戦う友と書いて戦友
「忘れもん、ねーか?」
昨日のうちに洗濯しておいたスーツを着こなした夕歌に、そう尋ねた。
「大丈夫ですよ。それに、もし忘れ物があっても、明日会社で渡してくれればいいじゃないですか」
にしし、なんて笑う。
「バカ言え、誰かに見られたら変な疑いかけられるだろうが」
誰に見つかっても、そりゃ怒られたりはしないだろうが、都度ネタにされるに決まっている。
「後輩を二連泊もさせた人が言うことですか?」
「おう、もう二度と泊めないから安心しろ」
「私との添い寝、気持ち良くなかったですか?」
照れ顔で、痛いところを突きやがる。もうなんていうか、バカみたいに動揺することもなくなったというか、もはや慣れた。
「ユーカはずいぶん気持ち良さそうに寝てたぞ」
「今私の話関係あります?」
からかおうとして、真っ直ぐ返されて照れるってのが夕歌の可愛らしいところだ。ザ・空回りって感じがして。
「なんかさ、唇に変な感触が残ってんだよなぁ。心当たりない?」
「さ、さぁ? 少しもありませんね」
あ、焦ってる。本当に寝てると思ってたのか。
我ながら、完璧すぎる寝たふりだったらしい。
「ふーん……で、もっと大人になっちゃいますね、かぁ。何したんだ?」
「えっ……え……?」
明らかな動揺。ものすごい勢いで暴れまわる瞳。
たまにはこっちがからかう側に回っても、バチは当たらないだろう。
「ち、ちちちちが! あっえ、あっあっ!」
真っ赤な顔で両手をぶんぶんと振る。早すぎて指が三十本くらいに見える。
「何焦ってんだ?」
そうは言っても、俺も動揺しないように必死なんだけど。
たまには攻撃のチャンスくらいくれたっていいだろう。
「起きてたなら起きてるって言ってくださいこのばかぁ!」
あぁやっぱり、あえて声に出して俺が寝てるか確認してたのか。なんというか、そういうせこい真似するところも可愛いし推せる。
「いや、ほぼ寝てたんだけどさ、隣の独り言がすごくてな」
「ぜ、全部っ……?」
「おう、バッチリ」
思いっきりサムズアップしてやった。
「帰ります」
「おう、また明日な」
夕歌が全力で「は?」みたいな顔をした。
「引き留めてくださいよ!」
「引き留めてほしいのかよ!」
この状況で? 女心、わかんねーなぁ……。
「恥ずかしいから今すぐにでも帰りたいです」
「どっちなんだよ」
「でも駅まで送るくらいはしてくださいよ」
いくらなんでもわがまますぎるだろ。
「最初からそう言えばいいのに。なんならそのつもりだったし」
靴を履き、玄関から出る。暖かな春の陽気に当てられながら、俺たちはエレベーターへと乗り込んで、そう言った。
「ふん、性格悪いですね。だから彼女いないんですよ」
閉まるエレベーター。響く夕歌の小言。
「ユーカがいるから別にいいよ」
「っ……! なんだか、昨日から群上センパイと立場が逆転してる気がします……悔しいです」
肩をがっくりと落として、分かりやすく落ち込む夕歌、いつまでも転がされると思うなよ二十歳の小娘が。
とはいえ、
「そんなことねーよ。結局俺はユーカに振り回されてんの」
ライブハウスで夕歌を見つけた、あの日から。途中、空白の期間はあれど、それでも、ずっと、ずっと。
「どうでしょうね」
「いや、それは思ってる以上に本当だぞ」
「途中でライブに来なくなったのにですか?」
夕歌は、俺の発言に全くもって納得出来ないといった様相で、俺を見ようともせず、屹然とした態度で言い放った。
「それは……俺にも色々あったというか、その頃はさ」
就職したばかりの頃。
俺が、夢から逃げた頃。
なんて、少し嫌なことを思い出したのは、マンションを出て路地に進み、駅へと向かっている中だった。
「あれ? かぐちゃん?」
なんて、不意にそんな声が届いた。
とはいえ、それが俺たちに対してだなんて思いもしなかったから、俺は構わず歩いていた。
でも、どうやら、それは間違いなく俺たちに、正確には、隣で気まずそうな顔をしている夕歌への言葉だったらしい。
「あ……ミク……」
ん? ミク?
「えー久しぶりじゃん。卒業ライブぶりだよね? 急に連絡とれなくなっちゃうんだもん。心配してたんだよ。でも会えて嬉しい!」
あ……この子、神宮寺ミク、らぶくらのメンバーだ。
俺は思わず、別人のふりをしてその場を通り過ぎ、物陰に隠れて耳を澄ませた。色々と面倒な話の流れになるのも御免だった。
盗み聞きのような気もしたけれど、この際そこには目を瞑っていいだろう。
「ごめん。色々あって」
さて、夕歌の様子が、どこかおかしい。
俺に見せたことがない表情? 側面? なんて言ったらいいかはわからないが、どんな感情の元に生まれている姿なのか、わからない。
「かぐちゃんが卒業してから、うちらも結構大変だったんだよー? グループとしての形も変わって」
「え……? いや、でも……私、ファンもいなかったし……」
「何言ってんのさ。人気があるとかないとか、そんなの関係ないよ。なんならユーカとうち、二人でビリ争いしてたじゃん」
けらけらと笑った。
そういや、そうだったな。
しかしミクもミクで、容姿も良ければ性格も良い。だってのに、夕歌より少し人気があったかどうか、程度だった。
それくらい、アイドルの人気ってのは不安定なんだ。
「なんかさ、かぐちゃんは自分が足引っ張ってるって責任感じてたみたいだし、それに唯一のかぐちゃん単推しのファンの人も来なくなってさ、ちょっと精神的に参ってるなとは思ってたんだよね」
それ、もしかして、俺のことを言っているのか……? 唯一の? それが、グループでの共通認識だったってのか?
