第64話 暁の光と、三人の日常
『暁の光と、三人の日常』
――朝露が窓硝子をそっと濡らし、王都ルメリアの北街区にも新しい朝がやってきた。
カールの屋敷では、静かに目覚めの時間が訪れていた。
薄明るい光がカーテン越しに差し込む寝室。その柔らかな光の中、リーリアンはそっと目を開けた。
隣には、安らかな寝息を立てるカールの姿。
彼の胸に顔を預けるようにして眠っていたことに気づくと、リーリアンは頬を染めながらも、そっとその腕のぬくもりに微笑んだ。
「……ん、もう朝か」
気配に気づいてか、カールもゆっくりとまぶたを持ち上げた。
「おはよう、リーリアン」
「おはよう……カール」
言葉を交わすだけで、昨夜の不安が遠くに霞んでいくようだった。
目覚めたての二人は、何気ない会話をしながら、少しだけ布団の中でぬくもりを分け合った。
やがて、遠くからティナの「レーナー、おなかすいたぁ~!」という元気な声が響き、ふたりは顔を見合わせて笑った。
ダイニングに降りると、いつもの朝の風景が広がっていた。
レーナが忙しなくキッチンで朝食の支度をしており、ティナはテーブルでパンを頬張っている。ルゥはその足元でしっぽを振っていた。
「おはよう、カール。リーリアンさまも……あら? なんだか顔色がいいですね」
「え? あ、うん……ありがとう、レーナ」
「おねーちゃん、にこにこしてるー!」
ティナの言葉に、リーリアンは耳の先まで赤くなりながらも、笑って返した。
「ティナも元気ね。……今日も良い日になりそう」
カールも静かに椅子に腰を下ろし、ルゥが膝に飛び乗ってくる。
「カール。今日はセリア、帰ってくるんでしょ?」
「ああ。昼前には戻るって、使いの兵が言ってた」
そう言ってカールがカップを口に運ぶと、ちょうどその時だった。
屋敷の玄関扉が、コンコン、と軽やかに叩かれた。
レーナが手を拭いて出ようとすると、それよりも先に、カールが立ち上がる。
「いい、オレが行く」
玄関を開けたその瞬間、涼やかな風と共に、銀の髪がふわりと揺れた。
「ただいま、カール」
そこに立っていたのは、凛とした気品を湛えた白銀の聖女――セリア=ルゼリア=ノルドだった。
その後ろには護衛騎士が数名いたが、彼女の「もういいわ」という一言で、静かに頭を下げて引き返していった。
「おかえり、セリア」
「ええ。……昨日はごめんなさいね、急な呼び出しで。王城の魔法結界の再調整だったの」
「大変だったな」
セリアがふっと微笑み、カールの手にそっと自分の手を重ねる。
そして玄関の奥に、顔をのぞかせたリーリアンと視線が重なった。
「リーリアン、おはよう」
「おかえり、セリア」
二人の間に一瞬だけ、沈黙が流れたが――それは決して重たいものではなかった。
セリアは微笑みながら、リーリアンに歩み寄ると、その手をそっと取った。
「……顔色がいいわね。何か、あった?」
「……ちょっとだけ。大切なことを思い出したの」
「そう。なら、良かった」
その手を強くもなく、弱くもなく、静かに握り返す。
それだけで、昨夜の不安も、今日という朝の光の中で消えていった。
その日の午後、三人は屋敷の庭で日向ぼっこをしていた。
ルゥとティナが追いかけっこをして笑い声を上げる中、カールとセリア、リーリアンは並んでベンチに座っていた。
「ねえ、カール」
「ん?」
「今夜は三人で、どこか出かけてみない? 星がきれいに見える丘とか」
「賛成だわ。……あなたの隣、今度はわたしの番ね?」
セリアが冗談っぽく言うと、リーリアンも小さく吹き出した。
「じゃあ、じゃんけんで決めましょうか?」
「いいな、それ。……オレは誰が隣でもいいけどな」
「ずるい!」
「それはずるいわ!」
三人の笑い声が、初夏のそよ風に溶けていく。
悲しみも、不安も、未来の闇さえも――この日常の中では、たった一つの光になる。
それぞれの過去も力も、そして心も、今では確かに「繋がっている」。
そしてカールは、そっと空を仰いだ。
ウロボロスの契約紋が、淡く光っていた。




