第75話 リーレンの決心
森を出る日 ―リーレンの旅立ち―
朝霧が森の隅々に立ちこめ、木々の葉先に光の粒が宿る。エルフの村は静けさに包まれ、鳥たちのさえずりだけが穏やかに響いていた。
カールたちは、そろそろ次の目的地へ向かう準備を始めていた。
「よし、これで荷は整ったな」
「ティリエ様にはもう挨拶を済ませたわ。最後にリーレンを探しましょう」
セリアの言葉にうなずきながら、カールはふと昨日の夜を思い返していた。
森の祝福と、リーレンの願い。あの強い瞳を、忘れられない。
──私はいつか、森と外の世界を繋ぐ橋になりたい。
その言葉が、ずっと胸に残っていた。
そのとき、村の外れ、星の丘へと続く小道から風に乗って聞き覚えのある声が届いた。
「……やっぱり、あそこか」
カールは静かに歩き出した。
◆ ◆ ◆
星の丘。森を一望できるその高台に、リーレンは座っていた。柔らかな風が耳と尻尾を揺らし、空を見上げている。
「ここにいたんだな」
「カール……来てくれたんだ」
振り返ったリーレンの瞳には、迷いと決意が混じっていた。
「ここ、私のお気に入りの場所なの。小さい頃からずっとここで、星や森を眺めてた」
カールは黙って隣に座る。しばし風の音だけが二人を包んだ。
やがてリーレンが、小さく息を吐いた。
「ねえ、カール……私、決めたの。外の世界へ行くって」
「……そうか」
「昨日の祝福の夜……本当に嬉しかった。私、ずっと村と森を守ることしか考えてなかったけど……でも、カールたちと出会って気づいたの。森を守るだけじゃ、何も変わらないって」
「変わらない、か」
「うん。この森の優しさを、外の世界にも伝えたい。でも、それには私自身が一歩外へ出て……たくさんのことを知らなくちゃ」
リーレンの言葉には、いつになく強い芯があった。臆病だった彼女が、自分で道を選んで語る姿に、カールは胸が熱くなった。
「……正直、こわいよ。森の外には、争いも、嘘も、傷つくことも、たくさんあるって聞いてる。でも、それでも――」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「それでも、見たいの。知りたいの。カールやセリア、リーリアンが話してくれた世界を。自分の足で、ちゃんと確かめたい」
「……立派になったな、リーレン」
「え?」
「最初に会ったときは、盗賊に捕まって泣いてたのにさ。今は自分で未来を選ぼうとしてる。……あんた、すごいよ」
「な、なにそれ、変な言い方しないでよっ」
照れ隠しのように尻尾をばたつかせるリーレンを見て、カールは笑った。
「だったら一緒に行こう。俺たちの旅は、まだ途中だ」
「え……いいの?」
「当たり前だろ。今さら“ここでお別れ”なんて言わせない。リーレンはもう仲間だ。家族みたいなもんさ」
その言葉に、リーレンの瞳が潤む。
「うんっ……ありがとう、カール。私、頑張るね。絶対、立派な“橋”になるから……!」
◆ ◆ ◆
数時間後。
村の中央広場に、カールたちと、旅装を整えたリーレンの姿があった。
リーレンの服装は森の軽装から、外の風に耐えられる厚めの旅装へと変わっていた。背には小さな荷物。腰にはティリエから贈られた短剣が輝いている。
エルフたちが彼女を囲むように見送っていた。
「リーレン……どうか健やかに、真っすぐに歩みなさい」
ティリエの言葉に、リーレンは深く頭を下げた。
「はい、必ず戻ってきます。この森に、誇れる自分になって」
その瞳には、迷いはもうなかった。
「それじゃ、出発しようか」
カールが声をかけると、リーレンは元気よく頷いた。
「うんっ!」
森を背に、獣道を抜け、外の世界へ――リーレンの新たな旅が始まった。
◆ ◆ ◆
出発から少し歩いた先。
カールたちはふと立ち止まり、振り返った。
風にそよぐ葉音が、まるで見送ってくれているようだった。
「リーレン、聞こえるか? 森がまた“歌って”るよ」
「うん……きっと応援してくれてる。だから――」
リーレンは振り返らず、前を向いて言った。
「さあ、行こう! 森の外には、きっとすごい世界が待ってる!」
◆ ◆ ◆
こうして、少女は森を出た。
“守られる場所”から、“守るために歩む道”へ。
その背中に、柔らかな光が差していた。
――世界を繋ぐ橋になる。その願いを胸に。




