第50話 ガンダーン魔王国の魔王、怒りの咆哮
魔王の玉座にて――咆哮
その日、魔王国の王城は、不穏な空気に包まれていた。
大広間の空気は重く、息を呑むような沈黙が続いている。紫黒色の石で組まれた玉座の間。その最奥に、巨大な玉座に腰を下ろす影があった。
――魔王、ガンダーン。
その身は岩のように巨大で、肌は魔石を埋め込んだかのように硬質な漆黒。二本の巨大な角が、額から後ろに反るように生え、深紅の瞳があらゆる虚偽を射抜く。
王として、父として、そしてかつて「七罪の盟主」と呼ばれた一柱として――ガンダーンの沈黙は、すでに何人もの将軍の心を砕いていた。
「……それが真実か?」
低く、地の底を這うような声が響く。声を発したのは玉座の主。だが、その声には明確な怒気が宿っていた。
「はっ……! 間違いなく、王直属の影魔兵が確認しました。『ウロボロス』は人間と契約を結び、現在、剣聖カール=キリトと行動を共にしているとのこと……そして……」
報告しているのは側近の一人、老魔族の男だった。背は低いが、何千年も魔王に仕えてきた者の気迫と知略を感じさせる。
「死の王もまた、倒されたと。確認済みでございます」
広間に、空気が止まった。
次の瞬間。
ガンダーンの瞳が、真紅に燃え上がる。彼の放つ魔力は、部屋全体を圧迫し、玉座の間の床に刻まれた古代魔法陣を軋ませた。
「……グリムノートが、敗北しただと?」
ガンダーンの拳が玉座のひじ掛けを握り締め、石がひび割れ、黒い煙が立ちのぼる。
「“死の王”と恐れられた我が副団長が……。それも、人間風情にか?」
怒声ではない。だが、その静かな言葉には、嵐のような魔力と殺意が混じっていた。
「それだけでは……ございません、陛下……」
側近は言い淀む。だが、その様子を見て、ガンダーンは口を閉じ、次を促すように赤い目を細めた。
「……続けよ」
「……その戦いには……フリーソウ侯爵令嬢、リーリアン殿も関与していたと」
その名を聞いた瞬間、ガンダーンの表情が動いた。
わずかに眉が動き、握りしめた拳がゆっくりと力を緩める。
「……リーリアンが?」
「は……はい。情報によれば、カール=キリトという人間と行動を共にし、死の王との戦いにも参加していたと。さらには――」
「さらには?」
「ウロボロスの解放にも、彼女が……関わっていたとのことです」
その言葉に、ガンダーンの背後にある魔力の流れが一変した。まるで大渦が逆流するように、空気がざわめき、魔の圧が増していく。
「……あの子が……」
低く、吐き捨てるように。
「リーリアンが、我が元仲間の封印を解き、共に戦い……そして、我が副団長を討ったと?」
言葉を発するたびに、玉座の間の壁がひび割れ、燭台が倒れ、魔法陣が異音を立てて軋んだ。
だが、怒りの中心にあったのは、彼女に対する嫌悪ではなかった。
それは、悔しさだった。
かつて共に戦った「七罪」の同胞たち――その中でも、知恵と静寂を司ったウロボロス。そして、死の王グリムノート。いずれも、ガンダーンが最も信を置いた仲間だった。
その二人が、今や人間の側に――。
「……リーリアンは、なぜあの場にいた?」
「それが……王子、第二王子シュナイダー殿の命令で、国外追放処分となっており……」
「追放?」
その一言に、広間が揺れた。
ガンダーンは玉座から立ち上がる。大地を踏みしめるような足音が響く。
「リーリアンが、なぜ追放された?」
「それが……王子は、貴族令嬢フェルーナ様への“いじめ”の容疑を理由に……」
「――愚かッ!!」
轟く怒声が玉座の間に響き渡った。
それは、魔王が発したとは思えぬほど、生々しい怒りの叫びだった。
「誰が、我が臣民を――我が孫娘のような子を、そんな理由で追放して良いと言った!!」
ガンダーンの足元から、黒い魔炎が立ち昇る。
「フェルーナなどという名、聞いたこともない貴族の小娘の訴え一つで、リーリアンを追放だと? 我が血筋を、そのように扱うとは――」
彼の声が震えるのは、怒りだけではない。
悔しさ。無念。そして、リーリアンという少女を守れなかったことへの、王としての自責。
「シュナイダーめ……貴様……!」
ガンダーンは拳を握り、王の冠をゆっくりと取り外した。
「愚かな真似を……我が名を背負う者として、恥を知れ」
彼は深く息を吸い込み、そして冷徹な声で命じた。
「……近衛隊長」
「はっ!」
すぐに、鎧を身に着けた魔族の男が膝をつく。
「第二王子、シュナイダーを――ただちに王の間へ呼べ」
「かしこまりました」
部下が即座に立ち上がり、魔力の紋章を空に描く。その姿を見ながら、ガンダーンの目は、どこか遠くを見ていた。
「リーリアンよ……すまぬな……」
そのつぶやきは、誰の耳にも届かないほど小さかった。
だが、王としての誇りと怒りを、その身に宿した咆哮は、間もなく玉座の間に再び響くことになるだろう。




