アイアゲートとジャスパー・4
ジャスパーが宣告するのと、アイアゲートが自棄になって勢いよく振り返るのは同時だった。
肩が掴めるほどの距離まで詰めていたジャスパーは、一瞬目を見張りすぐに戻した。
あまり表情には出さないと言われる彼が今は上機嫌だと、アイアゲートには分かる。
楽しげな色の浮かぶ切れ長の目は、昔より目元が気持ち優しくなったような気がしないでもない。曇りのない片眼鏡も知的な魅力を引き立てている。
髪が一筋の乱れもなく整えられているのは以前のままだ。
アイアゲートは全身に目を走らせた。
スーツのボタンに公都一の老舗仕立屋の特徴が見て取れる。普段にこんな高級品を着るのは、有り余る財力がなくては無理だと思ったところで、ジャスパー・グレイは侯爵だったと思い出す。
ここまで驚くべき早さで来ている事から考えるに、今でも乗馬は欠かさず、スーツに包まれている体は昔のように鍛えられているはずだ。
観察されているのに無言のまま好きにさせてくれるジャスパーは、青年らしい尖りが消えて包容力が増したように感じられる。
「……見なければ良かったわ。やっぱり男盛りなんじゃないの」
悪態をついて、アイアゲートはまたくるりとジャスパーに背を向けた。
笑いを噛み殺しながらジャスパーが隣に立つ。肩が触れるほど近い。昔ならよくあった距離で嫌だと感じた事はない。
「不公平だわ。私は老醜をさらして、あなたはその余裕。私の顔を見て老けぶりに驚いていたでしょう? 今」
文句しか出てこない。驚いたのはバレているから今さら取り繕ってもムダよ、と釘を刺す。
「驚いたのは、あまりにあなたがそのままだったからですよ。化粧で『若造り』をした顔を見られると、ここまで楽しみにして来ましたが」
「失礼」と口にし、断る間も与えずにアイアゲートの頬を指の背で擦る。
「塗ってもいない。確かに『昨日別れたようだ』とは言えませんが、同じ歳にはとても思えませんね。若い兵の言うとおりでしたよ『歳の離れた妹』」
まだ笑っていると横目で睨めば、やはりジャスパーはまだ笑っていた。アイアゲートは肩の力を抜いた。
もういいか、と思う。一度顔を合わせれば諦めもついたところで深呼吸をひとつ。
「お花をありがとう、ジャスパー。でもどうして? 昨年までは何もしなかったのに」
「――レオンもお世話になっていますし、色々と」
声に今日初めて含みがある。ジャスパーはいつ気づいたのだろう。談笑する馬上の紳士から目を離さずに、口にする。
「薔薇の香りがしたでしょう。あなたが来たとき」
彼はバラの香りを好まない。本人が口にしたわけではないが。薔薇の香りと言えば大公家、侯爵家とはそれこそ「色々と」あるのだろう。
「ええ、強く香っていましたね。タイアン殿下が? いつから?」
贈り主の名を即座に言い当てられる。やはり花を届けにわざわざジャスパー本人が来たのは、大公家の薔薇が届いているかの確認の為だった。
「ここ三・四年ね。もちろん来るのは本人じゃないわ」
あなたと違ってと付け加え、バラの本数が年々増える事は伝えない。
細かい説明を求められても話すことは何もないけれど、聞かないジャスパーは「話せない」と解釈しているのかもしれない。
「香水をありがとうございます」
話を変えて几帳面に礼を言うジャスパーは、まだ何か言いたげだ。
「お気に召さなかった? 常に使うあなただから、あまり基本は変えずに大人っぽくしてもらったのだけど」
「香りはしっくりと来ました。瓶の中身ではなくラベルの刻印が『Ⅱ』から『Ⅲ』に変わった理由を」
そんなこと大した理由でもない。アイアゲートは横を見るついでに身体の向きを変え、背中を柵に預けた。お行儀は宜しくないが、楽ではある。
「アイアゲートの一番二番三番なの。初めて調香師と遊びながら作ったのが『A-Ⅰ』これは昔カミラの為に。そしてあなたの二番『A-Ⅱ』、久しぶりに作った今日のは三番目だから『A-Ⅲ』ルナのも作ったからそれが『Ⅳ』」
ジャスパーが深く頷いた。小さな疑問も放置しない性格なのだろうきっと。
「それにしても、まだ昔の香りを使ってくれているとは思わなかったわ。あの調香師がよく何も言わないわね」
調香レシピは店で管理されている。ジャスパーが立ち寄れば全く同じ物がいつでも用意されている。
「彼はよく理解していますから」
日々変化するなかで、常に選択を迫られる立場にジャスパーはいる。服や香水などはこれと決めてしまって、考える必要などないようにしているらしい、とアイアゲートは推察した。変えることが煩わしくすらあるのかもしれない。
……ひょっとして。
予告なく手を伸ばしたアイアゲートは、左手をジャスパーのジャケットの内側に滑り込ませてネクタイを掴んだ。そのまま裏を見る。
ネクタイは素人くささの抜けないタイピンで、下になる一枚だけがシャツに留められていた。この留め方なら外からは見えない。こうして引っくり返さなければ。
抵抗しないジャスパーが苦笑した。
「なかなかに乱暴ですね」
「これでも優しくしたつもりよ」
乱暴だと言われて、アイアゲートは声を無駄に甘くしてみた。
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カミラ、タイアン殿下は、しばらく登場しません
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