「や、えと……」
「だからかぐちゃんのメンタルに限界がきちゃって、卒業を決めた時も止められなかったのは、うちは後悔してるんだよ」
「ごめん」
申し訳なさそうに俯き、ぼそりと零した。
「え! まってまって! 全然責めてるわけじゃないよ! ……でも、そのスーツ、就職したんだね」
対するミクは、カジュアルな服装に身を包み、髪も金髪に染め上げていた。
「うん、そう。私は、アイドルにはなれなかったから」
なんて、その表情は、あの日、酔っぱらった夕歌が同じようなことを口走った瞬間と似ていた。
「でも、ちゃんと就職するなんて、かぐちゃんは偉いよ」
「そんな……ことない……」
……夕歌? どうしたんだ? なんでそんなに震えているんだ?
「いやいや、そんなことあるって。いつまで夢追っかけてるんだって、笑っちゃう。でもまぁそろそ――」
「そんなことないって言ってんの! なんなのよさっきから! こっちの気も知らないで! 私とあんたは違うのよ! 私は……あんたとは……!」
辺りを包む静寂。まばらな通行人も、何事かと視線を向けていた。
それでも、夕歌は気にも留めていないようで、俯きながら、肩で息をしていた。
「あんたは私には眩しすぎる。もう顔も見たくない。さっさとどっか行ってよ」
なんて、絶縁宣言。
ようやく会えたって嬉しそうにしているミクにそんな態度、あんまりじゃないのか? って、俺は思ったけれど。それでも、俺が首を突っ込むべき話ではないと理解もしていた。そんなジレンマが、俺の中で渦巻く。
「ど、どうしたのさ。うち、なんか悪いこと言っちゃった?」
「……あんたがどっか行かないなら、私が行く」
それだけ言い残した夕歌は、何を思ったか、駅の方角へと向かって猛然と走って行った。
あまりにも唐突で、理解が出来なくて、俺は、ただそこからボーっと眺めていることしか出来なかった。
ふと我に返り、追いかけようとしたけれど、既に背中は見えなくなっていた。流石に、体力あるな、あいつ。
いや、そんなことよりだ。
問題は、今ここで、茫然と立ち尽くすミクである。
ある意味放心状態というか、それに似た状態。
「えっと、大丈夫?」
気付けば、声をかけていた。
心配、って気持ちが大きかった。
「え……?」
驚いたような、戸惑ったような表情だった。
そりゃ、俺みたいな一ファンのことまで覚えているわけはないのだ。夕歌の前例があったから、勘違いしていた。身の程を弁えろよ。
「あぁ、いや! その、急に大きな声がして、喧嘩かなって、心配になっちゃって……。すみません、迷惑でしたね……」
何をやっているんだ、俺は。
苦楽を共にしたメンバーに一方的な絶縁宣言をされた直後の女の子に声かけるとか、デリカシーなさすぎだ……。
「ごめんなさい。ちょっと動揺しちゃってて。でも、ありがとうございます」
急に見知らぬ人に声をかけられたってのに、随分とはきはき喋るものだな。
「こっちこそ、なんかごめんね。首突っ込むみたいな真似しちゃって」
よく見れば、目尻に涙を浮かべていた。
その雫を指で拭った彼女は、一度小さく深呼吸をする。
「一人だったら、どうしようもなく落ち込んでたかも。むしろありがたいかな」
「そう言ってもらえると気が楽だよ……ははは」
あわや通報といった事案であったが、ミクの予想外の対人スキルによってことなきを得た。
それどころか、だ。
「はぁ……ねぇお兄さん、うちのどこが悪かったと思う?」
なんて、初対面とは思えない質問をなげかけてきたことは、俺の脳で処理出来る意外性ではなかった。
「え? いや、事の顛末が分からないから、なんとも言えないんだけど……」
「ま、そうっすよねぇ……お兄さん、時間ある?」
「本当は予定があったんだけど、まさに今消滅したところ」
夕歌、どっか行ったし。まぁ、帰ったんだろうな。追っても無駄だろうし、何より、今は一人にしてやった方が良さそうだ。
「ふーん。じゃ、ちょっと付き合ってくれない?」
「君の予定は?」
「お姉ちゃんの家に行く途中だけど、別にいつでもいいの」
「ふーん。いやまぁ、良いけど。初対面の人、そんな風に誘うか?」
「うーん。初対面なのに、初対面に感じない、みたいな? なんか親しみやすいっていうか? まぁ良いじゃん。良い店知ってるからさ」
そりゃ、その実初対面ではないからな。




