辺境領への派遣
王家の末姫カナルリアは、過去に数回王族全員出席する式典に参加しただけで、普段は聖女ととして過ごしているためその姿を見たものは殆どいない。
比較的長身で美丈夫な者が多い王族の中で、彼女は小柄でほっそりと華奢で儚い体躯に、淡い金の髪に薄い水色の瞳を持っていたので、それこそ触れればそのまま空気に溶けてしまいそうな雰囲気を纏っていた。そして笑うとまるで砂糖菓子のように甘く、少し垂れた目元がそれはもう愛らしい姫君だった。誰もがそんな彼女と一言でも言葉を交わしたいと近寄ろうと試みたが、屈強な護衛や兄王子や姉姫達が幾重にも彼女を取り囲んで守っていたので、誰一人として彼女に到達した者はいなかった。
そんな数少ないカナルリア姫を垣間見た者達は、こぞって「王家の至宝」「宝石姫」と呼び、まだ見ぬ者達は伝説と化した姫にいつか会えることを夢見るようになって行った。
しかし今のカナルリアことリアには、そんな儚い面影は一切ない。全身ふくふくポヨポヨのまあるい体付きになっている。髪と目の色、少し垂れた目元は変わらないが、式典での姫の姿を知る者はリアがその当人であるとは全く気付いていない。
これには聖女の力が大いに関係していた。聖女は始祖の精霊王の血を引くため、植物を育む能力を生まれ持って有しているが、それとは別に精霊王樹の祝福をその身に溜め込む能力もある。それは水瓶のようなもので、聖女の体を器として体内に祝福を溜め込み、それを精霊王樹の力の届かなくなった土地に持って行って祈りとともに振り撒くことが出来る能力だ。乾いた土地に水を与えるのと同じことだ。そしてその能力は非常に個人差が大きく、各地に派遣されて祈りを捧げることの出来る聖女は体内に多くの祝福を蓄えることが出来る者に限られている。
そしてその祝福を体内に取り込むと、その聖女は量に応じて体型が大きくなる、つまり太ってしまうのだ。リアは王族直系の唯一の聖女で、体内に溜め込む量も多い。特に彼女は身長が小さかったこともあって、ことさら横幅に取られてしまったのだ。他の派遣可能な聖女も一様に肉付きが良いが、ゆったりとした神官服で誤摩化せる程度だ。リアのように別人レベルになるのは非常に珍しいのだが、それだけ聖女の力が強いという証左でもあった。
この現象は体内の祝福を使用すると元の体型に戻り、再び時を掛けて溜め込むというのを繰り返す。ただ聖女の能力が弱くなって行くのと共に祝福を溜める量も減るので、聖女を引退する頃には元の姿に戻っている。しかし年頃の少女がいくら祝福を溜め込む重要な能力だったとしても太った姿を世間に晒すことになるのは気の毒だということで、このことは王族と神殿に仕える神官と聖女達にしか明かされない。その為神殿で聖女を保護し、特に能力の高い聖女は引退するまでその姿を秘匿されて過ごしているのだ。
リアが比較的簡単に外に出ているのは、もはや別人にしか見えなかったのと、リア自身が全く気にしないからに他ならなかった。元々リアは食べることが大好きだったのだが、その儚い容貌のせいで食事を制限されることが多かったのだ。当人は二人前は余裕で食べられるのに、周囲は勝手に小鳥が啄むような少量の野菜などをリアの前に並べて行く。勿論家族である王族達はリアにこっそり食べ物をくれるのだが、人目がある場所ではあまり勝手なことをする訳にはいかない。ただでさえ注目度の高い宝石姫だったので思うように食べることが出来ずすっかり嫌になってしまったリアは、聖女の能力で祝福を限界まで溜め込んでコロコロの体型になり、人前から姿を隠したことにして思う存分食事を楽しんでいたのだ。
ただ、リアはそのことを詳しく知らない者達に陰で「薬草園の子豚」「豚聖女」と呼ばれているのも知っていた。この国では貴族女性はほっそりと華奢であることが尊ばれる為、王城内にいる貴族達からはリアの姿は揶揄されがちだった。それでも家族である王族達は変わらずリアを可愛がっているし、神殿や聖女仲間達も聖女の体質のことは知っているので陰口を叩く者達とは直接関わることもないのでリアは気にせず過ごしていた。
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「ニールさん!どうなさいましたの!?」
