第14話 セリアとリーリアンの恋の話
夜の空には、星ひとつ見えなかった。
雨こそ降らぬが、湿った風が草原をなでていく。竜骨峡谷へ向かう途中、一行は崖下の林で野営することになった。
焚き火の薪がぱちぱちと音を立て、あたたかな炎が夜闇を照らしている。
その炎の前に座っていたのは、銀髪の魔法使い――セリア=ルゼリア=ノルド。
彼女の隣には、同じく野営当番として残ったリーリアン=フリーソウがいた。ピンクの髪をほどき、静かに火を見つめている。
カールは既にテントに入って休んでいる。ルゥも、彼の足元で丸まっていた。
「……今日は、ありがとう」
セリアが声をかけると、リーリアンはきょとんとした顔で振り返った。
「何が?」
「昼間、あの谷を越える時、ルゥの足をかばってくれたでしょう」
「別に……ボクの方が軽いし、魔力も使えたから」
少し照れたようにリーリアンは視線をそらす。
しばらく、ふたりの間に沈黙が流れた。夜の虫の声と、焚き火のはぜる音だけが耳に心地よく響く。
セリアは一つ深く息を吸うと、静かに問いを投げた。
「ねえ、リーリアン」
「ん?」
「カールのこと、好きなの?」
一瞬、火がぱちりと音を立てた。
リーリアンは少しだけ肩を揺らしたが、逃げるような素振りはなかった。火を見つめたまま、答える。
「……うん、好き。ずっと前から、ずっとね」
「そっか」
セリアはその答えに、すぐさま返す言葉が見つからなかった。
焚き火の中で薪が崩れ、新たな炎が立ちのぼる。
その明かりに照らされたリーリアンの横顔は、どこか寂しげで、それでいてまっすぐだった。
「わたしも……最初は、気づいてなかったの。カールが隣にいることが、当たり前になりすぎてて」
「気づいた時には、もう……離れたくなかったんだ」
「……知ってる。あんたたちが、ただの“仲間”じゃないことくらい」
リーリアンは口元をゆるくゆがめた。
「でもさ。あたしだって、ずっと見てたんだよ? カールが人を助ける時の目とか、背中とか……セリアに笑いかける顔とか。全部、うらやましかった」
「……」
「それでも一緒に旅してるのは、好きだから。ただ、それだけ」
セリアは目を伏せた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……ここは、戦場になるかもしれない場所よ」
「……うん」
「竜骨峡谷には、エンシェントドラゴンがいる。冗談じゃなく、誰が命を落としてもおかしくない。わたしも、カールも……あなたも」
焚き火が、ゆらゆらと二人の影を揺らす。
「だから、お願い。わたしひとりじゃ、カールを守りきれない。あなたの力が必要なの」
「……あんた、わたしを試してるの?」
「違う。ただ……」
セリアはリーリアンを真正面から見据える。
「わたしは“カールの恋人”ではあるけど、“カールのすべて”ではないの」
「カールはフリューゲンの王女とも婚約している」
「……あたしも知ってる。でもこの場では、あんたじゃない」
「そう。今、そばにいるのは、わたし。そして、あなた」
セリアは炎の揺らめきに目を細めながら、静かに笑った。
「カールを好きでいること、否定しない。あなたの気持ち、ちゃんと届いてる。だから――わたしと一緒に、彼を守って」
リーリアンの瞳が、ゆっくりと揺れる。
「……あんた、変な人ね。恋敵にそんなこと頼むなんて」
「変かしら。でも、今は戦場だから」
リーリアンは唇を噛みしめ、そして頷いた。
「……うん、分かった。ちゃんと守る。セリアがいる時もいない時も、あたしたちがカールの盾になる」
「ありがとう」
セリアは微笑んだ。それはどこか、少しだけ寂しげで――それでも温かい光を宿していた。
「そして、あなたもわたしと同じく彼の恋人になる日が来たら、その時は――ちゃんと、祝福する」
「……あたしも、あんたみたいに強くなれたらいいな」
二人は並んで、焚き火を見つめていた。
夜風が吹き抜け、星のない空に、かすかな希望の炎が灯っていた。




