第20話 獄中記――ダンガー子爵の独白。そして、次の悲劇へ
◆獄中記――ダンガー子爵の独白◆
湿った空気が、鼻につく。
粗末な藁の上に横たわりながら、私は天井のひび割れを見つめていた。
かつては絹の寝台で眠り、銀の盃で酒を飲み、誰もが私の機嫌を伺っていたというのに――。
今では、鉄格子の中で、朝夕の粥にすら虫が浮かんでいる。
笑える話だ。
だが、なぜだろう。笑いは一度も、喉の奥から出てこなかった。
時間だけが、ただ過ぎていく。
何もすることがないから、思考ばかりが深くなる。
そして――私は、過去を、否応なく“思い出す”。
◇
私は生まれながらにして「選ばれた者」だった。
名門ダンガー家の嫡男として、何不自由のない暮らしを約束されていた。
家は爵位を持ち、父は王国の財務を担う有力貴族。
使用人も召使いも、皆が私に跪き、私の一言で令嬢たちは微笑んだ。
学園に通えば、劣等生を見下し、優等生を金で買収し、教師さえも私に逆らえなかった。
それが当然だった。私の“世界”では、それが常識だったのだ。
……その中に、カール=キリトもいた。
名ばかりの貴族、三男坊。
力も権威もない。魔力適性も低く、剣の腕も並。
そんな彼が、リリスの婚約者? 冗談ではない。
私はリリスを“持ち物”だと思っていた。
美貌と家柄を兼ね備え、将来は私の後宮の一つにでも、と。
そのためには、多少の芝居も必要だった。彼女に同情を与え、耳元でカールの無能を囁き……彼女は簡単に揺れた。
そして、私は彼女と共に、学園の卒業式でカールを侮辱した。
愉快だった。爽快だった。
あの時の、彼の苦しむ顔。令嬢たちが失笑する中で、立ち尽くすあの姿。
それは、権力の快感を私に教えてくれた。
……だが、それが“転落の始まり”だったのかもしれない。
◇
牢獄の夜は長い。
星も見えず、音もない。
ただ、冷たい石の壁に囲まれて、思い出だけが蠢いている。
私は、あのあとも幾人もの令嬢に声をかけた。
家柄を見て、金をちらつかせて、望みを満たした。
だがそれが、詐欺と呼ばれ、背任と糾弾されるとは思ってもいなかった。
まさか、あの時の“無能”が、全てを暴いてくるとは。
王の命を受け、宰相に推挙され、そして舞踏会の場で私の罪を突きつけたあの瞬間――
私の“玉座”は、跡形もなく崩れた。
……あれがカールだったとは。
私が踏みにじった存在が、私を断罪する者となった。
皮肉だ。
いや、もはやこれは、運命の報いなのだろう。
◇
牢の隅に置かれた壊れかけの椅子に座りながら、私は一枚の紙切れを取り出す。
それは、かつてリリスから贈られた、たった一度の手紙だった。
「ダンガー様、カール様との関係、どうか内密に願います。彼は傷つきやすい人です。」
あの頃の彼女は、まだ、迷っていたのだろう。
だが、私の甘言が勝った。そして、彼女も私と同じように――“落ちた”。
リリスは今、どうしているのだろうか。
家は没落し、令嬢の立場も失った。
……だが、それでも、彼女の涙だけが、今でも脳裏に焼きついている。
“お願い……やり直せない……? わたし、まだ……あなたのことを……!”
あの声は、誰に向けていたのだろう。
私か? それとも――
いや、分かっている。
あの時点で、彼女の心はもう、カールにも届かず、私にも戻ってこなかった。
◇
誰も面会には来ない。
父は病に伏せ、母は遠縁の地に逃れた。
財産は差し押さえられ、家名は断絶。
かつて私を称えた者たちは、今や私の名を口にすることすら憚る。
……孤独だ。
こんなに静かな夜が、これほどまでに堪えるとは思わなかった。
いや、“静かすぎる”のだ。
私の人生には、もう未来がない。
このまま裁かれ、名もなき罪人として処刑されるのだろう。
だが、せめて――
最後に書き記しておく。これが、私の“懺悔”だ。
カール=キリトよ。
お前を愚かと笑ったあの日の私を、どうか許すな。
お前が剣を取り、誇りを貫いた姿を、私は一生、忘れることはない。
……これは、敗者の記録だ。
そして、誇りを失った者が、自らに下す最後の“裁き”でもある。
◇ ◇
その少し前の時間、フリューゲン王国の北のノルド王国で事件があった。
「セリア=ノルド、お前との婚約を破棄する!」
公爵令嬢を睨みつける第一王子の目は怒りに燃えていた。まさか、この悲劇がカール=キルトと深く関わっているとは、誰も想像していなかっただろう!