いつものように薬草園の手入れをしていたリアは、見慣れた大きな人影が入口に立ったのを見て弾むように駆け寄って行った。が、近くまで行くとニールの目の上に大きな痣があって、頬も少し腫れていたことに気付いた。リアは駆け寄りながら一番薬効の高い薬草を引っこ抜くと、ブチブチと葉をむしった。
「いやあ…その、怖がらせるつもりはなかったんだが、時間がなくて」
「怖がるなんて!それよりも早く手当てを。と、届かないのでしゃがんでくださいませ!」
「すみません…」
小さなリアに叱られるように言われて、ニールは大きな体を丸めるようにしてその場に座り込んだ。リアはすぐさま目の高さよりも下になったニールの顔に近寄って、むしったばかりの薬草を手で揉みほぐして痣のある場所に数枚貼り付けた。よく見ると頬が腫れているだけでなく、唇の端も少し血が滲んでいる。リアはポケットに入れている乳鉢と乳棒を取り出して、その場で薬草をすり潰してから小さな指でペースト状になった薬草をニールの唇に塗った。あまり傷に触れないように丁寧に塗っているうちに集中してつい互いの頬が触れそうなほど寄っていた為にニールの耳が真っ赤になっていたが、リアは全く気付かずに治療を優先していた。
「これが乾くまでは口は舐めないようにしてくださいませ」
「…ありがとう、ございます」
「これは魔獣ではなく人に付けられたものですわね。凶悪犯の捕縛とかなさいましたの?」
「いや…その…」
心配そうな顔で上目遣いに覗き込んで来るリアに、最初は目を逸らして口ごもっていたニールだったが、ポツリと「同僚と喧嘩をしたので」と漏らした。ニールは体格は大柄で少々強面の部類に入るが、普段は心優しくいつも小柄なリアに歩調を合わせてくれる気配りの青年だ。だからまさか同僚と喧嘩をして怪我をするなどリアには想像もつかなかった。
「それで、10日間の謹慎を言い渡された。だから三日後にリアさんと出掛ける予定も出来なくなったから、謝ろうと思って…ごめん」
「そう、でしたの。仕方ありませんわ。…ゆっくりと怪我を治してくださいね」
「ごめん」
リアは本当は理由を聞きたかったが、何だかニールが辛そうな顔をしているのが忍びなくてそれ以上は聞くことを止めた。口に出すだけで辛くなることもあるだろうし、もしその時が来ればきっと話してくれるだろうとリアは彼のことを信じていたのだ。
手当てが終わる頃にはニールも怪我のしていない片頬だけ上げて多少無理はあるが笑顔になったので、リアは謹慎明けにまた出掛けようと約束を交わして彼を見送ったのだった。
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ニールが来られなくなって五日が経った頃、王城に辺境領で大規模な地滑りが発生し、広大な土地が押し流されて甚大な被害が出たという報告が届いた。
報告のあった辺境領は王都よりも広い領地を有していたが、その大半が年中雪に閉ざされた山岳地帯で、牧畜を主産業としていた。地滑りが起こった場所は殆どが牧畜に利用していた土地だった為に人的な被害は少なくて済んだのだが、どうにか避難させた牛達の牧草が圧倒的に不足していた。周辺の領主から援助が送られてはいるものの、このままでは牧草の不足により助かった牛の大半が危ないとのことで、聖女の派遣が迅速に決定した。
被害は予想以上に広かった為、現聖女の中で最も力の強いカナルリアが赴くことが決定した。しかしそれが公表された後、どうやら地滑りは接している国境を越えて隣国にも大きな被害をもたらしていたらしく、その復興の為にカナルリア姫の誘拐を目論んでいるという情報が密かに伝えられた。土地に祝福を与える聖女はこの国にしか存在しない為、他国にも狙われやすいのは確かであるが、今は国同士が無用な争いを避けようと正式な外交と称して聖女の来訪を依頼することが主流となっている。それをどんな理由であれ無視して強引な手段に出ようとすれば、周辺国からの非難だけでなく、それならばと同じことを目論む国も出て来るだろう。そうなってしまうと遠くない将来、恐ろしい事態になるのは目に見えている。
それに聖女というだけでなくカナルリアは末端とは言え王族だ。しかも宝石姫と名高い美しさも兼ね備えていると世間には思われている。滅多に王城を出ない彼女を狙う絶好の機会と思ったのかもしれない。
