俺たち、オトナの遊びを知らないよな
終業を知らせるメロディーが流れ、誰しもが華金に心躍らせているような、幸福あふれる空間を切り裂いたのは、トラブルメーカーの一言だった。
「よぉしお前ら、今日はぐっちゃんの歓迎会だ! 飲みに行くぞぉー」
そういうのはこう、もっと前もって決めておくことであって、当日の終業後に言い出すようなことではないと思う。
仕事はバリバリこなす人なのに、そこらへんは思い付きで行動するんだよなぁ……。
「いや、そんな急に立ち上げても、みんなそれぞれ都合があるでしょうし……」
なんて、一応は提言してみたものの。
「はいはい! 行きます行きます!」
「俺も暇です!」
「私も偶然偶々!」
少なくとも、新入社員が美少女である夕歌でなければ、それこそもっと平均的な人間であれば、ここまで食い気味な参加表明が相次ぐことはなかったと思う。現金な社員たちだ。
さて、蓋を開けてみれば我が事業企画部の笹嶺課長組総勢8人の参加が確定したわけだが……。
「あとは主役のぐっちゃんだけ!」
「その、同調圧力はどうかと思いますけど」
「なっ! そんな風に感じるか!? すまんぐっちゃん、用事があれば大丈夫だ! みんなもそうだろ?」
一同が「その通り!」なんて反応を見せた。
夕歌はくすくすと笑っていた。
まぁ、本人が困っていないなら、俺がとやかく言う問題ではない、か。
幸い俺も今日は暇……というか、いつも暇だから、全く問題はない。
「え、っと……」
皆がその返答に神経を集中させる。俺も同じだった。
「まだ緊張しちゃうので、群上センパイも来てくださるなら……」
唐突に出た自分の名に、俺は心臓がビクンと跳ね上がる感覚を覚えた。
は? 俺?
さて、それまで夕歌に向いていた視線が、一挙に俺へと集まる。男性社員たちは「わかってんだろうな」なんて、瞳で語っていた。
夕歌のやつ、変なこと言いやがって……。心底うれしいけど、一応はまだ職場だぞ。いや、それが職場フォームでの適切な回答なのか? まぁ、空気は良いし、構わないけど。
「一応、教育担当ですし、どっかの誰かさんが変な絡みしないように見張っときますよ」
当の本人は、「そんなやついるか?」なんて顔をしていた。本当に、これでなぜ人望があって課長にまで上り詰めているのか、社会が理解出来ん。
まぁ、その距離感のはかり方が絶対的に上手いから、というのは、わかりきっているし否定も出来ないんだけれど。
「じゃ、決まり! 予約とっちゃうからさっさと準備しろ皆の衆!」
「おー!」
こうして、親友社員山口夕歌の歓迎会が、突貫工事によって決定した。
「時間は七時! 場所は課内のグループチャットに共有しておく。準備があるやつもいるだろうし、現地集合だ。じゃあいったん解散!」
そう言い残して、笹嶺課長は廊下へと爆走していった。本当に、嵐みたいな人だ。
「七時か。一旦帰ってもいいな」
まだ五時と数分。これから二時間潰すってのも、まぁなかなかに良い案が浮かばない。
とはいえ、俺一人で帰ってしまうのは、それはそれで夕歌に申し訳ない。
……なんで夕歌主体で考えているんだ、俺は。可愛い後輩だからか。そうか、そりゃ当然だ。
「どうする? 山口さん。まだ時間あるけど」
「そうですね。とりあえず、外に出ますか」
「だな。残業してると思われたら面倒だ」
我が社、残業が懲戒クラスの重罪なのである。
ホワイトなんだけど、そこまで極端だと透明だよな。
そうして、既に慣れた足取りでロッカールームへと向かい、当たり前のように合流。なんとなく、嬉しい。
「お待たせしました」
「おう」
そう交わして、俺たちはゲートを通り、外へと出た。
春の暖かさを感じる風が心地良い。
「で、どうする?」
「どうしましょう」
息ぴったりだね、俺たち。相性いいんじゃない?
「俺が聞いてるんだぞ」
「センパイじゃないですか。か弱い部下をエスコートしてください」
「か弱い」
「なんですかその目は」
ジト目って言われるやつ。のつもり。
「いや、別に。ていうか、キャラ変早すぎない?」
既にモードチェンジが為されていた。なんだかんだ言って、こっちのほうが良い。
いや、社会人モードの真面目な夕歌もまた一興なのだけど。
「プライベートなので」
「キッチリしてるね。ある意味真面目かよ」
プライベートでの俺との接し方、どういう設計図なのだろうか。少しばかり気になる。
「時間潰せるところとか、ないんですか?」
そう言われてもなぁ……。
頭の中で、いくつかの選択肢を思い浮かべる。とはいえ、仕事一筋でやってきた俺にとって、社会人がいかにして時間を潰すのか、なんてノウハウがあるわけもない。
「……あ、カラオケあるけど」
まぁ、妥当だろう。妥当か?
