ニールの悩み
リアは二皿目のハンバーグも全て完食して、更に追加で近くの客が食べていたフルーツで飾られた大きなプリンも全てぺろりと平らげてようやく満足そうに笑った。ニールはランチ二皿でもまだ物足りなかったが、甘い物以外で腹を満たしたかったので別の場所で補給しようと食後のコーヒーを啜りながら、デザート替わりにリアの蕩けそうな笑顔を眺めていた。彼女は甘い物も好物なのか、一口食べるごとにニコニコと幸せそうな顔になるのが何とも見ていて飽きない。リンゴなどの固いフルーツをモグモグとする度に揺れる頬が、皿に盛られたプリンよりもプルプルしているような気がした。
ようやくリアが満足したようなのでニールは纏めて支払いをして、店の外で待っていてもらったリアの側に行くと、再び彼女はションボリとした様子で眉を下げていた。
「どうされました?足りませんでしたか?」
「いいえ、違いますわ。…まだ入りますけど…そうではなくて。無一文のくせに無遠慮にあんなに図々しく食べてしまって申し訳なくて…」
「あれだけ美味しそうに召し上がるので、ご一緒して楽しかったですよ。それに我々騎士は聖女様の薬草にはいつもお世話になっていますし、これくらいでお礼というのもおこがましいかもしれませんが」
「そんな…それはわたくしだけでなく他の皆で育てているものですし…」
ニールからすれば一人や無骨な騎士仲間と食べるよりはずっと充実していたので正直に伝えると、リアは顔を真っ赤にしてフクフクの手で自分の頬を押さえた。プルプルの頬の上に乗るフクフクの手という状態に、ニールは密かに心の中で「あの間に挟まれたい…」などと不埒なことを考えてしまったのだった。
「それでは城までお送りします」
「ありがとうございます」
外に出て帽子を被り直してしまったので、背の高いニールからリアの顔は見えなくなってしまったのを残念に思いながらも、子猫の肉球並みに柔らかな手を引いて並んで歩く滅多にない幸せをニールは噛み締めてリアを城まで送って行ったのだった。
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それからニールは魔獣の討伐に行かない時は積極的に城内の警護に加わり、聖女達の育てる薬草園にも顔を出すようになった。そこで必ずではないが、ニールの姿を見かけるとリアが駆け寄って来てくれるようになった。背の高い薬草の間から小柄なリアがまるでボールのように弾んで見え隠れする光景は、何度見ても思わずニールの口元が緩んでしまう。
お互いに仕事中なのでほんの少し言葉を交わすだけだが、ニールにとってその時間が何よりの癒しだった。
リアは討伐後などにニールが怪我をしているとすぐに気付いて、その場で傷や打ち身に効く薬草の葉を千切って渡してくれた。最初はマズいのではないかと遠慮していたニールに、薬草園の世話をしている聖女には、少しだけなら自由に使っていいという特権があると教えてくれた。何せ薬草の世話と言っても農作業と同じようなものなので、聖女も小さな怪我が付きものだからだ。
それでもニールは貰ってばかりでは申し訳ないと、遠征先で買った小さなお土産をリアに渡すようになった。それは瓶に入った綺麗な飴だったり、猫の形をしたクッキーだったりで本当にちょっとしたものだったが、それを渡す度に柔らかな頬を更にふっくらさせて微笑むリアの顔が見られることがニールの楽しみになっていた。
それから休日が合う日は約束をして一緒に街に出掛けて食べ歩きをしたり、互いに「様」から「さん」付けに変化して行くだけ時間を重ねた頃、ニールが城下の宝飾店で淡い水色の石が付いた腕輪を前に真剣に悩む姿が度々見られるようになった。
(リアさんは多分、いや、間違いなく貴族のお嬢さんだ。だけど俺だって一応貴族な訳だし、ただの食べ歩き仲間から、こっ、恋人同士になって、ゆくゆくは…いやいやいや、とにかく今は食べ物以外で意識してもらえるようなものを…)
