推しに燃えよGドラゴン
「えぇと、これから、一応先輩として、山口さんの教育係になります、群上龍也です。よろしくお願いします」
混乱する脳内、動転した気。冷静を装うのが精一杯だった。
目の前に立っているのは、見間違えようもない、アイドルグループ『らぶくらすたぁ』の端っこ、神楽坂ユーカ。
なんとか俺は精一杯の平常心を保ち、淡々と説明を果たす。
正面に座る神楽坂ユーカ改め山口夕歌は、真剣な面持ちで、俺の話を何度か頷きながら聞いていた。
この子、本当にあの、輝かしいアイドルだった神楽坂ユーカ、なんだよな?
そういえば、一年と少し前に、大学時代の友人から「お前の元推しの卒業ライブあるけど、行かね?」とか誘われたな。つまり卒業後に別のグループに入ったりもせず、アイドルはきっぱりやめたということなのだろう。
……もったいない気もするけどなぁ……。
まぁ、人違いである可能性も否定出来ないところ。けれど、あの頃の面影を、俺は感じざるを得ない。
「わかりました。ご迷惑をおかけすることも多くあるかと思いますが、なにとぞ、よろしくお願いします」
「お、おう……」
話したのは、これが初めてではない。
ライブイベントが行われると、物販が行われる。その中で、チェキを撮影することが出来るんだが、無論、そこで会話を交わす。
ましてや、大学生という暇を持て余したようなモラトリアル満喫ボーイだった俺は、それはそれは足しげく通い、撮ったチェキの枚数は軽く百枚を超える。一枚いくらだ? 千円だ。考えるな、馬鹿たれ。
それでもまぁ、ある程度まともと言える社会人になったのだから、その経験も決して無駄ではなかった。と信じたい。
神楽坂ユーカはグループでの人気が最下位を競っていた。とはいえ、らぶくらすたぁはそれなりにファンの多かったグループだし、最下位とはいえども、接したファンの数は計り知れない。
それに、ふと通うことをやめた俺のことなど、彼女が覚えているわけもないのだ。
と、いうわけで、
「じゃあ、ロッカーとか案内するから、ついてきて」
俺も、別にそこまで身構えてやる必要はないと判断した。挙動不審に接するほうが、むしろ問題である。あらぬ誤解を招いては、まがりなりにもめちゃくちゃ好きだったアイドルの新人研修係及び直属の上司という立場から突き落とされかねない。
こんな役得を失ってたまるか、という話なのだ。
だってほら、もしかしたら飲みに行ったり出来るかもしれないわけだろ? うーん、楽しみである。今はアイドルではないのだから、その辺もご法度なんてこともないだろう。
おっと、いかんいかん。今の俺はあくまで上司だ。おかしなことを考えるんじゃない。
「あ、はい!」
さて、元気よく返事をした山口さんは、俺の後ろをとてとてとついてくる。歩幅が大きかったか?
それから、他の社員さんたちもいるオフィスを通る。山口さんは一人一人にしっかりと挨拶をしていた。得意の笑顔をふりまいて。
意外としっかりしているな、なんてのが、俺の率直な感想だった。まるで別人だ。
そうして、俺たちは廊下へと出た。
無言で歩く俺たち。まぁ、山口さんは緊張しているだろうし、無理もない。
で、なんで俺まで緊張してんだって話だ。いや、するなという方が無理がある。だって元とはいえ推しだぞ? 目の前にかつての推しがいるんだぞ? 無理に決まってんだろうがボケ。
おっといかん。社内では真面目で誠実な社員を装っているってのに、ついうっかり脳内で本性がヌルッと顔を出した。ひっこめ不細工。
さほど大きい会社ではないものの、そこそこ広いオフィスを持つわが社は、食堂やシャワールームも完備している。
そこらを一通り案内しながら、俺たちはロッカールームへと到着した。
「一応、女子と男子で分かれてるから、俺は外で待ってるよ。荷物だけ置いておいで。ロッカーは……まぁ名札のついてないところを適当に使ってくれ。後で総務部に名札シール作るように伝えておくから」
「はい、わかりました」
端的にやり取りを終え、ロッカールームへと入室する山口さんを見送った。
……。
…………。
………………。
で?
