第56話 ただいま、ティナ――剣聖と小さな家族の物語
『ただいま、ティナ――剣聖と小さな家族の物語』
王都ルメリアの北街区――静かで、どこか懐かしさを感じさせる石畳の道が続く一角に、カール=キリトの家はあった。
朝日が差し込むその家の前に立ち、カールは深く息を吸い込んだ。
「……やっと、帰ってきたな」
右手の甲に刻まれた契約紋が、かすかに淡く光を放つ。傍らではセリアとリーリアン、そして子犬の姿をしたフェンリル・ルゥが並んでいた。
「なんだか、すごく緊張するわね」
セリアが微笑んで言うと、リーリアンも腕を組みながら頷く。
「そうだね。あたしたちの帰りを……ちゃんと受け入れてくれるかな」
「心配しすぎだよ」
ルゥがくいっと尻尾を立てた。「レーナたちは“家族”だろ? カールのこと、ずっと待ってたんだから」
カールはゆっくりと扉に手をかけた。
――ギィィ……
懐かしい木の軋む音とともに、扉が開かれる。
「ただいま」
その一言は、思っていたよりも柔らかく、自分でも驚くほど自然に出てきた。
「……カール、おかえりなさいませ!」
最初に駆け寄ってきたのは、獣人のお手伝い、レーナだった。
長い耳がぴょこぴょこと揺れ、尻尾が喜びを隠せないようにくるくると回っている。
「ご無事で……ほんとうに、よかった……!」
泣きながらカールに抱きつくレーナの背を、カールは優しく叩いた。
「ただいま、レーナ。心配かけたな」
「ええ、もう……でも、本当に、よかった……」
レーナの瞳には、安堵と喜び、そして母のようなあたたかさがあふれていた。
だが――その後ろから、そっと顔を覗かせる小さな影に、カールは気づいた。
「……ティナ?」
それは、レーナの娘であるティナだった。
栗色のふわふわした髪、父親譲りのやや濃いめの肌。
カールと目が合った瞬間、ティナは小さく震えた。
「ティナ、久しぶりだな」
そう言って、カールが一歩踏み出した瞬間だった。
「……ばかっ!」
ティナが叫んだ。涙声だった。
「ずっと、ずーっと待ってたんだから! なんでそんなに危ないとこ行っちゃうの! ばか、ばか、ばかっ!」
ぽかぽかと小さな拳でカールの胸を叩くティナ。
カールはそれを黙って受け止め、しゃがみこんで、ティナの目線に合わせた。
「ごめんな、ティナ。……でも、ただいま。ちゃんと帰ってきたよ」
ティナはしばらく黙っていた。けれど、やがてカールにぎゅっと抱きついた。
「……おかえりなさい、カール」
その声は、震えていたけれど――確かに、心からの「家族の言葉」だった。
***
その後、久しぶりの食卓が囲まれた。
セリアとリーリアンは、レーナの手料理に「懐かしい味!」と声をあげ、ルゥは子犬の姿のままパンをくわえてうれしそうに尻尾を振っていた。
ティナはというと、最初こそぎこちなかったものの、セリアに魔法のことを訊いたり、リーリアンの光翼を目を輝かせて見つめたりと、すぐに打ち解けていった。
「ねぇ、セリアお姉ちゃん、“プロテクティア”ってどんな魔法なの?」
「ふふっ、じゃあ後で特別に見せてあげる。内緒ね」
「ほんと!? わたし、魔法使いになれるかな?」
「もちろん。努力すればきっと、すごい魔法使いになれるわ」
そんな会話を聞きながら、カールはふと天井を見上げた。
冒険の日々、死と隣り合わせの戦い、魔王の墓地、ウロボロスの契約、仲間たちとの絆。
――でも、やっぱり自分は、この家が好きだ。
ここに帰ってこれて、本当によかったと思う。
「カール?」
ティナが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの? ぼーっとして」
「いや、なんでもない。ただ……うん。おまえ、ちょっと背が伸びたな」
「えへへ、気づいた?」
「もちろん。可愛い妹の成長を見逃すわけにはいかないからな」
「……妹じゃなくて、娘でもいいよ」
その一言に、カールは目を丸くした。
「ティナ、それはちょっと……」
「ふふ、冗談だよ」
そう言って、ティナは舌をぺろっと出す。
その無邪気な笑顔を見て、カールはたまらずティナの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「本当に、大きくなったな……」
その言葉に、ティナは嬉しそうに目を細めた。
「おかえり、カール。……ずっと、待ってたよ」
――たとえ、どんな試練がこの先に待っていようと。
この“帰る場所”がある限り、カールは前に進める。
そして、いつか。
この家を守るために、そして“家族”の未来のために――また剣を振るう日が来るだろう。
そのときも、今日のこの笑顔を思い出すのだ。
「ただいま、ティナ」
そう、何度でも言えるように。




