独身貴族、噂の婚約者を語る・2
「そんな人がいるとは、とても思えない」
国内の道全てを記憶しているなんて信じられないという意見に、揃って同意している。ジャスパーは強く否定しなかった。
少なくともエドモンド殿下は完璧に把握していらしたはずだ。リリー・アイアゲートに知識を授けたのは、殿下に決まっているのだから。
「『知っていて当然の事を知らなかった』私は、彼女に『恥じることはない。これから覚えればいい』と励まされました。そこまで言われては、同じレベルまで上げなくてはならない」
言葉を切り、ゆるりと一同を見渡した。
「努力しました。他にも似たような例がいくつかありました。私の記憶違いを指摘され、調べてみれば私の知識が最新のものではなかったことも」
もはや誰も異論を唱えない。侯爵夫人に至っては興醒めした様子を表に出している。この話題はここまで。
「学院の理事のひとりとして、彼女のように優秀な女生徒が伸びやかに学ぶことのできる環境を整えていきたいと考えております」
淑女は居間へ移動してお茶を、紳士はこのまま飲酒と歓談となるところを、伯爵令嬢が「学院についていくつかお尋ねしてもよろしいでしょうか」と、ジャスパーに話しかけた。
侯爵夫人が姪である彼女に目配せしていたのを、ジャスパーは見逃さなかった。
「では、室内で」
バルコニーからも視界に入る位置で話すこととする。
「すみません。私にご興味がないのは誰が見ても分かりそうなものなのに、今ならまだ間に合うなんて強く押されて」
学院と口にしたのは、見え透いた口実。謝罪から始まった。夫人より「この時期ならまだ異議申し立てに間に合う」とでも言われて仕方なく、といったところか。
「お話しして脈がなかった、と戻ります。少しの間だけお付き合いくださいませんか」
令嬢の真摯な態度にジャスパーは頷いた。
「舞踏会で殿方とお会いしても『この方』と思えませんの。不躾ですが、グレイ侯がアイアゲート様とのご結婚を決意された理由は……?」
考えてもみなかった事を聞かれた。
「彼女も私と同じく寮生でした。寮生活を想像するのは難しいでしょうが、帰ればそこに常に友人がいる、それが寮です。約束しなくても毎日顔を合わせる。卒業してから、それがいかに心地よく楽しいものだったかに気付きました。私が彼女と暮らしたいのは、再びあの生活を送りたいからかもしれません」
今思いついただけの当たり障りのない理由を述べたが、語るうちに本当にそうかもしれない気がしてくる。
伯爵令嬢は真剣な顔つきになった。
「貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。浮ついた気持ちではなく日々を共にしたい、そう思える殿方を探すことにします」
それほど考えて言ったことでもない。美しい所作の一礼を眺めながら、ふと思う。
普段ならば、アイアゲートについて他人に話す気にはならないのに、今夜に限って気が向いたのは何故か。
彼女は今、何をしているのだろうか。
ざわりと風が吹いた。




