第80話 《約束の青花》──ティエンの視点から
《約束の青花》──ティエンの視点から
瘴気の谷での戦いから一夜が明けた朝、診療所の前で、僕はじっと立っていた。
落ち着かない胸のうち。妹の小さな手は、まだ熱く、呼吸は浅かった。あの《青花の葉》さえ手に入れば、命はつながる。そう薬師は言った。でも――本当に見つけられるのか。不安に胸が締めつけられる。
そこへ、村の通りの向こうから現れたのは、あの銀髪の剣士カールとその仲間たち。そして、その中にいた……リーレンの姿を見つけた瞬間、僕の心臓は跳ねた。
「リ、リーレン……! まさか、本当に……!」
僕の声は震えていた。返ってきたのは、まっすぐな瞳と、力強く差し出される袋――
「はいっ! ちゃんと採ってきたよ、《青花の葉》……!」
その言葉が、僕の世界を変えた。
「ありがとう……っ! 本当に、ありがとう……っ!」
涙が止まらなかった。情けないほどに、ただ泣いた。妹が助かる、それだけで、こんなにも胸が満ちるなんて――
◇ ◇ ◇
薬師が急いで煎じ薬を作り、妹に飲ませた。その間、僕もリーレンたちも、診療所の外で祈るように待ち続けた。
やがて、薬師の声が響いた。
「熱が下がってきたぞ! 呼吸も安定してきている!」
歓声が上がった。僕は膝から崩れ落ちそうになりながら、ただただ感謝した。
そしてリーレンに向き直り、深く頭を下げる。
「おかげで妹は……いや、村の子たちみんなが助かりました。ありがとう、本当に……!」
彼女は照れたように笑って、仲間たちに視線を送った。
「でも、カールたちがいなかったら無理だった。わたし一人じゃ、きっと逃げることしかできなかったから……」
でもそのあとに続いた言葉に、僕の胸が熱くなった。
「でもね、戦ってるとき、わかったんだ。怖いけど、誰かのために動くのって、すごく……すごく強いんだって」
ああ、リーレンは本当に強い。見た目も、声も、最初は小さくて、どこか心配になる子だったのに――今は違う。ちゃんと、誰かを守れる強さを手にしている。
◇ ◇ ◇
その夜。村では、小さな祝宴が開かれた。
狭い広場にはテーブルが並び、果物や香辛料のきいた料理、ほんの少しの酒。村の人たちは、魔族も獣人も、人間も入り混じって笑い合っていた。
僕は、リーレンの隣の席を取っていた。どうしても、言いたいことがあったから。
彼女は、仲間たちと楽しそうに笑っていた。その笑顔が、ふとこぼれた瞬間、意を決して声をかけた。
「リーレン。僕……きみにもう一度、ありがとうって言いたい」
彼女がこちらを向く。その目が、少し驚いている。
「……うん」
「それと、お願いがある。これから、僕のそばにいてくれないか?」
言ってしまってから、胸がどくんと大きく跳ねた。周囲が静まり返るのがわかった。けれど、伝えたかった。僕の本心を、まっすぐに。
「違うよ、変な意味じゃない。ただ、きみみたいに強くて優しい人が、この村にいてくれたら……僕は、すごく心強いんだ。妹を守るためにも、村を守るためにも」
リーレンは黙って、目を伏せていた。でも、すぐに顔を上げて、仲間たちを見つめた。
そのとき、少しだけ、彼女が遠くに見えた。旅人としての彼女。剣士カールや、その仲間たちと歩んできた日々が、きっとかけがえのないものだったんだろう。
「……わたし、思ってたの。ずっと、あなたたちと旅を続けたかった。いろんな世界を見てみたかった。でも……」
そして、僕のほうを見つめ返してくれた。
「……ここに、わたしを必要としてくれる人がいる。わたしがいて、守れる場所があるなら、わたし……」
風が吹いた。村の空気を撫でるように。静かで、でもどこか誇らしい風だった。
「――わたし、この村に残る」
その瞬間、胸が熱くてたまらなかった。
◇ ◇ ◇
祝宴のあとは、彼女の仲間たちと静かに別れの時間が近づいていた。
カールたちは宿に戻ると言って去っていった。あの銀髪の剣士――カール=キリトは、最後にリーレンの肩を軽く叩いて、微笑んだ。
「元気でな。俺たちは、またどこかで会える」
セリアという優しげな女性も、リーリアンという魔族の女性も、あたたかなまなざしでリーレンを見つめていた。
リーレンは少し泣きそうな顔をしていたけれど、最後には笑っていた。そんな彼女の姿を見ながら、僕は決意する。
(この村を、今度は僕が守る。リーレンの隣で。今度は僕の番だ)
◇ ◇ ◇
その夜、焚き火のそばで、リーレンは僕に言った。
「ねぇ、ティエン。わたし、戦いって、ただ剣を振るうことじゃないんだって、ようやくわかった気がする」
「うん?」
「誰かを想うこと。守りたいって思うこと。そういう気持ちがあるから、力になるんだって」
僕はただ、うなずいた。
「だから、ここにいる。ここが、わたしの戦場だって、そう思えたから」
焚き火の灯りに照らされた彼女の横顔は、少し大人びて見えた。
きっと、これが――約束の夜。
《青花の葉》が命をつないだように、彼女の選択が、未来をつないでいく。
僕はこの夜のことを、きっと一生忘れない。
リーレンが、村に残ってくれたことを。
リーレンが、僕のそばにいてくれることを。
そして、彼女とともに守るべき“今”が、ここにあることを。




