第34話 獣人村のバオバオからみたカール一行
『銀の剣士と影を裂く者たち――バオバオの見たもの』
バオバオは、木の上にいた。
夜が明ける少し前、霧が濃く漂う「影の谷」の近く。村の大人たちには「決して近づいてはならぬ」と言われていた場所。だけど、あの人たちが谷に向かうのを見たとき、バオバオの小さな胸はドクンと鳴った。
――見たい。あの銀の剣士が、どうやって戦うのか。
それが怖くても、バオバオの足は木に登っていた。耳を伏せ、しっぽをしぼめ、息をひそめて。それでも目だけは、強く、見開いていた。
そのときだった。
空気が変わった。
ぴりっとした冷気。まるで冬が一瞬で来たような気配。氷の魔女、セリア=ルゼリア=ノルドの魔力が、大気ごと凍らせていくのが感じ取れた。
すぐに雷のような魔力のうねり。ピンクの髪の魔族、リーリアン=フリーソウ侯爵令嬢の放つ、黒雷が木々を照らした。
そして。
現れたのは、黒い、黒い影だった。
四足の獣。大きな狼のようなそれは、煙のように揺らぎ、赤い目をぎらつかせていた。
バオバオは、息を呑んだ。
それは、家族を奪った“影”だった。
夢に出る。夜中に泣く。大人には言えないほど怖い思い出。その元凶が、今、あの人たちの前に姿を現したのだ。
「来るぞ!」
銀の剣が、きらりと光る。
バオバオの胸が震えた。
――やっぱり、かっこいい……。
カール=キリト。銀髪の剣士。村に来たときからただ者ではないと思っていた。でも、いま目の前で本物の怪物と戦おうとしているその姿は、まるで物語の中の勇者みたいだった。
戦いが、始まった。
氷が空を凍らせ、雷が地を穿ち、銀の剣が影とぶつかり合う。
「やっつけて……!」
バオバオは小さく祈った。
でも、影の獣は強かった。
魔法をすり抜け、黒煙のように形を変え、するりと背後に回りこむ。
そして、銀の剣士に飛びかかる。
バオバオは、思わず目を覆った。
でも、セリアが叫んだ。
「カールッ!」
その声に呼応するように、氷が割り込んで影を押し返す。剣士の意識が戻り、契約紋の光が収まる。
――あのひとの中には、“何か”がいるの……?
バオバオは気づいた。銀の剣士は、自分の力と戦っていた。影とだけじゃない。もっと深い、なにかと。
それでも、彼は剣を握った。
「おれたちは、囲む! セリア、右から! リーリアン、上空へ!」
仲間たちが動く。氷、雷、牙、そして銀の剣がひとつになる。
――すごい……。
バオバオの目に、涙が浮かんだ。
家族を守れなかった自分。泣いてばかりだった毎日。でも、彼らは違う。
自分の恐怖を、誰かのために、剣に変えている。
最後の一撃。カールの剣が、影を裂いた。
魔物の声が、子どものように響く。
そして、影が霧のように消えた。
世界が、静かになった。
バオバオは、しばらくその場を動けなかった。
胸の奥が、熱くて、切なくて、どうしようもなかった。
木から下りて、村へ戻る道すがら、涙がぽろぽろ落ちた。
――ありがとう。ありがとう、銀の剣士さん……!
数時間後、村では大きな火が焚かれていた。
影の谷の魔物が倒されたという報が広がり、みんなが驚き、そして喜び、感謝した。
カールたちは村に戻り、長老や村人たちから歓待を受けていた。
「本当に助かりました……」
長老が何度も頭を下げる。
セリアは優しく笑い、リーリアンは少し照れくさそうに「当然よ」と言っていた。
ルゥは子どもたちに囲まれて、「カールの剣が、びゅんって光ってな、ズバッと切ったんだぞ!」と何度も武勇伝を披露していた。
バオバオは、少し離れた場所で見ていた。
あの銀の剣士に、声をかけたい。でも、勇気が出ない。
――そのときだった。
「君が……あのとき木の上にいた子か?」
振り返ると、そこにカールがいた。
優しい笑顔だった。怖くない。むしろ、太陽みたいに温かい。
バオバオは、震える声で言った。
「わたし……あの影、ずっと……怖くて……家族も……」
カールはそっと頭を撫でてくれた。
「大丈夫。もう、いない」
その言葉だけで、涙があふれた。
その夜、カールたちは村に一泊した。
囲炉裏の火を囲んで、村の者たちと食事をとり、子どもたちに魔法や剣の話をしてくれた。
セリアが氷の結晶で小さな花を作り、リーリアンが光の花火を上げてみせ、ルゥがしっぽを使って笑わせる。
夢のような時間だった。
バオバオは、そっと空を見上げた。
そこには、満天の星と、旅立ちを待つような静かな風が吹いていた。
翌朝。
銀の剣士たちは村を出発した。
青空の下、北の果て、“白銀の地”を目指して。
バオバオは、村の丘の上から見送った。
「絶対……また来てね!」
声を張った。風に消えないように。
すると、銀の剣士が振り返り、手を振ってくれた。
――ありがとう。あなたに出会えて、よかった。
バオバオの胸には、ずっと消えない光が残っていた。
銀の剣士たちの姿と、その戦いが、彼女にとっての“希望”になった。
そして彼女もまた、いつか――誰かを守れるような存在になりたいと、そう思ったのだった。




