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椿館再びー黒髪の従者・2

 掛けられた声にルナが振り返る。さすがにハリーではなかった。


 声を掛けのは壁際のベンチシートに座っていた、特別客の従者だった。脱いだ上着を無造作に向かいの椅子の背に掛け、燻製肉をつまみに蒸留酒を飲んでいたようだ。


 ハリーより低く男らしい声で、どちらかと言えば……とルナが考えを巡らすうちに。


「女がひとりで食事も気を遣うだろう。ここへ座るといい」

と上着を自分の脇へと移し、空いた椅子を目で示す。


 シチューは部屋へ持って上がるつもりだったので、人目は気にならないのだけれどと思いつつ、せっかくのお申し出を断るのも、申し訳がない気がする。ルナは従者に礼を言い向かいの椅子に座った。


「お気遣いありがとうございます」


「かまわん。どうせ一人だ」

従者は気楽そうに言い、指でハムをつまんだ。


 カトラリーを使わず指でハムを摘まむのは、貴族の間では野蛮なことだろうが、この方がなさると下品に見えないどころか、荒っぽさがまた素敵だと逆に女性に好かれるのではないか。ルナはつかの間、育ちの良い中にのぞく粗野な仕草に見惚れた。



「食べるか?」

その視線を別の意味に取ったらしく、従者が聞いた。


「いえ、そういうつもりでは」

焦って辞退すると、面白そうに目を細められた。


「お前はアンバランスだな」


「アンバランス、でございますか?」

思いがけない事を言われて、そのまま言葉を返す。


「表情や仕草はどうかするとひどく大人びているのに、今のようにまるで子供のような態度をとる。俺のことも、俺が見ていない時に目で追っているだろう?」


「追って……おりましたか?」

それも意外で、戸惑う。ルナにはまるで自覚がない。


「自分では気がついていなかったのか? 娼婦たちの売り込む視線と違って、ひっそりとこちらを気づかうような視線だ。俺が辿ろうとすると実にさりげなく逸らされる。見事なほどだ。職業的なものかもしれないが、他のメイドに感じたことはない」



 肘をついて組んだ指の上に顎をのせ、まじまじとルナを見る。


視線に気圧されて落ち着かない気持ちになるが、ここで負けてはいけないと、ルナは目に力を込めた。


「失礼をいたしました」


「ほう、そこでその顔をするのだな」


呟きが返る。その顔とはどんな顔? と思うけれど、生憎あたりに鏡はない。 挑戦的な顔つきということか、自分で見たことはないけれど。


「お前の身内は?」


いきなり聞かれて、どう返そうかと素早く考えを巡らす。聞かれる意味も不明であるし。


「本当の事を言え。でないと、必要な時に助けてやれない」


 姿勢を変えないまま、従者が真っ直ぐにルナを見た。つい真意を探るように瞳を見つめてしまうと、どこまでも蒼い眸が、言葉と同じようにまっすぐルナに向けらてれる。



 こんなに美しい瞳で本当に見えるのかしらと、ルナはぼんやりと思う。……待って。つい最近同じことを思ったような気が。答えを探してなおも蒼い瞳を覗いていると、従者がテーブルから肘を外し、壁に深々と凭れた。


「その顔だ。視線はその顔だったんだな」

納得がいったと、息を吐く。


また「その顔」ですか? ルナが困惑する。


「さっきの顔とは、別物だ」

本人なのにそんなこともわからないのか、と言外に呆れが滲む。


 ええわかりませんとも。と、ルナが従者に視線で伝える。どうやらずいぶんなことが視線で伝わるらしいと知ったので、活用してみる。


「慕うような、切ないような、物言いたげな、とにかくそんな顔だ。親しくもない男に、そんな顔を向けるもんじゃない」


 従者に真面目な顔つきで忠告された。


 この酒場はお小言を聞くためにあるのか、と思うほどの既視感だ。いっそこの従者を「ハリーさん」と呼んでしまおうかと考える。


「今、くだらない事を考えただろう」


指摘されて、ルナは目を丸くした。


「お前は顔にあまり出さないが、俺はどういうわけか、お前の変化はわかりやすいんだよ。とにかく、美人なんだから、不用意に男を目で追うな。勘違いされるぞ」


「美人・でございますか?」

思いがけない事を言われた。


 ルナはあまり美人と言われることはない。大人びて見えるとか、しっかりしているとか。その辺りが、ルナへのよくある褒め言葉だ。


 後は「大人になったらキレイになるよ」あれは、誰もが言われる一般的なお世辞だ。「美人」と言われる回数が多いのは、ロージーだ。競争にもならない。



「この国の美人の基準は、俺の国とは違うのか? お前は地味にしてるが、結構な美人だろ」


地味な美人……ルナにはもはや、よく分からない。


「料理が冷めるぞ」


 促されてスプーンを取る。地味な美人。シチューを口に運びながら、掬い上げるように見ると、こちらを見ていた蒼い瞳とぶつかった。


「なんだ。地味と言われたのが不満なのか?」

にやりと従者に笑われる。


「例えば、ドレスなんぞ着て見違えるほどになったら『地味』を撤回してやるよ。一度着飾らせてみたいものだな」

楽しげに言われた。

「もっともお前は、敢えて地味にしているんだろうから、そんな日は来ないだろうよ」


続く言葉に、的確に当てられたルナには、返す言葉もない。ごまかす為にシチューに集中するふりをすると、従者はそれ以上追求しては来なかった。



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