第2話
朝7時には起きるようにしてる。この仕事をしてると時間感覚が分からなくなることがある。だからそのためにこの時間に起きて朝日を浴びてインスピレーションを感じる。私はアラームを止めて重たい身体を起こす。
「ふぁぁ…ねむ…」
目を擦りながら立ち上がりカーテンを開けると眩しい朝日を浴びる。昨日のことがまだ夢みたいであんなに美しい人は存在しないんじゃないかと思えてきた。ふと溢れた言葉。
「また会いたいな…」
自分で言っといて耳まで熱い。顔を手で覆い、大きくため息をつく。不意にスマホがなる。知らない番号だ。
「誰だろ?編集さんかな?」
スマホを耳にあてがい出る。
「もしもーし?春ちゃん?」
昨日聞いた声。一気に心拍が上がるのを感じる。
「ゆ、雪ちゃん?!なんで?!」
「昨日番号教えてくれたじゃーん!さては登録してなかったー?」
彼女の声は電話越しでも分かる。透き通った高い声。今にも叫びたいほどに嬉しかった。この声を聞けた。
「私が番号教えて雪ちゃん帰っちゃったから」
昨日、私の番号を聞いて彼女は帰ってしまった。番号も聞けず、まさか今日電話してくるとは思わなかった。
「あ、そうだった!ごめんね?でも春ちゃんの声聞いたら仕事頑張れそう!」
嬉しくて胸が温かくなる。頑張れるのは私の方だ。彼女の声を聞きたいと思ってた時に電話をくれた。それがほんとに嬉しい。
「おーい春ちゃーん?聞いてるー?」
浸っていると彼女は私に話しかけてくる。
「き、聞いてるよ!ごめん、嬉しくて」
「春ちゃんにお願いがあるの!」
お願い?私に出来ることならなんでもしてあげたい。彼女は続けて言う。
「雪ちゃん仕事頑張ってって言って欲しいな?」
頭にハテナが浮かぶ。そんなことでいいのかな?
「ゆ、雪ちゃん、仕事頑張ってね!」
言って恥ずかしくなる。恋人にするような電話だ。なんて考えてる自分が1番恥ずかしい。
「ありがと!春ちゃん今日はあそこに行く?」
彼女が言うあそことは私の行きつけの居酒屋だろう。毎日のように入り浸って大将に慰めてもらうのが日課だから今日も行くつもりではある。
「行くつもりではあるよ?」
思ったままに返すと電話越しの彼女の声がワントーン高くなった気がした。
「やった!じゃあ私も行くからまたお話しよ?!」
私のテンションも上がる。また会える。その嬉しさを噛み殺しながら私は「わかった、待ってる」と伝え電話を切る。布団に飛び込み嬉しさを抑えきれずじたばたしていた。その時ふと浮かんだアイディアを元に小説を書き始めた。何時間だったのだろう。ご飯を食べることも忘れて、スマホには何件も通知が来ていた。もう夕方くらいだった。母から心配の電話とが入ってるのと15時くらいに彼女からの留守電が入ってる。
「(もしもーし?春ちゃん今忙しいかな?私今日は18時に終わるからその後に飲みに行こうね!待ってるからね!)」
時計を見る。17時24分だ。ヤバい。もう彼女が仕事終わる時間だ。私はすぐに用意をし始めた。着慣れないワンピースに手を通し、いつもボサボサにまとめる髪の毛にもくしを通して整える。いつもはすっぴんなのに眉毛を描いたり、ビューラーでまつ毛をあげる。
「よしっ…」
デートじゃない。ただ同性の子に会いに行く。それだけなのにこんなにお洒落して、少しでも可愛いと思われたい。時計にまた目を向ける。もう17時56分。慌てて階段を駆け下り玄関でいつもは履かないヒールのあるショートブーツを履く。
「お姉ちゃんそんな格好でどこに行くの?」
花乃に声をかけられる。いつも部屋着の私が着替えてメイクまでしてれば気になる。妹に配慮する時間も言葉を選ぶ時間もなかった。
「好きな人に…好きな人に会いに行ってくる!」
思わず出た言葉だけど、この家でこんなに笑顔で清々しく家を出れるなんて、妹は唖然としていた。私はそのまま駆け足で居酒屋まで向かう。あの言葉で胸のつっかえが取れて晴れ晴れとした気持ちだ。私は彼女、近江雪が好きなんだ。そう考えると胸の痛みの理由もわかる。足の重さが消えて軽やかに彼女の元へ向かう。
居酒屋に着いたのは18時少し過ぎたくらいだ。もともとそこまで遠い場所ではない。私は息を整え、店の戸を開く。
「おぉ、春ちゃんいらっしゃい」
いつもみたいに大将は私に声をかけてくれる。そこには昨日居た彼女もいた。今日はポニーテールにしていた。やはり美しい。
「春ちゃん!昨日ぶり!なんか今日はオシャレさんだねー?可愛い!」
