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会社員になっても推しは可愛い

 時刻は正午ちょっと過ぎ。


 ちらほらと昼食に出ていく社員が散見される中のこと。


 俺の隣では、俺が業務内容について簡潔にまとめておいた資料に目を通しながらも、その小難しさに目を回している山口さんがいた。かわいい。


「悔しいです」


 そう、ぽつりとこぼした。


「まぁまぁ、俺も初めは苦労したよ」


「いや、業務内容じゃありません。群上センパイが優秀なのがなんかわからないですけど悔しいです」


「とってもひっかかる発言だな?」


「なんか、イメージと違います」


 あぁ、まぁ確かに。アイドルに対して愛してるだの結婚してくれだの言っていたようなキモキモオタクが優秀だなんて、到底信じられることではないだろう。誰がキモキモオタクか。せいぜいキモオタクだ。


 それに、俺は別に自分を優秀だとは思っちゃいない。頑張っているだけだ。


「それは、上司である俺に対しての発言?」


「いえ、群上センパイ個人への発言です」


 そうかいそうかい。


「じゃ許そう」


 なんかこう、優越感みたいな何かが俺の中でサンバを踊っていたから。


「まぁ、すぐに覚えろってわけじゃないしさ。少しずつでいいんだよ。そんなことより、腹減ってないか?」


「あ、はい。少しだけ」


「そんじゃ、お昼にするか。弁当とか持ってくる人?」


 食堂に誘って、気を遣わせて弁当を無駄にさせるのも、いささか申し訳ない。いや、その場合俺がそのお弁当をありがたく頂きたいとも思えるけどさ。


「あ、今日は朝早くて、時間がなかったので持ってきてないです」


 しかしながら、答えはノーだった。


「じゃ、食堂行くか。さっきはさらっと案内しちゃったし、改めてって意味も兼ねてさ」


「ありがとうございます!」


「……うーん。神楽坂ユーカを知っている身としては、どこかむず痒いな」


「私だって恥ずかしいですよ。私のあんな姿を知っている人にこういう接し方をするのは」


「へぇ、そういうものなんだ」


「ていうか、社内でその名前出さないって約束じゃないですか。私も呼びますよ、あの名前」


「昼飯を奢ろう!」


 ロッカールームからの帰りにした、お互いに過去の名前を出さないという約束をよもやこんなに早く破るとは思わなかった。無能すぎるな、俺。


 その無能さ故に、昼飯代が二倍になることが確定した。チェキ一枚。


「わーい! 群上センパイ優しーい!」


 なんて、満面の笑顔で言い放ったから、俺は思わず頬がゆるんだ。


 周りからすれば、入社初日にして上手くやっていると見えることだろう。俺の人事評価もうなぎ上り間違いなしだ。


 とんとんと資料をまとめ、デスクの引き出しへと片づける夕歌。


 そこで、

「あ、これ鍵のかかる引き出しに入れてね。一応、社外秘だから」


 なんて、ちょっとした指摘。俺作とはいえ、一応は公式のマニュアルをかみ砕いて説明した書類なのだ。


「あ、す、すみません!」


 焦ったように取り出して、入れ替え、鍵をかけた。

 新入社員としての顔が見れたようで、少しばかり面白かった。


「はは、社会人としてはまだまだ駆け出しだな」


 悔しそうに頬を膨らませる山口さん。


 ……改めて、山口さんって呼び方、とてつもなく違和感だな。夕歌さん? の方がしっくりくるというか、それなら夕歌さんもユーカさんもあんまり変わらないというか。心の中で呼ぶ分にはなんでもいいだろう。じゃ、夕歌で決まりだな。


