閑話 第116話 リアナ=クラウゼ、恋に揺れる
『リアナ=クラウゼ、恋に揺れる』
王都魔術研究院の中庭。春の陽光に揺れる花々の中で、リアナ=クラウゼは、真剣な眼差しの青年に向き合っていた。
「……リアナ様。どうか、ボクの想いを聞いてください」
青年――アレン=ノヴァは、研究院でも評判の優秀な魔術士だった。控えめながらも誠実で、努力を重ねる姿勢に周囲の信頼も厚い。
そんな彼から、突然の告白。
「……わたし、あなたのことは尊敬しています。でも……好きなのは、カールなの」
リアナは迷いのない声でそう告げた。けれど、アレンの瞳は決して諦めの色を見せなかった。
「……カール様は剣聖として素晴らしい方だと思います。けれど……リアナ様、カール様にはすでにセリア様、エミリーゼ様、そしてあなたがいらっしゃる。ボクにはあなたしかいない。ボクは、あなた一人を見つめています」
その言葉が、胸の奥に静かに響いた。
リアナは、研究室を後にして、屋敷に戻る。
その晩――彼女は、屋敷のキッチンで夜の片付けをしていたメイド、レーナに話しかけた。
「ねえ、リーナ……もし、好きな人がいたとして。でも別の誰かに、真っ直ぐに想いを告げられたら……あなたなら、どうする?」
リーナは手を止めて、にっこりと微笑んだ。
「……悩んでるのね?」
「え……」
「だって、悩んでなかったら、私に相談なんてしないもの」
そう言って、彼女は窓辺に腰掛けた。皿を拭く手を止め、夜空を見上げる。
「――女性ってね、愛するより、愛される方が幸せになれることもあるのよ」
「……どうして?」
「うふふ、私の旦那さんがね、そういう人だったの。愛してくれて、優しくて、包み込んでくれて。でも……あの人、戦争で帰ってこなかったのよ。今でも、忘れられないわ」
リアナは小さく息をのんだ。
レーナの声は穏やかだったけれど、どこか懐かしむような、切なさを含んでいた。
「……でも、もし、私の旦那みたいに、ティナのことも含めて、全部まるごと愛してくれるような人がまた現れたら……」
「……悩む、かもね?」
「そうそう、悩むわよ~! だって、女心はややこしいんだから」
リアナは思わず微笑んでいた。
けれど、心の奥ではまだ整理のつかない思いが渦巻いていた。
――自分は、どうしたいのか。
カールのことは、ずっと好きだった。最初は興味だった。研究者として、そして男としての魅力に惹かれた。
彼の隣にいるセリアやエミリーゼに、嫉妬したこともあった。
でもそれでも、彼の隣に立てるように、努力してきた。
そんな時に、アレンの言葉が――
『ボクは、あなた一人を見つめています』
繰り返し、胸の奥で反響していた。
* * *
数日後。リアナはアレンと再び向かい合っていた。
場所は研究院の天文台。黄昏に染まる空の下、魔術の検証を終えたあとだった。
「……アレンさん、もう一度言わせて。わたし……あなたの想いに、感謝してる。嬉しかった。でも……わたしは、まだカールのことが、好きなの」
アレンはうつむいた。だが、しばらくして、そっと顔を上げる。
「……ありがとうございます。それでも、ボクは後悔してません。リアナ様が笑ってくれるなら、それだけで――」
「……でも、わたしも、もう迷わない。あなたの言葉に、真っ直ぐな気持ちに、揺れた自分がいた。でもそれって、カールを想う気持ちが、本物じゃないなら、そんなことで揺れたりしないもの」
リアナは小さく笑った。少しだけ涙ぐんでいた。
「わたし、たぶん、これからもずっと迷っていく。カールは、わたしだけを見てるわけじゃない。でも、それでも……それでもいいって思えるくらい、好きなのよ」
アレンは、ゆっくりと頷いた。
「……わかりました。でも、いつか……リアナ様が傷ついたとき。迷ったとき。……ボクは、いつでもそばにいます」
リアナはその言葉に、静かに目を伏せた。
「……ありがとう、アレンさん。わたし、あなたみたいな人に好かれて、本当に幸せ者よ」
夜空に星が瞬く。
二人の間に、言葉では語れない静かな余韻が流れていた。
そして、リアナの中で一つの想いが、そっと根を下ろしていた。
――いつか、ちゃんと、選べる未来がくるように。




