第98話 《地下五階》秘匿の静域 ―リアナの想い―
《地下五階》秘匿の静域 ―リアナの想い―
静寂だった。
まるで時間が止まったかのように、地下五階は音ひとつなく、風さえも吹かない。苔むした石畳の通路は細く、四方を高くそびえる石壁に囲まれていた。灯りもなく、魔道具のランタンが頼りの薄明かりを放つ。
「……なんか、今までと違うね」
リアナがぽつりと呟いた。
セリアは一歩後ろを歩きながら、何かを考えるような表情だったが、何も言わない。カールは先頭で剣を軽く抜き差しし、感覚を研ぎ澄ませていた。
「何かがいる。けど……姿が見えない。音も、気配すらも感じないのに、"視られている"ような……」
「まるで……空気ごと、見透かされてる感じ」
リアナが言う。目は冴えていたが、ほんのわずかに震えが混じっていた。
しばらく進むと、通路の先が開け、薄暗いホールのような場所へとたどり着いた。中央には、古びた神殿のような建築物。その扉には複雑な魔法紋様が刻まれていた。
「……ここが、試練の部屋?」
「いや、何か違うな。これは“記憶”を読み取る魔法陣だ。たぶん……」
カールが魔法陣の文字を読む間に、リアナの指先がうっかり扉に触れた。
次の瞬間——
リアナの体が光に包まれ、ふっとその場から消えた。
「リアナ!」
「転移魔法!? まさか、個別試練また!?」
カールとセリアが駆け寄ったが、光はすでに収まり、リアナの姿はそこになかった。
《静謐の回廊》——リアナ
彼女が目を覚ましたのは、どこまでも白い空間だった。
天も、床も、壁も、すべてが淡く光をたたえていて、現実感がまるでなかった。
「……ここ、どこ?」
すると、目の前に“彼”が現れた。カールに似た姿、けれど声は冷たい。
「君の“心”を見せてもらう」
「えっ……?」
次の瞬間、周囲に映像のようなものが浮かび上がった。少女時代のリアナ。魔術学院で孤独に書物を読みふける姿。誰とも馴染めず、ただ魔法だけを頼りに生きてきた日々。
——そして、カールとの出会い。
命を助けられたあの日。恐怖の中で差し伸べられた温かな手。何度も戦いを共にして、背中を預けられるようになった安心感。
「……あの人は、誰かに頼らせるのが自然な人。そんな人、今までいなかった……」
カールの幻影が言う。
「君は彼に“甘えたい”のではない。“認められたい”のだな?」
「っ……そう、かもしれない。でも私は……」
リアナが口を開いた瞬間、床が崩れ、彼女は落ちた。
——そして目の前に、再び“本物のカール”がいた。
《再会》
「リアナ!」
「えっ……カール!?」
気づけば、リアナは神殿の裏手に転送されていた。カールが彼女を抱きとめ、支えていた。
「無事でよかった……」
その一言に、胸が詰まった。
「……こっちこそ、ごめん。うっかり触れちゃって、また一人で……」
「いいんだ。お前を見失うのが、一番怖いから」
その言葉に、リアナの胸が跳ねた。
「…………っ。ねえ、カール……少しだけ、こっち向いてくれる?」
「ん?」
リアナはほんの少し背伸びをして、彼の耳元で囁いた。
「もし、私が“特別”になりたいって言ったら……迷惑?」
カールは驚いたように目を見開いた。けれど、それはすぐに柔らかい笑みに変わる。
「……迷惑どころか、嬉しいさ」
「……っ」
その瞬間、リアナの心の奥にずっとあった硬い氷が、音もなく溶けていくのを感じた。
——ただ、次の瞬間。
「……ふーん、なるほど? 二人だけで、随分と“盛り上がって”たのね」
神殿の柱の陰から、セリアが現れた。
「セ、セリア……い、いや、これはっ」
「ふん。まあいいわ。リアナが“先に仕掛けた”ってこと、ちゃんと覚えておくから」
セリアがにっこりと微笑む。その笑みに、ほんの少し炎の気配が混じっていたのは……気のせいではなかった。
こうして《地下五階》もクリアし、彼らは再びダンジョンの奥へと進む。
だが、カールを巡る微妙な均衡は、確実に揺らぎ始めていた——
そして、この旅が終わるころには、きっと誰かの心が、大きく変わっていることだろう。




