。あなたの返事、楽しみにしているわ。