一体どういうことなんだ?
なんであの神楽坂ユーカがうちの会社に? つーかそもそも、結構人気あったグループだろ、それをやめてまでこうして就職?
いやそんなことよりだ、俺の部下? 後輩?
「た……たまんねーな……」
ぽつりと、本音が漏れた。
「何がたまんねーんですか?」
しかし、間が悪い。思いのほかさっさと初めての業務(ロッカーに鞄を入れるだけの簡単なお仕事)を終えた山口さんに、ばっちりと聞かれてしまった。
「あ、あはは、い、いろいろ?」
「ふーん」
そう言って、ずいっと顔を近づけ、俺を見つめる山口さん。
「な、なな、なんだ?」
あまりの顔の近さに、思わずたじろぐ。
「変わりましたね」
へ?
「へ?」
思考と発言が見事にリンクした。
「Gドラゴン」
えー、一つ、決定したことがある。
真面目で誠実で勤勉で優秀な社員、という俺の造形は、山口夕歌の入社をもってして、粉々に打ち砕かれるようである。
「お、おまっ……!」
何を隠そう、Gドラゴンとは、俺が大学生時代、アイドル現場で使っていたニックネームである。周りからはダサいと言われていたが、俺はそうは思わないね。とてもカッコいい。
「私も驚きましたよ。ある日を境にパタリとライブにも来てくれなくなった薄情なGドラゴンさんがこうして、真面目に会社員をしているなんて」
……なんでちょっと嫌味ったらしいの?
「え、っと。お、おぼぼ、覚えて?」
「ますよ。大切な元ファンの方ですし」
きっぱりと言い切った。
うわぁぁぁやったぁぁぁぁ!
じゃ、なくて!
「よ、よく覚えてたね。ちょっとうれしいよ」
なんとか落ち着きを取り戻し、取り繕う。
「それに……」
「ん?」
「いや、なんでもないです」
「なんだよ、そこまで言い切ったなら言ってよ」
「いやです」
「そこをなんとか」
「い! や! で! す!」
「……君……入社初日……だよな?」
の割には、随分と緊張が抜けたように見える。
「そうですよ。でも私とGドラゴンは初対面じゃないです」
まっすぐにこちらを見据える。なんでそないに自信満々?
「そうだけどさ。ていうかその呼び方やめてくれないか?」
「なんでですか? ライブとかで話す度に俺のことはGドラゴンと呼べって執拗に迫ってきたじゃないですか」
にやりとした顔で悪魔みたいなことを言い放った。
いや、そんなことより、そこまで執拗ではない。ちょっとお願いした程度だったはずだ。
「じゃあ俺も山口さんのことは神楽坂ユーカって呼んでもいい?」
「いいわけないじゃないですか」
めちゃくちゃ真顔でド正論を返された。ぐうの音も出ん。
「理不尽だ……」
しかし、であれば俺のことをGドラゴンと呼ぶのもダメなんじゃないかと思う。
「よろしくお願いしますね。Gドラゴンセンパイ」
「頼む。なんでもするからそれだけは勘弁してくれ。社内での立ち位置が窓際一直線だ」
一年後、俺は主任からシュレッダー部長になっちまうかもしれない。
「冗談ですよ。群上センパイ」
「そ、それならいい」
ふいに向けられた笑みに、思わず鼓動が早くなった。
「代わりに、入社祝いに、居酒屋に連れてってくださいね」
そんなワードで、多分俺の心臓は爆発した。
……うん、確かに心臓の鼓動がなくなっている気がする。
「仕方ないな。お手柔らかに頼むよ」
あーあ。少しずつ思い出してきたよ。
お前はそうやって、小悪魔みたいに振舞って、俺を虜にしたんだったな。
けれど、あえて言っておこう。
今、俺は真っ当に人生のピークである、と。