かくして君はアイドルをやめたのか
「マジで散らかってるけど、文句言うなよ」
「私、男の人の部屋に入るの、初めてです」
「聞いちゃいねぇ」
俺はしぶしぶ家の鍵を開け、ドアを開いた。
「どうぞ」
ドアを抑え、中に入るように促す。夕歌は軽い足取りで、敷居をまたいだ。
「ふふ、おじゃましまーす」
「いやに上機嫌だな」
「そうですか? 気のせいですよ」
「どうだか」
少しは酔いも覚めたらしい夕歌は、すっかりいつも通りといったようで、靴を脱いで、部屋へと向かった。
間取り、少し廊下が長い1K。男の一人暮らしなんざこんなものさ。まぁ、築十年だからボロアパートってわけでもない。七階建ての最上階だから、景色がそこそこ良いのはお気に入りポイントだ。
「へぇ。散らかってるって言ってたのに、全然綺麗じゃないですか」
「そうか?」
デスク周りには紙が散乱していて、ベッドの上には今朝脱いだパジャマ替わりのジャージ。これを散らかっていると呼ぶんだと思うけどな。
「これ、全部仕事関係の書類ですか?」
「まぁ、家に持ち帰れるのは社外秘じゃない書類だから、俺用の資料みたいなもんかな」
「真面目ですね」
「よく言われる」
まぁ、それくらいしかやることないしな。趣味もなけりゃ彼女もいないし。
「それじゃ、失礼して」
なんて言って、床に伏せたかと思えば、ベッドの下をガサゴソと漁りだした。
「……何してんの?」
既に上半身をすっぽりベッドの下に隠した夕歌に、呆れ顔で問いかけた。
「えっちな本を探しています」
んなことだろうと思ったよ。
「そんなもんねーよ」
「それはそれで普通にどうかと思います」
「え、なんで俺が引かれてんの?」
男をなんだと思っていやがるんだこいつは。
ずいずいっとベッドの下から這い出してきた夕歌は、手で叩いて埃を払い、不満そうな顔をした。
「つまらない……」
「残念だったな、俺をおちょくる材料が見つからなくて」
悔しそうな夕歌を尻目に、俺はソファに寝そべった。
「え、何してるんですか?」
頭に三つほどはてなマークが浮かんでいるように見えた。そんなにおかしなことをしたつもりはないんだが?
「何って、寝るんだよ。今日はもう色々と疲れた。風呂は明日の朝でいい」
「ベッドで寝れば良いじゃないですか」
「ベッドはユーカが使って。まだ酔いも覚め切ってないんだから、ちゃんと寝な」
「いえ。大丈夫です。家主は群上センパイですし、私に気は遣わないでください」
「そうはいくかよ。客人をソファで寝かせたり出来るか」
「そこまで気が遣えるなら、普段自分が寝てるベッドで女の子を寝かせようとしないでください」
グッサ。
「……あ、普通に心に深い傷を負ったかもしれない。え、加齢臭とかする? 臭い?」
「いえとんでもな……あ、いや、心なしか臭いかもしれません!」
「そうか……じゃあ俺がベッドで寝る。夕歌は適当に寝てくれ……」
「ちょ、そこまで凹まれると……」
いそいそとベッドに入る俺に、夕歌はそう言って唇をとがらせた。
「じゃ、おやすみなさい。臭い男は悲しく寝ます」
ボディソープ、もう少し良いのに変えるか……。
ちらりと夕歌を見ると、スーツのジャケットを脱いで、Yシャツ姿になった。
は? なんか普通に見惚れちまったんだけど。
「着替え、ないんですよねぇ……ま、贅沢は言えません」
なんて一人言をこぼしながら、ソファへと横になった。
うーん、なんだろうか。この何とも言えない虚しさ。
もしや俺は、とんでもなく惜しいことをしているのではないか? いや、そんなことはないはずだ。
「……」
ちくしょう、変なこと考えんな。相手は推しであれど部下。そこんとこ勘違いするなよ、俺。
俺はソファのほうに背中を向け、布団を頭まで被る。そうすれば、少しくらいはおかしな葛藤から解放されると思って。
「なんですか、これ」
なんて、夕歌が言い放った。
「んー?」
「硬くて寝られやしません!」
「わがまま言うなー」
「これじゃあ疲れがちっとも取れません」
なんて言葉が、先ほどよりも近くに感じたような気がした。
それが気のせいではないと、その直後のベッドの揺れで気付いた。
「やっぱり、私もベッドで寝ます」
もぞもぞと布団に入り込む夕歌。そこまでは良かった。
のだが、こともあろうに、俺の背中から両手を回して抱き着いてきたから、たちまち脳内にエマージェンシーが鳴り響いた。
「ちょ……な、なにしてんだよ」
ぎゅっと抱き寄せられ、感じる夕歌の体温。少しばかり鼓動さえ聞こえるような密着。その鼓動が速いのは、酔っぱらっているから? いや、そうだろう。
「私はいつも抱き枕を使ってるんです」
「俺は抱き枕じゃないけど……」
いかん、嬉しさだったり戸惑いだったり、なんかいろいろぐちゃぐちゃすぎてまともに言葉が出てこねぇ。酒だ、酒のせいだ。うん、間違いない。そういや結構飲んでたし、そうに決まっている。
「迷惑ですか」
「えと……」
「ちゃんと答えてください」
そう言いながら、夕歌は答え合わせをするように、俺の心臓の部分へと手を当てた。あーあ、バレたな、これ。
カンニングはずるいと思うよ、俺は。
「こ、光栄です」
言葉選び、多分間違えてんだろうな。
「ねぇ、群上センパイ。心臓、早いですね」
「やめろよ、お前だって、背中越しでもわかるくらい早いじゃん」
「お前って言わないでください」
不機嫌そうな声。背中に硬い感触。頭突きしたな、こいつ。
「ごめん、ユーカ」
「それで、じゃない、それがいいです」
ちくしょう。なんでこんな可愛いんだ、こいつ。
推しが世界で一番可愛い? 当然だろ、だから推しなんだ。
「で、臭いんじゃなかったのか?」
「……ばか」
小さな声でそう言って、俺を抱きしめる力を少しばかり強くしたきり、夕歌は何も話すことはなかった。
聞こえてくるのは、小さな寝息だけだった。
推しと添い寝? あの頃の俺じゃ、想像も出来なかっただろうな。
それになんで、アイドルやめちまったんだろうな。こんなに可愛くて、こんなに魅力的なのに。
もったいない。アイドル界の損失と言ってもいい。
けれど、その理由が、どこか暗い過去がありそうで、知りたいと思う気持ちと、知らない方が幸せだという自問が、ぐるぐると回っていた。
「考えてもしゃーない、か」
俺は頭からそんな疑問を振り払う。
後ろからの小悪魔の女の子特有の柔らかさを感じ、
「すぅ……すぅ……」
そんな一定のリズムを心地良いメトロノームにして、ゆるやかに眠りについた。




