誤認聖女・8
もう一日欲しかったのはサミュエルの調子を見たかったのがひとつ。
毎日の熱湯での浸け洗いは、今日から止めた。
肌の赤みが引いてダニが原因ではないと分かったから。
ベリーを食べることを止めて三日目。もう痒くないというサミュエルの肌はすっかり元通りで、赤く膨れていた発疹は跡形もない。
「聖女さまは、やっぱりすごいね」
心から感心するサミュエル。
「私の力ではありません。サミュエル様がそういう体質かもしれないと思い付いただけです」
「私は聖女ではありません」は、言っても聞き流されるだけ。
「でもそこで気がつくのが聖女さまのお力だって、パパが言ってた」
何を言っても何をしてもウーズナム父子で誉めてくださる。ルナは諦めて手元の針仕事を再開した。
ふたつ目はこちら。カードはやはり百八枚には程遠く半分と少しになった。かわりにカードを入れる袋をぴったりの大きさで作ろうと、アランに頼んでこっそり針箱を届けてもらった。
最後まで快い返答はなかったものの、頼んだ通り人目につかない木の根に置いてくれるところがあの方らしい、とルナは感謝した。
布は蜂の琥珀を包んできた裂地を使うことにした。布の良さもさることながら、あの琥珀を包んでいた布だ。
ウーズナム卿ならば、この布からも「聖女の力」の残滓を感じるに違いない。――ルナではなくシスターリリーのだけれど。家宝にされそうで少し怖い。
「サミュエル様、苺以外のベリーも控えなければいけませんが、どうしても食べたい時は一粒食べて様子を見てから、大丈夫そうならほんの少しだけ召し上がってくださいね」
夫人に伝えた注意を本人にもう一度する。いつまでも子供のわけじゃない、本人の自覚が一番だ。
「うん。食べるのより摘む方が好きだから、食べられないのは悲しくないよ」
「飽きるほど食べたから特にベリーは好きでもない」とは両親である卿夫妻も初耳だったらしく、今朝の食卓で息子からそう聞いた時には、驚き過ぎて言葉に詰まっていた。
あまりに身近でありふれていると、そういうものかもしれない。港育ちのレオン様も魚より肉を好まれるし、教会育ちの自分は神の存在をあまり感じない、とは口にしない方が良さそうだ、とルナは心の内で考えた。
カードがきっちりと収まる大きさに作った袋の中央に、修道院で作ったビーズペンダントを縫い止める。ぐっと見栄えがした。
これなら良い置き土産になる。ルナは縫い終わりの糸に鋏を入れた。
朝食が済んでサミュエルの部屋で装飾文字の書き方を教えていると、窓の外が賑やかになった。
「何だろう」
サミュエルが帳面から顔を上げて、窓を見やる。
「たぶん迎えが来たのです」
「誰の?」
分かっていると思うのに、ルナに問う。
「私の」
聞いた途端、サミュエルの顔がゆがんだ。泣く直前のように。
「いてよ。行かないで」
切々と訴える表情は胸にせまる。でも行かないわけにはいかない。
「ずっとここにいてよ。聖女さまがいなくなったら、僕また痒くなるかもしれないよ」
治ったから行ってしまうと、子供らしく考えたのだろう。
「大丈夫です。サミュエル様は気を付ければ、これからはこの季節も痒くなりませんよ」
サミュエルが席を立ち、ルナにぎゅっと抱きついた。座ったままのルナの首もとに顔を埋めてささやく。
「イヤだ。離れたくない。ずっと一緒にいたい」
ルナはサミュエルの背中に手を回し、言葉ごとそっと抱きしめた。
この辺りに年齢の近い同じような身分の子供は、そうはいない。公都に出る年頃になるまでは、せいぜい親類縁者の子供同士でしか親しく遊ぶことはないだろう。
そこにルナが来た。毎日飽きもせずに遊べば、離れがたいのも当然。ルナとヘザーが一緒に過ごした夏の別れ際もヘザーは泣きじゃくっていた。
それを思えば泣かないだけサミュエルは強い。
「また参ります」
「……十五年後とか言うんだ」
僕知ってるもん。あの儀式は十五年に一度しかないんだよ、と顔を埋めたまま口にする。
「サミュエル様が大きくなって、公都の学園に行かれるようになれば会いに行けます」
サミュエルは答えない。
「それまでは、お手紙を書きます。お手紙で装飾文字のお稽古をしましょう」
「サミュエル様のお手本になるように、綺麗に書きます」
これ以上どんな約束が出来るというのか。ルナの住む町とここでは馬車で七日の距離。隣国ミモザの城へ行くより遠いというのに。
「大好きだよ、聖女さま」
震えるサミュエルの声は、仕方がないと別れを受け入れたことを伝える。
「私もです。サミュエル様」
良家の子息なのに、偉ぶりもせず下働きのする洗濯まで一緒にしてくれた。
痒みに耐える我慢強さも、理解力の高さもサミュエルの美点を数えたらキリがない。
ルナにかじりついたままのサミュエルの背中を撫でていると、使用人が呼びに来た。
やはり外の馬車は迎えだった。