ニールは地方領主の末っ子で、一応ではあるが末端の貴族に名を連ねている。この国では跡を継がない限り婚姻すると別の籍になって爵位がなければ平民になってしまうが、それまではニールもまだ貴族だ。同じ時間を過ごしているうちに、ニールは何となくリアが貴族令嬢なのだろうと察していた。ニールが平民ならば難しいが、末端でも貴族であれば交際を申し込み、その流れで婚約、婚姻に至る可能性は十分にあるのだ。
聖女の力は、初代聖女の子孫に現れるとされている。初代聖女の直系である女性王族に最も出やすいが、長い時を重ねてその血は平民にも流れている為、時折平民の聖女も生まれる。しかし神殿では身分の差の意識が生じる前に聖女達を引き取って平等に教育を施すので、平民でもきちんとした礼儀作法と知識を得られることになっている。そのような制度になったのは、過去に身分差から色々と不幸な出来事が起こった為だと伝えられているが、詳細は国の中枢に関わった者にしか知らされていない。
けれどやはりある程度は隠し切れない部分はあり、誰も敢えて口にしないが貴族と平民の出身の違いは分かってしまう。人々はそれを指摘すれば色々と厄介なことになるので、見て見ぬ振りをすることが暗黙の了解になっていた。
(もう少し石のグレードを上げた方がリアさんの瞳の色に近いな…でもなあ…)
付けられた値札の金額のゼロが一つ多いのを確認して、ニールはそっと溜息を吐いた。いきなり高額の物を渡してしまって引かれてしまうのも嫌だが、ニールの稼ぎでは安い方の物でもそう何度も贈れる訳ではなかった。数を増やそうとすれば、一つがおもちゃのような安っぽい物ばかりになってしまう。
ニールは正規の騎士団に所属しているので一般的な平民より稼ぎは悪くないのだが、武器や防具などは支給される物を使いやすくする為に調整するのは自腹になる為、意外と出費が多いのだ。それに任務で怪我などを負った場合、一定の金額までは補償されているが、それ以上になるとこちらも自費だ。
ニールはその体格の良さから、騎士団の中では大盾を担当している。前衛に出て群れで襲って来る魔獣を引き付けて、その間に接近戦担当の剣士が群れのボスを倒す補助をすることが大半だ。他にも仲間の団員が移動する為の道を切り開いたり、撤退する際に負傷者を庇いつつ殿を務めたりもする。一応腰に剣は下げているが、両手で大盾を扱うので一回の遠征で全く剣に血脂も付いていない綺麗な状態で戻って来ることも珍しくない。
確かに重要なポジションを担ってはいるのだが、それが結果として目に見える成果がない。剣士や弓士などは倒した敵の数などで報賞が出るし、凶悪な魔獣を直接倒した者には勲章が与えられる。しかしニールの立場はどちらかと言えば防御に徹するので、それこそ倒した数がゼロであることもある。
それでもニールの下支えを分かっている騎士団長などは、上に掛け合ってニールに特別手当てをつけるようにしてくれているが、少し多めの怪我をすれば吹き飛んでしまう程度だ。
時折、怪我の割に見返りの少ない状況にこのまま騎士を続けてもいいものかと疑問が心をよぎることはあるが、騎士団長が盾を構える為に怪我が前面に集中するニールに「背中に傷のない騎士は最高の騎士の証しだ」と褒めてくれるので、その誇りを胸に何とか続けて来たようなものだ。
最近ではリアと出会ったことも、騎士をもう少し頑張ってみようという気持ちを支えていた。もし騎士を辞めてしまえば、ニールには簡単に城に出入りできるほどの身分もなければ、城勤めの文官職に就けるだけの実力もない。城の中にある薬草園に近付けるのも、騎士であるからこそなのだ。
ニールはそっと宝飾店の前から離れると、リアが気に入っているフルーツケーキを買う為にいつもの菓子店へと足を向けたのだった。