昨日と変わらず少年のように微笑む彼女を見てさっき妹に言った言葉を思い出す。
「ゆ、雪ちゃん早かったんだね?」
私は彼女の方まで歩きカウンターの隣席に座る。
「今日は商談で父についてっただけだから!」
私をまじまじと見つめながら説明する彼女の視線が熱い。気合い入れすぎたかな。どうしよう。変かな。
「春ちゃん思ってること顔に出てるよ!可愛いから安心して?」
彼女は私の紙の束をサラッと流してビールを飲んでる。美人の酒飲みは生き返る。なんて思いながら小さい声で「ありがとう」と言うが耳まで真っ赤になってしまった。
「ゆ、雪ちゃんってどこの会社で働いてるの?」
知りたい。彼女を知りたい。沢山知っていきたい。
「私のことより春ちゃんのことが気になるなぁ、私は」
こちらにちらりと目を向け枝豆のお皿を私の方にスっと差し出した。気が利くんだな、なんて感心してた。
「私は、小説家をしてる。でも代表作なんてないから今はライターとして実家で暮らしてるよ」
少し声のトーンが下がる。実家、家の事なんて話したくない。私に関心のない父。結婚を急かす母。見下す妹。そんな中行き場がなくて、明るく話し声のするリビングには近づかず、1人この居酒屋でご飯を食べてる。傍から見たら寂しい子。
「そうなんだぁ。すごいじゃん!」
彼女は私の両肩を掴み向き合わせた。
「ライターとして活動できるなんてすごい!文才があるんだね!じゃなきゃお金貰えないでしょ?!」
彼女の目はキラキラしていてくらい気持ちも明るくしてくれる、能天気と言えば嫌な言い方かもしれないが前向きなんだと思う。見つめられるほどに鼓動は早くなる。
「それに比べて私なんてまだまだだし…早く1人前にならないとなぁ…」
感情の上がり下がりが激しい。明るくなったかと思えば落ち込む彼女を見て私は思わず笑ってしまった。彼女は目を丸くして私を見てた。
「ふふっ…あ、ごめん!でも雪ちゃんは自分に正直なんだなって思ってさ?こんなに綺麗で高嶺の花みたいなのに子供みたいな部分もあって話しやすくて」
彼女は私の目をじっと見つめてその後そっぽ向く。耳まで赤いのが分かる。照れてるのかな?でもいつも少年みたいに意地悪してる彼女のそんな姿を見れてなんだか嬉しい。彼女はわざとらしく咳をする。
「ごほん…私の仕事は曽祖父からの代の会社でね?私の父が今は社長で私はその会社で勉強をしつつ、その会社を支えていきたいと思ってるんだ」
真っ直ぐな彼女はビールを飲みながらでも分かるくらい真面目で努力家なんだなと思った。と同時に疑問が口に出た。
「父が社長?ってことは雪ちゃんって社長令嬢?」
失礼なことを聞いてる自覚はある。でも聞かずにはいられない。でもそんな私を簡単に
「そだよ?」
という彼女はお嬢様。確かに品のある可憐な女性だとは思ってた。まさかほんとに社長令嬢だとは思わなかった。しかも待って、近江ってあのoumiホールディングスじゃない?
「ほんとに春ちゃんは顔に出るよね、あの近江です!」
嬉しそうな顔で彼女が言う。私は言葉を失った。まさかそんな出会いがあるの?なんて頭でぐるぐる駆け巡るがそれよりも何よりも私失礼なことしてないか不安になった。
「え、えっと、その…」
言葉に悩んでると彼女は深くため息をついた。
「私が仕事の話をしたくなかったのはね、気を使われるのが嫌だったから。きっと会社の名前を出すとみんな気を使うじゃん?だから言わなかった。親とか会社とか関係なく私は春ちゃんと仲良くしたいんだけどなー、」
彼女は少し拗ねているように見えた。多分今までは大きな会社の娘だから気を使われて来たのかと思う。でも私が出会った彼女はお嬢様でも社長令嬢でもなく近江雪そのものなんだ。彼女のことを何も知らない私がようやく初めての恋をした相手だ。もしも彼女と出会わなかった息苦しいこの世界での生き方すら分からなかったかもしれない。私は彼女の方に向いて、彼女に向かって言う。
「ちょっとびっくりしただけだから!雪ちゃんがどこの誰でも私は雪ちゃんと仲良くしたいと思ってるから!」
彼女はまた目を丸くしてるがふにゃんと嬉しそうに笑って
「ありがとう!」
といった。でも私は心の中で思った。
私に初恋を教えてくれてありがとう。雪ちゃん。
と。
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