「……ごめんなさい……」


「うぇ?」


 思い当たる節のない謝罪に、素っ頓狂な声をあげた。


「その、黙っていたので、怒ってるのかなと」


 俺、そんなに難しい顔をしていただろうか。部下に不安を与えるなんて、上司としてはまだまだ駆け出しだな。


「ごめん、そういうわけじゃなくって。山口さんって呼ぶの、なんだか気恥ずかしいというかなんというか」


「私の名前、変ですか?」


「あぁあ違う違う! 誤解だ。こう、俺が生真面目に接している姿を君に見られるのが、なんというか、こっぱずかしい」


 授業参観に母親が来た時の恥ずかしさ然り。


「あの、それ、私の方が余程恥ずかしいですけど」


「え? なんで」


 アイドルは見られるのが仕事というか、あれが役割なんだからいいと思うけどな。俺の場合、あれが本性なのであって、それを社内で唯一知っている夕歌に真面目な態度をとるのは云々。


「……はぁ。もういいですよ。相変わらず朴念仁」


 何を言ってんだか、さっぱりわからなかった。


 けれど、少し頬を赤らめていた夕歌を見るに、気恥ずかしいというのは間違いないのだと思った。


「とりあえず、食堂行こうか」


「そうしましょうか」


 そう言って、俺たちは昼休憩へと向かった。

 休憩のタイミングが自由な会社とはいえ、この時間は必然的に混雑する。そりゃ、お昼時だからな。


「結構人口密度高いな」


「そうですね」


 最後尾へ並ぶ。前方には推定三十人ほど並んでいた。この分じゃ五分は待つな。


「午前中働いてみてどうだった? さすがに疲れた?」


「当然ですよ。まぁ悔しいですけど、群上センパイが教育担当で良かったなとは思ってます。ひっじょうに悔しいですけど」


「……俺のこと、嫌いなのか?」


 だとすれば、少し、いや、多大にショックである。明日から心の病で傷病休暇をとることになりかねない。


「いや、好きですけど」


「うっ」


 想定外の返答。思わず顔を逸らした。多分、俺は今、かつてのキモキモオタクの片鱗を見せてしまっているだろう。そんな顔を見られるわけにはいかない。


「お昼をご馳走してくれる優しいセンパイですし」


「現金なやつ」


「まぁでも、なんとかやっていけそうです。朝までは本当に不安で不安で。でも、今は心が軽いです」


 しかし、こうして並んでみると、小さいな。アイドル時代から身長は伸びていないらしい。三十センチくらい差があるんじゃないか、これ。150センチくらいか。


 まぁ、

「それなら、良かったよ。悩みとかあったら、いつでも話してね。一応は上司だから」


「……」


 なんでジト目?


