ニールの告白
雨で見通し悪い上に頭上からの襲撃に多くの馬がパニックに陥った。大半の騎士はその前に馬から飛び降りたり手綱を引き締めて押さえ込んだりしたが、数名は不意を突かれて落馬して泥の上に落ちた。
最後尾にいたニールは、直接襲撃を受けなかった為に落馬せずに済んだ。すぐに馬を下りて遠征用の大盾を外して馬車の側面に付く。狭い道で一列になっていた為に馬や武器が互いの行動を制限してしまい、相手はそれを見越していたのか短い剣を持っていた。斬り付けられても致命傷には至らないが、ジワジワと削られて次第に不利になって来る。皆どの馬車に姫が乗っているかは分からないが、必死に足元も視界も悪い中馬車を死守していた。
大盾をがっちりを構えたニールも、馬車を背に盾で敵を扉に触れさせないように必死に押し戻した。不意に誰かが隙を突いて放ったのか信号弾が頭上でパラパラと音を立てた。半分不発のような状態だったが、おそらくこの先で合流する筈だった辺境騎士団なら見付けてくれるのではないだろうか。誰もがそれを希望に、少しでも襲撃者を削ろうと応戦に務めた。
ニールの盾を突破できず、相手が苛立ったように無茶苦茶に剣を振るっている。このくらいならばニールは力負けはしないが、それでも多勢と言うこともあって少しずつ盾を持つ力が削がれて来るのは分かった。攻撃手段を持たないニールには、ただ防戦を固めて相手の疲れを誘って勝機を見出すだけだ。歯を食いしばって足に力を入れ直した瞬間、割り込むように同じ騎士団の鎧の色が見えた。そしてヒラリと長剣を翻して、ニールが押さえ込んでいた敵をバッサリと斬り伏せた。
「トーマス!」
彼は常に先頭の護衛をしたがったが、こうして最後尾の馬車が不利だと悟って手助けに来てくれたのだろう。先日の喧嘩の発端となったことについてはニールの中でまだ蟠ってはいるが、それとこれとは話が違うのだと感謝の言葉を述べようとした刹那、トーマスは無遠慮に馬車の扉を強引に開け放った。内側から鍵を掛けている筈だが、その金具の部分の隙間に剣を差し込み、中の閂を外してしまったようだった。
「なっ…!?」
こうした襲撃時に、馬車の中にいる護衛対象を守る為には決して馬車の扉を開けてはならない。もし開けるとするならば退路を確保してからの筈だ。しかし今の状況はとてもではないが退路どころではない。
「…ここか」
トーマスはニヤリと笑うとすぐさま扉を閉め、ニールの背を踏み付けて跳躍すると馭者台に飛び乗った。
「待て!」
瞬間的にニールはトーマスがしようとしていることを察知して、躊躇なく盾を放り出して馬車に捕まった。もしその判断が僅かでも遅れていたら、ニールは馬車に跳ねられて只では済まなかったかもしれない。それほどの勢いでトーマスは容赦なく馬車に繋がれた馬に鞭を入れたのだった。
トーマスが強引に走らせた馬車は敵も味方も関係なく跳ね飛ばして、側面にしがみついたニールにも構わずに道のない場所を暴走させていた。
しかし慣れない場所で雨の中そんな状態で馬も長く走れる訳でなく、しばらく走って岩の上に乗り上げたのか車輪が割れて、中途半端な斜面で馬車が動かなくなってしまった。ニールは車輪が割れた反動で馬車から少し離れたところに放り出されていた。咄嗟に受け身を取ったので頭は打たずに済んだものの、一瞬息が詰まって気が遠くなりかけた。興奮状態なのか痛みはまだ感じなかったので、このままにしては置けないとクラクラする視界の中で半ば這うように馬車の方へ向かう。
ニールがやっとの思いで馬車の側まで来た時、トーマスは馬を繋いでいる軛を切り離して万一の時に御者台の下に入れてある鞍を装着していた。確かに馬車が動かなくなってしまった今は、それは正しい判断だろう。しかしニールはそれを見て何か嫌な予感が沸き上がる。
そしてトーマスは馬車の中から一人の女性を恭しく抱き上げるように救出すると、その前に膝を付いた。それは貴人に対して騎士がとる礼の一つだが、ニールは何故彼がそんなことをしているかぼんやりした頭では理解できなかった。
その女性は金色の髪に青い目をした細身の女性で、雨に濡れて体に貼り付いた服が描く曲線が艶かしく、成熟した大人の女という雰囲気を醸し出していた。
「姫君、今安全なところへお連れいたします。このトーマスにお任せください」
「まあ、トーマス様。私の騎士様。どうぞ私をお守りください」
こんな雨の中で、追っ手に追われているのに何を芝居じみた事をしているのだろうとニールは不思議に思ったが、とにかくどうにかしなければという思いだけで馬車に近付いて行った。それに気付いたのか女性の方が短い悲鳴を上げてトーマスの背に縋るように隠れた。
「お前みたいなヤツが、宝石姫を見ようなんておこがましいんだよ」
「トー…マス…お前…」
「ああ、馬車全部確認したからな。一番美しいこの方こそ、間違いなく宝石姫」
「確認、だと…」
あんな襲撃されている場で、護衛対象の危険も顧みずに全ての馬車を開けて顔を確認したという事実に気付いて、ニールは頭に血が上った。そのおかげか、少しだけ頭がスッキリしたような気分になった。
「なんて、ことをしたんだ…!」
「俺達は姫君を守る護衛騎士だ。他の侍女や替え玉なんていくらでも替えが利くんだよ!そこの大した力も持たない豚聖女もな!」
「なっ…!?」
