第91話 剣聖たちの散策
街の鼓動と、剣聖たちの一日目
朝霧が晴れたヴァークルの街は、まるで冒険者を歓迎するかのように陽光を受け、石畳に柔らかな光を投げかけていた。
城門を抜けたカールたちは、ゆっくりと馬車を進めながら街の中心部へと向かっていた。
「うわぁ……! 本当に活気がある街ね」
隣の席で、銀髪をふわりと揺らすセリアが感嘆の声をあげる。純白のフードを少しだけ外し、その蒼銀の瞳で街の風景を見つめている。かつて氷の魔女と呼ばれた彼女の姿は、今やまさに“白銀の聖女”の名にふさわしく、通りすがる市民たちもちらちらと視線を送っていた。
「武術大会が近いからな。このにぎわいも当然か」
カールは軽く首を傾けながら、通りの先を見やった。右手の甲では、ウロボロスの契約紋が淡く光を帯びている。陽の光を反射して、まるで何かを警告するように――あるいは、何かを待ち望むように。
「おおお! 見てカール! あの串焼き屋台、あれ絶対美味しいやつだよ!」
元気いっぱいに声をあげたのは、紅翼の魔族・リーリアンだった。ピンク色の髪に角をゆらし、キラキラと瞳を輝かせて馬車の窓から身を乗り出す。彼女の背には紅い光翼がないが、それでも周囲の空気は彼女の魔力に敏感に反応していた。
「いくらなんでも朝から肉は早くない?」
セリアが小さく笑うと、リーリアンはむくれて唇を尖らせた。
「じゃあお昼! お昼には絶対食べようね、カール!」
「……わかった」
苦笑を浮かべるカールに、リーリアンは満面の笑みを返す。
「ん、におい、いいにおいするなー」
と、窓辺から顔を出したのは、一匹のもふもふな子犬――フェンリルの子、ルゥだった。毛並みのよい灰色の体を揺らしながら、ルゥは人間の言葉でぺらぺらと話す。
「カール、肉まん買ってくれ。あれ、うまそうだった」
「……朝から食べる話ばかりだな、うちのパーティは」
カールは思わず肩をすくめる。
だが、それも悪くない――そう思えるのが、今の彼の心の穏やかさの証だった。
馬車を停めたのは、街の中央広場の近く。そこは噴水を中心に、露店や大道芸人が集まり、多くの観光客や出場者たちでごった返していた。
「では、少し別行動を取りましょうか。あとで集まるとして」
セリアが提案すると、皆も頷く。ルゥを抱えたカールは、少しだけ口元を緩めた。
「それぞれ好きに回って、昼にまた集合、でいいな?」
「やったー! じゃあ私は市場通りいってくるー!」
「わたくしは……魔具の店を見たいですね。古い術式の研究が進んでいるはずです」
そう言ってセリアも、静かに足を進めていく。彼女の足元には、気づかぬうちに淡い魔法陣の残光が揺れていた。
「じゃあな、カール! 昼にはまた会おうぜ!」
リーリアンはくるりと踵を返すと、ピンクの髪を揺らしながら通りの奥へと消えていった。
カールとルゥは、ゆっくりと中央広場を歩く。音楽隊が軽快な調べを奏で、子どもたちが追いかけっこをして笑っていた。
「なんか……こういう空気、久しぶりだな」
「カールも笑っていいんだぞ? 祭りはたのしむものだろう」
ルゥがちょこんと肩に飛び乗りながら言う。
「お前、いつの間にそんなに人間臭くなったんだ」
「せかいに出れば、ことばも覚えるさー」
ルゥがしっぽをふりふりさせながら目を細める姿に、カールはほんの少し、頬を緩めた。
セリアは、教会通りと呼ばれる静かな区域に足を踏み入れていた。修道士たちが祈りを捧げる傍ら、白い花が咲き誇る庭園がある。
彼女はその中心で、そっと手を組んだ。
(……カール。あなたに守られてばかりではなく、私も守れるように)
そう心の中で祈りを捧げると、足元に淡い六芒星の光が浮かび上がる。**白銀の守護術**が、呼応するように穏やかな波動を放っていた。
一方、リーリアンは市場通りの真ん中で、魔道具職人の老爺と真剣に話し込んでいた。
「これって……血液を触媒に魔法を起動させる道具?」
「そうじゃ。古代の“契印式”と呼ばれたものの再現品よ」
「へぇ、これなら《契血の矢ブラッド・ピアース》との併用もできそう!」
目を輝かせる彼女の手には、薄紅色の魔法陣が淡く浮かんでいた。彼女の契約紋もまた、知らず知らずに紅く光を放っている。
(あいつと出会ってから、私……変わったな)
心の中で、カールを思い浮かべる。少しだけ照れくさくなって、リーリアンは顔を赤らめながら、別の店へと歩き出した。
昼――。
再び広場に集まった四人と一匹は、買ってきた食べ物を手にしていた。
「セリア、これ。教会通りの前で売ってたハーブクッキー」
「ありがとう、カール……」
「カール、これ串焼きな! タレ味と塩味、両方ゲットしたよっ」
「ルゥ、肉まんも買ったけど……もう食べたのか?」
「うん、三つ食べた。うまかった」
呆れたように笑い合う一行の姿に、通りすがりの人々が思わず目を止めていた。
銀髪の剣聖と、聖女と、魔族の令嬢――そして、言葉を話す子犬。
その姿は、まるで絵本から抜け出したかのように、幻想的で、それでいてどこか温かかった。
陽はゆっくりと傾き始め、街の灯がひとつ、またひとつと灯される。
そして――
「3日後から大会が始まる」
カールの言葉に、皆の表情が引き締まる。
この街に流れる平和な空気。その裏で、何が待ち受けているのか。まだ誰にもわからない。
けれど、彼らは信じていた。
この絆が、必ず彼らを勝利へ導くと。
そして――その先にある未来へと、歩んでいくのだと。