「あ、あはは。異性に言いにくかったら女性社員でも――」


「ま、いつかは頼るかもです」


 存外、頼りにしてくれているらしい。それはそれで、先輩として嬉しい。


「とはいえ、悩みとかを抱えさせないのが、俺の仕事なんだけどね」


「あぁ、確かに。群上センパイ、優秀ですもんね」


「もう少し声に感情を乗せるといいと思う!」


「あぁ、確かに!」


「そこじゃねーよ……」


 十中八九、わざとやっているのだろう。昔から、身長もそうだし、こういうところは変わっていない。


 うっわ、懐古厨みたいなこと言ってら。


「あ、もうすぐ私たちの番です」


「おう。何にする?」


「おすすめありますか?」


 来たな、そのド定番を手堅く抑えたクエスチョン。あるぜ、俺が毎日のように食べる最強の定食が。


「チキン南蛮定食だ」


「すみません、たぬきうどんください」


 マジで、こいつ……。


「俺はチキン南蛮で。って、言わなくてもわかりますよね。いや、これでも最近脂質控えてるんですよ。昼は仕事の為に特別です」


 食堂のパートさんと楽しげに会話を繰り広げる俺を、夕歌は苦笑いを浮かべながら眺めていた。


 それぞれの昼食が乗ったトレイを受け取り、食堂を見渡す。


 空いてる席は……あ、あった。

 窓際にある六人掛けのテーブル席。そこの一番窓側の対面二席。


「あそこ空いてるね。行こうか」


「あ、はい」


 ロッカールームへ向かう時の反省を活かして、小さな歩幅で進む。振り返ると、やっぱりとてとてとついてきていた。

 ちらちらと後ろを確認しながら、空いていた席に座る。隣に座っていた社員に軽く挨拶をして、着席。


 夕歌もおどおどとしながら、新入社員の山口夕歌だと自己紹介をしていた。


 やっぱ、新入社員の社会人なんだなぁと再確認。


「いただきます」

「いただきます」


 二人揃ってそう言って、食べ始める。


「チキン南蛮、美味しいのに」


 これを共有出来ない悲しさたるやタルタルソース。


「私はうどんが好きなんです」


「じゃあなんでおすすめ聞いたんだよ」


「社交辞令って知ってますか?」


「こんにゃろ」


 ふん、としかめっ面を浮かべて、米をかきこむ。


 茶碗越しに、ちゅるちゅると、一本ずつうどんをすする夕歌を盗み見る。

 元アイドルなだけあって、目鼻立ちは美しい。ぱっちりと大きい目。細く伸びたきれいな鼻。薄紅色の唇。肌荒れを知らない綺麗な肌。

 見れば見るほど、アイドルとしての道を断った理由が見当たらなかった。


 とはいえ、聞くのも野暮だろういう認識くらいは当然あるのだ。良識はある。


「食べないんですか?」


「あぁ、いや。食べるよ」


 ったく、人の気も知らないで。こっちは目の前で推しが飯食ってんだぞ。そんなことあるかよ、普通。これでも平常でいる努力に余念がないんだ。


 そんな中、俺たちの隣で談笑に励んでいた四人グループが退席した。


「二人きりですね」


 なんて、いたずらっぽい笑顔を浮かべたものだから、俺は思わず、米をかき込むように茶碗で顔を隠した。


「このテーブルでは、な」


 そう言い返すくらいが、俺の精一杯だった。くそ、ずっと後手後手だな。


「そういえば、脂質控えてるんでしたっけ?」


「聞いてたのかよ」


「聞こえちゃっただけです」


 なぜか不機嫌そうにふんとそっぽを向いた。夕歌。しかし数秒後、視線は俺のチキン南蛮へと向いていた。


「にしてはそのチキン南蛮は多いですね。それでは」


 そう言って夕歌は、俺のチキン南蛮を一個、箸でつまんで口に放り込んだ。


「上司の飯を盗むな」


 関係性が良好なのは言うことなしだが、流れで他の上司に同じことをしたら、教育係である俺の方針を疑われかねない。


「今、休憩中ですよね?」


「そうだな」


「じゃあ業務じゃないですし、プライベートの接し方でも良くないですか?」


 ……ものすごい微妙なラインの問いかけだな。


 会社内だから一応は上司と部下である。が、それでも休憩中は業務外なわけだし、当然仕事の指示なども厳禁だ。

 とするならば、夕歌の説は正しいのか? いわゆる、時代の流れ? そういう時代か?


「それなら、まぁ、いい、のかねぇ。屁理屈のような気もするけど」


 いやそもそも、

「プライベートだとしても、人の飯を盗むのってどうなんだ?」


「別に盗んだわけじゃありません。私のうどんあげます」


 どんぶりを差し出す夕歌。


 しばし俺の中で問答。


 夕歌の食べていたうどん、シンプルに食べたい。うどんは好きではないが、夕歌の食べかけというポイントが非常に高い。しかしここで安易に受け取るのはセクハラととられてもおかしくはないだろう。


 そんな風に、オタク気質な部分とコンプラ意識のはざまで、タガが外れたやじろべえのように揺れる。ぶんぶん。


 やがて出した結論は、

「午後に備えて少しでもたくさん食べな。午後からはもっとビシバシいくから。当然、そこからは上司と部下だからな」


 少しばかりの仕返しだった。


 しかしまぁ、食べなかったことをその日の夜に死ぬほど後悔したってのは、また別のお話である。

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