奇妙な訪問者・3
「さようでございますか。承知仕りました、お嬢様」
あまりに丁寧過ぎると嫌味に感じる。恭しく胸元に手を添えた男が僅かに顎を引く。
しかし一歩も動こうとしない。彼も仕える身なら、手ぶらでは帰れない、と言うことか。
理由がいる。主人が納得するような理由が。譲ったのはリリーのほう。
「公子のお手を煩わせてまで、赤毛の馬を連れて帰りたいとは思わないの」
その訳も必要なんだろう。
「スカーレットによく似た馬が活躍して公国杯で勝てば、国中が沸き返るでしょう。いい事に決まってる。でも、『スカーレットの再来』はスカーレットじゃない。そしてタイアン殿下はエドモンド殿下じゃないのよ。上書きして、無かった事のようにするのは何だか違うような気がする」
国を出る時には、そんな風には考えていなかった。
「あるはずの馬牧場がなくて、自分がそう感じていると気がついたの」
だから、探さなかった。
「――公子のお心遣いには、心から感謝しお礼を申し上げます。もし既に馬を見つくろって下さったなら、喜んで連れて帰る。タイアン殿下からお金は預かって来ているので、請求頂ければ乗船時にお支払いできます」
言わなければならない事は、これで全てか。
「お茶でもお食事でも、恐れ多くもお望みとあらば慎んでお受けします」
だって、本来お断りできる立場にない。今まで口にした数々は、お互い名乗りもせずこんな場所だからこその、リリーの甘えであり我儘だ。
口を挟まず聞くだけだった男が、帽子のつばに手を添えた。
「諸々、承りました。では私は、これにて失礼を。お嬢様のわが国での滞在が、良きものとなりますように」
来た時と同じように物音ひとつさせずに出て行く。あれなら埃も立たないんじゃないかと思う。
男の姿が完全に消えるのを待って、リリーは緊張を解いた。体力も気力も、ごっそりと持っていかれた気がする。
さて。こんなに長く話していたけれど、実は寝起きのまま顔も洗っていない。服は着たまま寝たせいでシワだらけだ。
公子に失礼うんぬんの前に、女子としてありえないと言うより、誰にとっても有り得ない。
「先ほどの男性には二度と会わなくて済みますように」を、本日の祈りの一度目にしつつ、リリーはナイフをテーブルへ置いた。




