レオンとハリーと幼いルナと・7
結局、昨日ルナがレオンという男性に出会ったことは、ロージーには話さずじまいだ。
昨夜、テラスから室内へと続く石段でレオンは、「遅くなる前に宿へ行かねば」と言って―――泊まる予定の宿は町に二軒しかないうちの宿賃の高い方だった―――再会を約束して、去って行った。
ルナが広間に戻っても、ロージーはまだ戻っていなかった。
壁際でひとりたたずむルナに気がついたジャクソン夫人が、食べきれなかった菓子を「留守番の教会の子供たちへのお土産に」と下さったので、ありがたく受け取る。
帰りの挨拶を済ませたところに、ロージーが戻って来た。
ロージーの頬は軽く上気し、ワインでも飲んだかと疑ったけれど、お酒の匂いはしなかった。
かわりに、襟元に綺麗に結ばれていたはずのリボンが、来た時とは違い長さが不揃いになっていたが、それには気がつかないふりをしておく。
親切な客人―――たぶんロージーに親切な―――が、貸し切り馬車に同乗させてくれるというので、ご親切に甘えて、帰宅したのはいつもならば就寝する時刻だった。
歩かずに済んだおかげで、今朝は動けないような疲れはないものの、慣れない夜更かしのせいでまだ身体が重い。
などとつらつら考えるのは、礼拝堂の椅子を拭く手に力が入らない言い訳だ、と自覚してルナはひとつ息を吐いた。
寄付のお礼を言いがてら身のふり方を相談するために、午前中にジャクソン屋敷をロージーと訪ねるつもりでいた。
今朝、ロージーに急ぎの繕い物の依頼が入ったことで予定が変わり、今日のところは出掛けるのをやめて、ルナはこうして掃除をしていた。
大扉の脇にある通用口のドアが遠慮がちに開いて、見慣れない男性が姿を現したのと、ルナがしゃがみ込んで拭いていた床から立ち上がったのは、同時だった。
部屋の奥にある説教壇と、入り口とで、お互いに見つめあう。
二十五・六歳だろうか、昨日出会ったレオンより少し小柄だが、均整の取れた体つきと綺麗に整えられた髪は、やはりこの町の人ではないように思われた。
先に口を開いたのは、濃い茶色……焦げ茶色の髪をした男性だった。
「ごめん、驚かせてしまったね? お嬢さん」
二重のはっきりとした目にふさわしい、明るく屈託のない笑顔と、それに似合う声につられてルナも自然に笑みを浮かべた。
「いえ、お気になさらず。お祈りですか」
雑巾を手の内に握りこんで客人の目につかないようにしながら、ついでにさりげなくスカートの座りジワも伸ばしておく。
「そう。早くに目が覚めてしまったから、まずは教会でもと思って。ほら、英知の使徒を信仰する教会は珍しいでしょう?」
礼拝堂の内部は質素で、ステンドグラスも黒枠に乳白色と無色透明のガラスとで構成されており、お世辞にも華やかとは言えない。
建物自体はしっかりとした石造りではあるが、説教壇や椅子、棚飾りといったものは素朴な装飾の木製で、見応えはない。
奥の祭壇に安置されたフクロウを肩にとまらせた英知の使徒(女性)像は、等身大の木製で彩色もなく、こちらも美術的な価値は高くない。
何かお勧めできるものはないだろうか。
せっかく他所から来て、朝の散策にこちらを選んでくれたのだ。印象に残るようなものを……
「そう珍しいものではありませんが、英知の使徒の教会らしいものといえば、フォーチュンカードくらいでしょうか」
やはり思い付いたのは、フォーチュンカードだった。
いつものお決まり。王道とも言える「困った時のフォーチュンカード」
入り口近くの棚にあるカードの入った寄せ木細工の箱を取るために、男性に歩み寄る。
彼は興味深そうな様子で、近づくルナから目を離さなかった。
今日の服は、この辺りの女の子のよく着る、白いブラウスにエプロンドレスの組み合わせだ。
店番をしたり掃除をしたり、日中はこの格好で過ごす女の子は多い。エプロンドレスは、汚れても目立たないよう色が濃いのが一般的。
「フォーチュンカードなら、目にしたことはあるよ。でも引いたことはないんだよね。今、引いてもいい?」
男性は隣まで来ると、目を輝かせて、ルナの手にある箱を覗きこんだ。
「はい。よろしければ、どうぞ。お心のままにお選び頂いたものを身に付けると、英知の使徒のご加護があるのです」
「へぇ」
彼は楽しげに口角を上げた。
「ボクは、実は神を信じないんだよ。ここへ来て言うのもアレだけれど。そうだね、そんなボクでも神聖な場所では、せめて自分の気持ちには正直でありたいと思ってる。このカードには……興味を惹かれるね」
言いながら、迷わずに一番上のカードを取りあげ、そのまま声に出して読み上げる。
「失せ物は見つかる」
ルナは、何も言わない。
ふたりの間に、沈黙が落ちる。
表通りを通る馬車の車輪の音が室内まで響き、ようやく彼は顔を上げた。
「なるほど、まるで知っているかのように、告げてくるんだね。うん。でも、気分は悪くない。このカードは、願いがかなうまで大切にするよ」
初めて会った時からずっと浮かべていた笑みは消えているけれど、彼に会う人は皆、彼を好青年と評すだろう。
ルナは不躾にはならないよう気をつけて、彼を眺めた。
顔立ちも振る舞いも姿も、嫌だと感じさせるところがひとつもない。
陽の光のように明るく陰りのない好青年だ。
初めて会うのに、そんな気がしない……そう思わせるのは、人懐っこく見える茶色の瞳のせいかもしれない。ルナは、ぼんやりとそんなことを思っていた。




