第72話 エルフの隠れ里リュミエルの泉村のティリエの依頼
星の丘の誓い ―森に棲まう影―
リーレンに導かれ、カールたちは〈グレイリーフの森〉の奥深くへと足を踏み入れていた。やがて、森の空気がわずかに変わる。
澄んだ空気に、どこか懐かしさと、霊的な静けさが混ざっていた。
「……空気が澄んできたわね。これは精霊の加護?」
セリアが呟いたその先、茂みを抜けると、まるで隠し絵のように静かに存在していた。
それが、エルフの隠れ里――〈リュミエルの泉村〉だった。
透明な湖面に浮かぶように家々が建ち、白木の橋が小島のような地形を結んでいる。家の屋根は苔と花で覆われ、枝葉が自然と共に形を成すように作られていた。どこか幻想的で、それでいて調和のとれた美しさ。
「すごい……こんな場所が、森の中に……」
リーリアンも思わず目を丸くする。ルゥも「わぁ……お花がふわふわしてる……!」と跳ねていた。
そのとき、村の奥から数人のエルフが現れた。長い耳に淡い緑の衣、手には弓や杖を持っているが、警戒というよりは静かに見定めているような目つきだ。
「リーレン……無事だったのね!」
その中の一人が駆け寄ってきた。エルフの女性――年若く見えるが、精霊族の見た目はあてにならない。
「ティリエお姉ちゃん!」
リーレンが駆け寄り、女性に抱きつく。ティリエは優しく少女の背を撫で、カールたちに向き直る。
「旅の方々、ありがとうございます。リーレンを助けてくれたと聞きました。私はこの村の巫女・ティリエと申します」
カールは礼儀正しく一礼した。
「俺はカール。仲間のセリアとリーリアン、それからルゥだ。彼女を助けたのは偶然だ。だが……無事で何よりだよ」
「えへへっ、ボクもけっこう活躍したぞ!」
ルゥが自慢げに尻尾を振ると、ティリエは微笑んで膝をつき、ルゥの頭を撫でた。
「あなたにも感謝を、フェンリルの子よ。……さあ、皆さん、村へどうぞ。ささやかながら、おもてなしをさせてください」
◆ ◆ ◆
湖面に浮かぶ小島の一つ、精霊の神殿の広間で、カールたちは果物や温かい薬湯のようなスープでもてなされた。淡い光を放つ水晶が天井から吊られ、静かな音楽が風とともに流れる。
「とても静かで、心が落ち着くわね……」
セリアは湯気の立つカップを手にしながら、微笑んだ。リーリアンもスープをすすりながら小さく頷く。
「ここで暮らすのも悪くない……って思っちゃうな。少しだけ」
「ここがエルフの隠れ里とはな……リーレン、君のおかげだな」
カールの言葉に、リーレンは少し照れたように尾を揺らした。
「ううん、わたし……迷ってただけ。でも、みんなが助けてくれたから……」
そのとき、ティリエが再び広間に現れた。彼女の顔には、先ほどの微笑みとは異なる、わずかな陰りがあった。
「……旅の方々。あなた方に、ひとつお願いがあります」
カールは静かに姿勢を正す。
「何でしょう?」
「実は、数日前から、村の外れに“魔の瘴気”が現れました。精霊の加護が届かない範囲に、得体の知れない魔物が棲みついたようなのです」
「魔物……?」
セリアの表情が硬くなる。
「具体的に、どのような……?」
「見た者は少ないのですが、黒い霧をまとい、森の獣たちを狂暴化させていると聞きます。最近では森の木々までもが枯れ始めました」
「魔獣の浸食……自然を蝕むタイプか。厄介ね」
リーリアンが眉をひそめた。
「普通の冒険者なら足を踏み入れた時点で瘴気に飲まれるでしょう。でも……あなたたちなら、もしかしたら、近づけるのではないかと思ったのです」
「……討伐を、我々に?」
「はい。もちろん、強制はいたしません。ただ、私たちエルフだけでは……守り切れません」
カールは皆を見回した。セリアはすぐに頷く。リーリアンも、言葉はなくともその瞳に戦意を宿していた。
「危険だけど……放っておけないわね」
「ボクも行くぞ! モフモフの名に懸けて!」
カールは静かに息を吐いて、ティリエに向き直る。
「分かりました。俺たちでその魔物を討伐してみせます。村の人々と、この森の静けさを守るために」
ティリエの顔に、安堵の色が広がった。
「ありがとうございます……! どうか、精霊の加護があなた方にありますように」
その夜、カールたちは村に泊まり、精霊の湖のほとりで静かに明日の戦いに備えた。
星々の光が湖面に揺れ、月の欠片がそっと彼らを見守っているようだった。




