第83話 フリーソウ侯爵――カデス=フリーソウとの面談
紅翼の帰還 ―父と娘の対面―(滞在編)
「……フリーソウ侯爵、ただいま戻りました」
重い扉が開き、紅い髪の娘が一歩を踏み出した。
玉座の間。高くそびえる天蓋の下で、侯爵カデス=フリーソウが静かに目を細める。
「……戻ったか、リーリアン」
「はい、父上。……いえ、“侯爵閣下”」
「ふむ……お前がそう呼ぶとはな。成長した証か?」
「お許しがいただけるなら……ただの“父”と呼ばせてください」
しばしの沈黙ののち、カデスは立ち上がり、ゆっくりと玉座を降りた。
「ならば――ようやく言える。“おかえり、リーリアン”」
「……ただいま戻りました、お父様」
紅翼の娘と、紅翼の父が再び向かい合う。
その後ろで、カール=キリトとセリア=ルゼリア=ノルドが静かに一礼した。
謁見の間を出た四人は、執務室へと案内された。
「落ち着いて話すのは、こちらの方がいいだろう」
カデスは椅子に腰を下ろすと、机上の封筒を手に取った。
「これは……魔王陛下直々の書状だ。形式的なものだがな」
リーリアンが目を通す。内容は、彼女の名誉回復と大会参加の許可。だが――
「……今さら、ですね」
セリアが冷たい声で呟く。
「ええ。でも……受け取ります。私の足でここに来たのですから」
リーリアンは微笑んで、手紙を胸にしまった。
「お前の判断を尊重する。だが……すぐに発とうとは言わん」
カデスは窓の外を見やりながら続ける。
「今夜は屋敷に泊まっていけ。久しぶりの帰郷だろう。話すべきことも、あるはずだ」
「ありがとうございます、お父様」
リーリアンは素直に頭を下げた。久方ぶりの“娘”としての仕草だった。
夜――
食堂には静かな光が灯り、侯爵家の私的な晩餐が用意された。
「……セリア嬢は、フリューゲンのご令嬢で?」
「いえ、元はノルド王国の貴族でしたが、今は聖女として活動しています」
「ふむ。貴族の娘にして、大会にでるのか。……気骨がある」
「ありがとうございます」
セリアは淡々と答え、向かいに座るカールに視線を送った。
「それにしても、そちらの若者――お前が、カール=キリトだな?」
「はい。剣聖として、リーリアンと共に戦っています」
「“共に戦う”だけではない。……どうやら、婚約者でもあるそうだな?」
一瞬、場の空気が張り詰めた。
「はい。その通りです」
カールは静かに、だが確固たる意志で応えた。
「彼女の選んだ人です。父として、認めていただけるなら光栄です」
「認めるも何も……」
カデスはワインを一口啜ると、ふっと口元を緩めた。
「……娘が選んだ男だ。ならば、私が口を出す筋ではない」
「お父様……」
「ただし――娘を泣かせたら、貴様の首を落とす。いいな?」
「全力で守ります」
その瞬間、静まり返っていた場がふっと和んだ。
「ふふっ、そういうところ、変わらないわね」
「……セリア、笑いすぎだ」
その晩、リーリアンは幼い頃の部屋で眠った。
紅いカーテン、古びた机、棚の片隅に残る絵本たち。
「……ただいま」
そう呟いたとき、扉の向こうから声が聞こえた。
「入ってもいいか?」
「……お父様? はい、どうぞ」
カデスが入ってくる。手には、小さな木箱。
「お前が生まれたときの髪の房だ。……今でも、取ってある」
「……そんなものまで」
リーリアンは受け取った木箱を撫でた。
「この家に帰ってくる日が……本当に来るなんて、夢みたいです」
「帰ってきて、よかったのか?」
「はい。だって……私はここで“私”に戻れた。父に、また会えたから」
「……そうか。なら、私ももう悔いはない」
ふたりの沈黙は、やさしい光に包まれていた。
翌朝――
廊下に響く軽快な足音。使用人たちが軽く頭を下げて通り過ぎる中、カールとセリアは応接間で支度を整えていた。
「よく眠れたか?」
「ええ。まさか、侯爵家で目覚めの紅茶が出るとは思わなかったわ」
「……セリア、貴族出身だろう」
「そうだけど、今は庶民派なの」
ふと、扉が開いた。
「おはようございます」
リーリアンが入ってくる。白いワンピースに、紅いリボンを胸に結んでいた。
「今日の出発は昼頃を予定しています。父から、森の情報を預かりました」
「街道には罠が仕掛けられてるって話だな?」
「はい。大会の関係者を狙ったものかと。だからこそ、グレイドリリーフの森を通るルートが推奨されました」
カールは静かに頷く。
「“安全な道”が一番危険だ。逆に“獣道”のほうが、生き残る」
「……旅は試練でもあります。だから私は、怖くない」
リーリアンの言葉に、セリアが微笑んだ。
「頼もしいわね、ほんと。あとは……あの方に挨拶を」
出発前――再び執務室。
カデスは、娘とその仲間たちを見つめていた。
「道中、用心しろ。大会期間中の出場予定者に……安全な場所は少ない」
「はい。肝に銘じます」
「それから――」
彼は小さな封筒をリーリアンに差し出す。
「これは、私からの“預けもの”だ。必要なときに開け」
「わかりました」
「……お前たちの旅路が、未来につながることを願う」
その言葉を最後に、三人はフリーソウ侯爵家を後にする。
その背中を見送る侯爵の目には、誇りと静かな祈りが宿っていた。
――紅翼は、再び空を舞い始めた。




