過去からの贈り物・1
翌朝、ルナは薪の爆ぜる音で目覚めた。
草地に敷かれた厚手の敷布の上で身を起こし、寝乱れた髪を、ぼんやりとしたまま背中へと流した。
少し体が軋む。外で寝たのは初めてだ。寒くも暑くもない夜で支障は全くなかったけれど、毎日外で寝たいとは思わない。
身体に掛けていた毛布を畳む。考えなくても、手が勝手に動いた。
「おはよう、ルナちゃん。紅茶が入ってるよ」
朝から明るく楽しげなハリーの声と共に、たっぷりと紅茶の入った錫製のカップが手渡された。
「じっとして。今、髪をまとめてあげる」
そのまま背後に回ったハリーが、リボンを片手に器用にルナの髪を軽く編みはじめた。
首筋をハリーの指が掠めて、ルナが思わず首をすくめる。
「ごめんごめん……気をつけるよ」
ハリーは申し訳なさそうな声で謝りながら、手早くまとめ上げていく。
すぐにルナの髪は、ゆるいフィッシュボーンになった。普段はしない編み方だ。
なんとなく、されるがままになっていると、注がれるレオンの視線に気がついた。
「おはようミレディ」
レオンに先に声を掛けられる。
「おはよう、レオン」
口にしてから、何かがひっかかる。
「おはよう」の後は、いつもは「レオン」ではなく「オスカー」では?
……間違えた!……
はっと我に返り、散らかった思考をつなげる。
「お早うございます。レオン様」
きちんと挨拶し直したのに、レオンの表情に落胆がよぎったように見えたのは気のせいだろうか。
見ていたハリーの口元が意味ありげな弧を描く。
「ルナちゃんは、昨日すごく疲れちゃったから覚えていないかもしれないけど。ボクたちはとても仲良しになったんだよ。ルナちゃんは、オスカーとも名前で呼びあってたんだし、ボクも名前呼びでお願いしたいんだよね」
ハリーの言うのは、つまり「さん」無しで、「ハリー」と呼び捨てにして欲しいということで。
「さすがに、それは」
家族でもないのに、年上の男性を呼び捨てとは。
なかなか「はい。そうします」とは言い難い要望だと、ルナは困ってしまう。
オスカーの呼び捨ては、幼かったからこそ出来たことだ。
……この方は本当に無理をおっしゃる……
口に出さずに思うと、ハリーが探るようにルナを凝視した。
「ハリー。そろそろ行こう」
レオンが言い、立ち上がるルナに手を添える。
「ああ、そうだね」
頷くハリーをルナがそっと盗み見ると、いつも通りのハリーがいた。
確かめたい事のあるルナを先頭に、邸内を進む。
ルナは迷いのない足取りで、昨日とは別の部屋へ向かった。
二階の南角。子供部屋として作られたであろう部屋は、ルナが住んでいる時も子供部屋として使われていた。
当時と何ひとつ変わらない室内の様子が、ルナの心を締め付ける。昨日よりも頭がはっきりとしている分、辛さは痛みのように押し寄せてきた。
レオンとハリーは、入り口に並び立っている。
無言で、口出しはしないと告げているようだ。
ルナは二人の見守るなか、四本ある飾りタイルの柱の内の一本を指で辿ると、床にペタリと座り込んだ。
飾りタイルを隙間なく張り付けた柱は、このマナーハウスが建てられた頃に流行した室内装飾だったのだろう。
ルナは、柱の一番下のタイルの右上を押した。
何も変化はない。
左上を押した。押し込むことの出来る感触があり、かわりに右下角が浮いた。嵌め込まれたタイルが斜めにずれ、簡単に外れた。
割らないよう注意して、外したタイルをそっと床へ置く。
ハリーとレオンの存在も忘れて、ルナはぽっかりと柱に空いた空洞を指で探った。
すぐに指先に触れたのは、蓋つきのガラスの小瓶だった。
蜂蜜色のキャンディとスミレの砂糖漬けが瓶の口までぎっしりと詰まっていて、まるで昨日入れたかのようにキラキラと光を反射する。
ルナが大好きだったことすら忘れていたお菓子。
オスカーは時々、こっそりここにプレゼントを入れてくれていた。食べ過ぎるとママに叱られるのに、オスカーはすぐにルナを甘やかす。
これが最後の贈り物になってしまうなんて、オスカーも入れた時には思わなかったに違いない。
キャンディの黄金色が美しく飽きずに眺めていると、一番上に薄紙に包まれた物を見つけた。
すぐに引っ張り出す。ルナはためらわずに薄紙を床で広げた。
包まれていたのは、美しい色石のいくつも嵌まったブレスレットだった。
「ミレディ。本当のレディになったら贈り物をするよ」
オスカーの声がルナの耳に響く。
……どこで声はするの……?
すぐそこで。オスカーがいる。
「君の未来を守るのが僕じゃなくて残念だけれど。君はきっと君を守るナイトに出会える。神のご加護がありますように」
声のした方を振り向こうと勢いよく身体をひねる。
目の前が歪んで、ルナの視界が暗転した。




