幼女を抱くレオン・2
暗く何も映さないルナの灰色の瞳が、あの日以来全く使われていないであろう暖炉の内から、日が陰り薄暗くなりかけた室内へと向けられている。
レアード伯も、殺人のあった別荘など使う気にはならないだろう。ましてや押し入った賊は捕まっていない。
レオンは、ルナが口を開くのを辛抱強く待った。
幾度か口を開きかけては閉じ、ルナはようやく言葉を絞り出した。
「入ってきた男の人のズボンと靴しか見えなかったの 」
暖炉に隠れたルナの位置をオスカーがなおして、口に「溶けないキャンディ」を含ませたのだという。
それはオスカーが普段から小指にしていた指輪。ルナは「溶けるまで。オスカーがいいと言うまで、声を出さない・音を立てない」という約束を守った。
キャンディに味がない事を、訝しみながら。
男達がオスカーに大声で喚き続けても、オスカーは声ひとつ漏らさなかったと、ルナはレオンに、たどたどしく説明する。
「だから何が起きているのか、よくわからなかった」
ただ、嗅ぎ慣れない匂いが部屋に広がって、怖くなったのだと言う。
おそらく血の臭いだろう。
レオンは、ひとりで耐える四歳のルナを痛ましく思った。
そこに自分がいれば、事態は全く違っていたのに。
あり得ない事を言うことの愚かさは承知しているが、そう思わずにはいられない。
ルナが続ける。
要約すれば、「足音と共にドアが大きく開け放たれた。ママが悲鳴を上げて、階段を駆け降りた」ということだ。
レオンは想像する。
男達が、必死に逃げるメイドを、半ば楽しむように追いかける様を。まるで、若い雌鹿を追い詰める狩人のように容赦なく。
その時も、雷雨は続いていたはずだ。
そして、男達が出て行き静けさの戻った居間には、オスカーとルナが残された。
暖炉から出ようとするルナをオスカーの声が止めた。外が明るくなるまで、オスカーがルナを励まし続けたのだと、ルナは言う。
それが本当なのか、幼い子供が恐怖から作り出した幻聴なのかは、今となっては確認のしようもない。
これが、ルナの体験したあの夜の惨劇。
レオンとハリーが探し続けていた目撃者はメイドではなく、存在すら知られていなかった幼女であった。まだ全貌解明には程遠いが、この八年を思えば大した進歩だ。
レオンはいつの間にか詰めるようにしていた息を、意識して大きく吐いた。
ルナの暗い灰色に沈んだ眼は、目の前にいるレオンすら映さない。
―――もう充分だろう―――
レオンはルナに手を差し出した。
「おいで」
呼び掛けても、反応がない。
「ミレディ おいで。こんなところに、もういなくていい」
心に響くよう願いながら呼びかける。
「助けに来たんだ。オスカーのかわりに君を守ると約束する」
ルナの瞳が揺らいだ。
もう少しだ。
「もう、そんなところにいなくていい。一緒に行こう。怖い人はもういない」
細い指がすがるように伸びて、レオンの手をルナが握った。その手を引いて、レオンがしっかりとルナを抱き止める。
小刻みに震える身体が落ち着くように背中を撫でる。
「大丈夫だ、ミレディ。怖くない」
ハリーは、どうしている? 横目で確認すると、いつの間にかハリーの姿は消えていた。
先刻、暖炉にルナが潜り込む時にハリーの様子が気になり、レオンは振り返った。
ハリーの顔は血の気がなく、あの夜を追体験していることが見てとれた。
精神系の能力者は、感受性が強いと聞く。まして、ハリーは軍人ではなく外交官だ。レオン以上にショックは大きいだろうと察せられた。
血の臭いも、まざまざと感じ取っているのに違いない。
泣かないルナをかえって痛々しく感じながら、抵抗のない身体をそっと抱き上げ、レオンはハリーの元へと歩を進めた。
火が弱くなった。レオンが薪を焼べなおす。
ハリーとルナは、なかなか戻らない。
邸内で夜を明かすつもりだろうかとレオンが思い始めた頃、ルナがひとり先に戻ってきた。
目を閉じてレオンが動かずにいると、ルナはレオンが肩に掛けていた毛布を整えて巻きなおした。
その気配に「退行」が解けたのだと知る。
「連れて来て下さって。共にいてくださって、ありがとう」
眠っている―――とルナは思っている―――レオンに掛ける随分と大人びたルナの口調に、違和感を覚える。
ルナは何も気づかない様子で、小さくあくびをすると、すぐに寝息を立て始めた。