ただ、これはまだ密かな目論見というだけで、国から正式な抗議をすれば余計な摩擦を招きかねない。
そこで国王は通常よりも多くの護衛と侍女を揃えて、更にその中に影武者を仕立てて本物のカナルリアを守る策を立てたのだった。
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ニールは謹慎期間中だったが急遽繰り上げになって、辺境までの聖女派遣の護衛の任に就くことになった。普段は魔獣討伐が主な任務だったので戸惑うニールに、今回は特に守りを固めたいために大盾担当を採用した、と団長から告げられた。あまりに急な決定だったので、ニールは薬草園に顔を出す暇もなく聖女の一行に同行して王都を出た。
途中泊まった宿で神殿宛てにリアへの手紙を書いて、しばらく不在にすることと知らせに行けなかったことを詫びる手紙を書いた。移動するので返事は受け取れないが、任務を終えた帰り道で各地の名産品を買って帰るので楽しみにしていて欲しい、と書き加えた。
「俺達護衛なんだから、一言くらい声を掛けてもいいだろうにさ」
「あの侍女達のガード固いよな。馬車もどれに姫が乗ってるか分かりゃしねえ」
宿の受付に手紙を託して部屋に戻ろうとすると、貸切になっている為に他に誰もいない食堂で同行している騎士達が気の抜けた様子で喋っていた。その中に先日ニールと諍いを起こしたトーマスもいたので、ニールは食堂には入らず足を止めて耳を澄ませた。
ニールを含め騎士団から派遣されている騎士の護衛は道中の馬車の周辺を警護する役割で、姫は泊まる宿に入るとそこは侍女と女性の近衛騎士で固められて、ニール達は近くの宿に待機となる。聖女であり未婚の王族に簡単に男性を近寄らせないようにという当然の配慮なのだが、せめて馬車の乗り降り時に宝石姫の姿を見られるのではないかと期待していた彼らは、徹底して姿を隠されていることに少々不満があるようだった。
「いっそどこかで襲撃の一つでもあればな。そこで俺の活躍を姫に見せてあわよくば…」
今回は団長は同行していないので上官の目がなく気が大きくなっているのか、トーマスは誰かに聞かれたら牢に入れられてもおかしくない発言をし始めた。思わずニールは止めに入ろうかと思ったのだが、今トーマスとは下手に関わろうとすると却って厄介な事態になりかねない。このことを信じてもらえるかはさておき戻ったら団長に報告すればいいとグッと堪えて、ニールは彼らに見つからないようにそっと部屋に戻ったのだった。
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聖女カナルリアを乗せた馬車は、翌日も辺境領へ向けて走っていた。
王族が乗る割には簡素な馬車が五台、周囲に護衛の騎士達が並走する形で進んで行く。この五台それぞれには姫とその影武者が侍女とともに乗っていて、本物がどこにいるかは騎士達には知らされていない。下手に分かっていると、何かあった時の騎士の動きでどこに本物が乗っているか簡単に分かってしまうからだ。現に道中、明らかに人為的に起こされたと見られる落石などがあったりしたので、どれが本物か知らない騎士達はそれぞれが担当している馬車を厳重に守る姿勢を見せた。それが功を奏したのか、姫を狙う輩の襲撃は続かなかった。おそらく今は全ての馬車を同時に襲うには不利と見て、好機を待っているのだろう。
勿論こちらもそのままにはしておかず、次の街で辺境領に入るのでそこで辺境伯専属の騎士団が合流することになっている。ひとまず昼のうちに山を一つ越えれば、武勇で名高い辺境騎士団の協力を得られるのでその先はかなり安全に移動できる筈だ。
山を半分越えて、あと少しだと思った途端、朝から曇天だった空から遂に雨が降りだした。そのまま進むべきか一旦安全な場所まで引き返すか躊躇しているうちにあっという間に土砂降りになり、見通しの悪い細い道で立ち往生になってしまった。そこは馬車が通るには問題ないが、その脇を馬に乗った護衛が付くには少々道幅が足りないところだった。
雨が降っている上に一列にならざるを得ない状況を誰もがマズいと思っていた時、相手はそれを好機と捉えた。
「敵襲!!」
誰かが叫ぶと同時に、頭の上の斜面から顔を隠して帯剣した黒ずくめの男達が一斉に駆け下りて来たのだった。