侯爵夫人のお客様・2
睨む相手を間違えている。彼はリリーに応じただけだ。それに日焼け色の肌をした彼の国では唇を頬につけるのが一般的。
「馬は御覧になりましたか」
ジャスパーの目つきに気が付かないはずはないのに親しげな態度をとる男性は、イグレシアスの国から馬と共に海を渡って来た特使だ。
「友人として」ジャスパーが出席を打診したところ「ちょうど二人目の子が生まれる時期と重なるので、残念ながら見合わせる」という返事があった。
そのイグレシアスの名代がこの男性だ。
イグレシアスのお国は、大きく分けると南と北で「我が家が正統な王家である」と覇権を争っていた。優位に立つと目されていたイグレシアスが譲る形で「公爵になる」と宣言し、長きにわたる問題に一応のケリがついて今は国情も安定していると聞く。
結婚は公爵になってからと遅く、まだ第一子も幼い。続けて二人目もできたのは喜ばしい限りだ、とジャスパーは返事をしたためた。
「スカーレットとは似ていないお馬だったわ」
「スカーレットの系統は、速さには定評があるものの育てにくいと嫌われる傾向がございますので避けました。ですが、リリアナ様ならうまく扱えたかもしれません」
リリーは驚きを抑え込んだ。別の紳士と挨拶しているジャスパーの耳には入らなかった事を瞬時に確かめて、問いかける。
「あなた、誰?」
にっと笑う口元に既視感がある。
「『道化師』の甥でございます。先頃一線を退きましたので、代わって私が参りました」
リリーは「リリアナ」と呼び掛けた相手をマジマジと眺めた。どことなく見覚えがある。かの国の人に共通する特徴と言えばそうなのかもしれないが。
「あなた、私と会うのは初めて?」
道化師の甥は白い歯を見せた。
「正しく申し上げるなら、私が一方的に存じ上げております。店でショールを選ぶお姿を拝見しておりましたし、マタドールの部屋のある通りで、窓を見上げながら一夜を明かしたことも」
リリーは咄嗟に相手の口を塞ぎそうになり、思いとどまった。
ジャスパーの顔つきに変化はない。
道化師は毎度この上なく良いタイミングで現れるから、当然誰かしら自分に張り付いていると思っていた。ただ、あの国の男性が女性に向ける視線は煩わしいほど熱っぽく、見張りが特定できなかった。
「それは、寒いなか申し訳なかったわ。急かしてくれたら帰ったのに」
深い紅色に彩った唇で、全く心のこもらない詫びを入れる。
「いえ、想像をたくましくしておりましたので、寒さは気になりませんでした」
なに食わぬ顔で何てことを言うのだと目を見開いたリリーの腰に、ジャスパーの手が伸びた。




