第110話 王の記憶 ― ユリウス五世の回想
『王の記憶 ― ユリウス五世の回想』
──過去を悔い、未来を憂い、それでもなお、王は剣を捨てなかった。
玉座の間に一人、ユリウス五世は静かに目を閉じていた。
もはや王冠も、剣も、彼の手にはない。
だが、記憶は鮮明だった。
「……あれは、まだ第一王子が生きていた頃だったか」
王国を襲った戦乱の時代。
敵は外ではなく、内にいた。
貴族たちの権力闘争と、魔法研究を隠れ蓑に暗躍する禁術集団――〈白き咎人ペイル・シン〉。
彼らは“時”を操る秘術を完成させつつあった。
「未来ではなく、過去を救えたなら――」
その言葉が、彼の心を蝕んでいた。
最愛の家臣にして、弟のルゼリア公爵の死。
そして、その娘セリアの行方不明。
いずれもが、国の未来を狂わせた要因だった。
(カール=ノルド……あの子が、全てを変えたのか、兄の元婚約者だった義姉アリシアの息子)
今では剣聖として知られる青年。
だが当時、王家の血を引くその存在を、ユリウスは知ることさえ許されていなかった。
「私が、もっと早く気づいていれば……!」
机の上、開かれた古文書には血に染まった封蝋が貼られていた。
〈白き咎人ペイル・シン〉の魔導書。
それは決して開いてはならぬ禁忌。
しかし、ユリウス5世はそれを選んだ。
「時間を巻き戻す。この手で、ルゼリアの死を防ぎ、弟を救う。……私の罪を、償うために」
魔力の代償に王命を投げ打ち、封印を破る。
その儀式の中心に現れたのは、一人の男だった。
全身を白い衣に包み、仮面をかぶった異形。
「お前が……ペイル・シンの首魁か」
「私はただの代弁者。時間という名の箱庭に、真実を戻す者にすぎません」
「過去に戻れるというのは本当か」
「可能だ。ただし、代償を払えば、な」
その“代償”が、国そのものであるとは……まだ、このときの王は知らなかった。
***
時の扉が開く――
ユリウス5世は己の命脈と引き換えに、禁術を発動させた。
目の前に広がるのは、あの夜。
ルゼリア公爵が冤罪で断罪された。第一王子の側近たちによる暴走だった。
ユリウスは駆け出した。
「ルゼリア死ぬな――!」
声が届く直前、世界が凍りつく。
そして、白衣の集団が現れた。
仮面をつけた者たち。全員が“未来”の姿を持っていた。
「やはり……お前たちの目的は過去の改変ではない。世界の崩壊だ……!」
ペイル・シンの真の目的――それは、“時間の整合性”を破壊することだった。
時を乱すことで、因果律を崩壊させ、世界を無に帰す。
「貴様ら……!」
ユリウス5世は剣を抜き放ったが、その刃は一閃にして粉砕された。
まるで全身から力が抜け落ちるような感覚。
魔力が吸われていく。
「我らは終焉を望む者。世界が悲鳴を上げている。ならば、静寂の中で……永遠の眠りを」
「……くだらん……理屈だ……!」
崩れる膝。
震える腕。
それでも、ユリウスは立ち上がろうとした。
「誰が……貴様らの手で……この世界を滅ぼすと認めた……!」
その叫びは、世界に届くことはなかった。
次に彼が目覚めた時、すべての魔力は消え去り、彼は玉座に縛られた“人形”と化していた。
***
それから数年。
ユリウス5世は自分の意思では動けぬまま、体の自由を奪われ、傀儡となった。ただ、世界がどう変わるかを見つめ続けた。
だが、希望は残されていた。
〈黒衣の剣聖〉が現れ、セリア=ノルドが生きていたことを知り、リアナが世界の理に挑み、そして――
「カール……お前が、アリシアの子か」
過去に交わるはずのなかった血脈。
だが、今は違う。
希望がある。世界を救った者たちが、確かに存在する。
そして今、ユリウス5世は再び、命を振り絞る。
「カール……セリア……私の想いを、継いでくれ」
玉座から立ち上がったその時、かすかに時の結界が解けた音がした。
もう一度だけ――自分の意思で歩ける気がした。
(未来は……まだ、選び取れる)
光が王の周囲に広がり、彼の足元を照らす。
その歩みは、重く、しかし確かな決意に満ちていた。
世界がまだ終わっていないことを証明するために。