「え、私と密室に入りたいってことですか?」
「そうは言ってないだろ!」
人を変態犯罪者みたいな扱いしやがって!
「じゃあどうしてカラオケなんです?」
「どうしてって……そりゃ、ユーカの歌が好きだからだけど」
普通に、アイドルとして歌っている姿が好きだったのもあるし。
「よく恥ずかしげもなくそういうこと言えますね」
「だって事実だし。恥ずかしげがあったらオタク出来ないだろ」
まともだったら、口に出すのも憚られるような恥ずかしいコールなんざ出来ない。
「私の歌、好きなんですか」
急に顔を赤らめる夕歌。褒められるのは素直に嬉しいと見た。弱みを一つゲットだぜ。
「好きだよ」
「もう一回言ってください」
「好きだよ……で、ナニコレ」
俺はなにをさせられているんだ? 辱め?
「私、そんなに歌上手くなかったと思いますけど」
とてとてと俺の隣を歩きながら、自身の歌唱力を評価した。
「上手い下手がすべてじゃないよ」
「じゃあなんですか」
お、これは褒め褒め嬉し恥ずかし照れ顔チャンスだな?
「こう、心に来るというか、真っ直ぐな歌声が身に染みるっていうか。確かに、メンバーの中では歌うま担当ではなかったけど、ライブの時はユーカの歌声が俺に届いてたんだよな。なんつーか、一番――」
「もういいです」
そっぽを向いたユーカに静止された。お気に召さなかったのか? 個人的には素晴らしい褒めだったと思うんだが。
「……ふーん」
やっぱり、そっぽを向いていた。
「でもダメです。カラオケには行ってあげません」
「ちぇー、けちんぼ」
「カラオケなんて密室で、理性を抑えられるわけないじゃないですか」
「俺をなんだと思ってるんだ? 一応、れっきとした社会人だぜ? そこまで野性的じゃない」
「……ふん」
……実際のところ夕歌は俺のことを普通に嫌っているのではないだろうかと、時折不安になる。
いや、であればどうして今隣を歩いているのかという話だが。
「昔から変わらんよな、そういうとこ」
素直なんだか素直じゃないのかわからないアンバランスさ。こっちの心をおちょくってくるようなところが非常に高い推しポイントだ。たまらん。
改めて、推していた女の子が隣を歩いているという現実を噛みしめる。
真面目に働けば報われるんですね、神様……!
「私の何を知ってるんですか……」
愚問、あまりにも愚問すぎる。
「七月七日の七夕生まれ、好きな食べ物はししとう、苦手な食べ物は光物の寿司、好きな色はししとうの緑色……あとは、そうだなぁ」
「もういいです」
ぴしゃりと遮られた。さっきから、話を遮られてばかりな気がするな。
俺が夕歌の話をするのが気に入らないのか。
「なんでや」
「自分のことよく知られてるのって、案外気味悪いということがわかりました」
気に入らないどころか、俺のこと気味悪いって言いやがった。
「相変わらず理不尽だ」
「さ、くだらないこと言ってないで、何か時間つぶしの案を出してください」
「夕歌は何かないのかよ。俺はカラオケが良いって言った」
「だからカラオケはだめです」
「うーん」
やれやれ、あれもだめこれもだめ、なんたるわがまま娘かね。
社会人、大人、大人の暇つぶし……。
「ぱ……」
「はい?」
「パチンコでも行く?」
「バカじゃないですか?」
グッサ。
「そこまで言わなくてもいいじゃん。俺だって一生懸命考えてるのに」
道端の石ころを撫でまわしながら、不貞腐れたように俺はぶつぶつと唱える。そんなマジな顔でバカじゃないですか? なんて普通言える? 言えないよ、言えない。
「私が悪かったから元気出してください。頑張って出した答えが女の子の後輩を連れてパチンコなんですよね。それを頭ごなしに否定したのは考えたらずでした」
その励ましが一番火力高いけどな? きっと、いや絶対分かった上でだよな? くそ、にやにやしやがって。
「俺、パチンコ屋さんに入ったこともないのに」
「じゃあなんで言ったんですか……」
不思議なもんで、俺にも分からん。多分バカなんだろうな。
「つまり俺のサジェスト能力なんざこんなものなのさ。ここはひとつ、ユーカ大先生に最高の案を出してもらおうじゃないの。さぞかしグッドアイディアなんでしょうね」
「うぐっ……」
想定外の転換だったのか、困り顔で唇を噛む夕歌。どうやら君も俺と大差ないサジェスト力のようだな。
さぁ言ってみたまえ、俺をバカとまで言った夕歌様の偉大なるアイディーアを!
やがて、意を決したように、それでいて諦めたように、夕歌はゆっくりと口を開く。
「パチンコでも行きますか?」
「バッカじゃねーの?」