先日、ニールが我慢できずにトーマスに殴り掛かって謹慎になった時と同じ暴言を再び吐かれて、カッとなって胸倉に掴み掛かる。だが、まだふらついていたので軽々と避けられてしまった。しかもガクリと膝をついたところを、腰に下げていたまだ使用していない剣を奪われた。騎士としてはありえない失態にニールの顔から血の気が引く。
「ニールさん…」
こんな場所で聞こえる筈もないと思っていた聞き覚えのある声に顔を向けると、開いた馬車の扉から座り込んで顔を出しているリアの姿が見えた。いつも纏めている髪は乱れて、腰まである長い髪が半分垂れ下がっている。
「さあ姫君。私と共に参りましょう」
「トーマス!待て、待ってくれ!」
トーマスは女性を馬の背に乗せると自分も後ろに飛び乗り、しっかりと抱きかかえるように体を密着させていた。
「彼女は聖女だ!彼女も一緒に…」
「そんな太い女乗せたら馬が走れねえだろ」
「しかし、聖女は国の宝だ…!大切な…」
「姫より尊い存在はないんだよ!せいぜい餌くらいになれよ、役立たず共が!」
「トーマス!!」
ニールが大きな声を上げると同時に、トーマスは馬の腹を蹴ってあっという間に走り去ってしまった。ほんの一瞬、ニールを明らかに蔑んだ目を向けたが、ニールは腹が立つを通り越して虚しささえ感じた。
「そ、そうだ、リアさん!どうしてここに…あ、もしかして王女様の影武者に?」
「え…あの…」
「いや、話は後にしてすぐにここを離れよう!あいつらが来るかもしれない」
ニールはすぐに我に返って馬車に駆け寄った。傾いた馬車の床に座り込むようにして戸口に捕まっているリアは、余程怖かったのか蒼白になっている。もっと落ち着くまでそっとしておきたいところだが、逃げた馬車を負って襲撃者が追って来る可能性は高い。雨のせいで轍が残ってしまっているので、追いつくのは時間の問題だろう。
「あ、あの、足を痛めてしまったようで…」
「じゃあ俺が抱えて行こう。雨で濡れるかもしれないけど、俺の上着で包めばちょっとはマシ…」
「ニールさん、一人で逃げてください」
ニールが着ていた防具を外して上着を脱ぎかけると、リアの小さな手が上から握り締めて来てそれを止めた。戸惑ったニールが動きを止めると、リアは淡い水色の目を真っ直ぐニールに向けて来た。こんな状況なのに不思議と落ち着いた色を帯びていて、ニールは思わず気圧されたように言葉を飲み込んでしまった。
「わたくしはこれでも聖女です。聖女は役に立ちますから、きっと殺されはしないでしょう。でもニールさんの命の保証は出来ません。ですから、ニールさんは逃げて、生き延びてください」
「そんな…」
「生きていれば、いつかまた会えます。わたくしも諦めずに生き延びますから、また、必ずお会いしましょう」
相手が狙っているのは「宝石姫」のカナルリアだ。今のリアは似ても似つかない姿になっているので、もしかしたら聖女と判明する前に殺されるかもしれない。その前に聖女と分かれば命は助かるかもしれないが、聖女の力はその血筋に受け継がれるものなので、攫われた先でどんな扱いを受けるかは想像が付く。
けれどもリアはそれを押し隠して必死に柔らかな微笑みを湛える。そして言葉を失っているニールの手を、リアはそっと押した。決して強い力ではなかったが、ニールの体が後ろに傾いた。そのままリアは開いている馬車の扉を閉めようと手を掛けたが、勢い良くニールの手がそれを防いだ。
「それは駄目だ」
これまでリアが見たこともないくらい険しい形相でニールが半身を馬車の中に入れて、リアが閉じかけた扉の間に体を挟み込んだ。座り込んだ小さなリアの上からのしかかるような状態で、ニールの影がリアの体を覆うように差し込む。リアはとにかくニールの安全しか考えていなかったが、それは騎士の矜持を否定するようなものだったと今更気付く。怒らせたり不快に取られない言い方もいつものリアならばいくらでも思い付いただろうが、焦っていたので端的な物言いをしてしまったと後悔が走る。
思わずリアが息を呑んだ次の瞬間、温かいを通り越して熱いくらいのニールの胸に押し付けられるように抱きしめられていた。
「ニ、ニールさ…」
「リアさんは置いて行かない。絶対俺が守るから、一緒に生き延びよう」
リアの片耳はニールの胸に押し当てられて全身が痺れるような響きに包まれ、もう片方の耳には彼の熱を帯びた息が掛かる。リアは何か言葉を返そうと口をパクパクさせたが、何の言葉も出て来なかった。
「リアさんが聖女を引退したら俺も騎士団を辞めるから、二人で国中の食べ歩きの旅に出よう。それで一番気に入った食べ物のある場所で、一緒に笑って暮らして欲しい。ずっと言おうと思ってたんだ。毎日、リアさんをお腹いっぱいにするから、だから…俺と一緒になってください!」
謹慎になる前日に宝飾店で購入した腕輪を見ながら、ニールはこれをどう言ってリアに渡そうかずっと部屋で考えていた。どうすればリアの心に響くか、どうすればスマートに格好良く気持ちを伝えられるか、いくら考えても答えが出なかった。今のニールには腕輪もなければスマートな告白とも程遠いことを口走ってしまった。けれど不思議と後悔はなかった。今伝えなければならないという熱い何かに押されるように口から出た言葉は、紛れもなくニールの本心だった。
時間にすればおそらく僅かな時間だったろう。それでもニールにしてみれば永遠に続くような沈黙の後、腕の中のリアが無言でコクリと確かに頷いたのだった。