侯爵令嬢ルナ・アイアゲート・グレイ・5
「このたびは栄典に参列する――」
「こんな場所で挨拶は不要です」
ルナが聞いたことのないような硬い挨拶をするアランを止めたジャスパーが、リリーに顔を向ける。
「ここで、タイアン殿下と?」
「昔々のお話よ。あなたのお父様が私達をお茶に呼んでくださった時」
しばらく瞑目し、思い当たるふしがあったらしく「ああ」と低く呟いた。その間、誰ひとり身動きせずに待つ。
「そう言えば、小さな家が欲しいと言っていましたね、アイア」
急に何を言い出すのかと、リリーお母様が警戒したのがルナには分かった。
「屋敷が広すぎてどこへ行くのも遠いから、親子で住める小さな家が欲しいわね」
その親子が「母娘」なのか「親子四人」なのかは、聞きそびれたけれど、ジャスパーお父様のお耳にも入っていたらしい。
「この迷路を潰して、ここに建てましょうか」
「え!? お庭の景観が変わってしまうわよ。それは、どうかしら」
「構いません」
決定事項だと言い切るグレイ家当主とそれを止めようとする夫人の前で、アランは「どうぞ私のことはご放念ください」とばかりに、存在感を努めて希薄にしている。
ここは子供の私が頑張るしかない、ルナは心の内で拳を握った。
「お父様、少し寒くなってきました。お腹も空きました。そろそろお夕食の時間です」
「そうよ、ジャスパー。私達を出口まで最短で連れて行ってちょうだい」
全力で乗っかるお母様リリー。
「出来かねます」
瞬時に返った一言に、リリーが反応する。
「ええ!?」
「私もここへ来たのは初めてです」
何とも微妙な空気になった。確かにジャスパーお父様が迷路で遊ぶ姿は想像がつかない。用事がないから立ち入らない、なるほどとひとり納得するルナ。
頬に指先を当てて、ほうっとリリーが息を吐いた。
「やっぱりこの手しかないわね」
もったいをつけて。
「ジャスパー、私をリフトして。肩に乗せてくれる?」
「肩に立ちますか」
事もなげに言うジャスパー。
「そこまでの高さはいらないわ。さすがに立つのは私でも怖いわよ。木は高くなったけど、肩に座れば見渡せると思うの」
特に打ち合わせることもなく後ろに回り、腰に手を添えて軽々と肩に乗せる一連の動作は流れるように自然で、アランもルナもつい見とれてしまう。
ぐるりと頭を巡らせ、出口から今いる地点まで視線で辿るのは早かった。
「このまま行きますか」と真顔で尋ねるジャスパーの髪を「降りるに決まってる」と悪戯に指で乱して、トンと飛び降りたリリーの身のこなしは軽やかだ。
「さあ、みんなついて来て」
ジャスパーの手を取って勇ましく踏み出した。
少し笑ったような気配を漂わせて、ジャスパーがルナの手を握る。
「つまりは、前回もこうして……」
ジャスパーがリリーの背中に問う。
ひとりのけ者ではお気の毒だと、ルナは空いている手でアランの手を握った。
「木の下を潜ろうとしたら、タイアン殿下に見つかっちゃったのよ。あれは本当に気まずかったわ」
四人で手を繋いでは、歩きにくいけれど、それが楽しい。
「やはり、この迷路は潰しましょう」
「……あなた家を建てたいのじゃなくて迷路が気に入らないのね、ジャスパー」
ルナの耳に「意外すぎて、理解がついていかない」と後ろを歩くアランのつぶやきが届く。
「自慢の両親なのです」
ルナは握る手にきゅっと力を込めた。




