幼女を抱くレオン・1
静かに立ち上がったハリーが、しばしの後、ルナを追ってレイクサイド荘へと歩き出した。
密やかな足音を聴きつつ、ルナが動き出した時から寝たふりを続けていたレオンは、瞼を開いた。
ハリーが昼間のうちにルナに「仕掛けた」のか、ルナが自ら動き出したのか。
どちらにしても、ハリーがいれば滅多なことはない。
自分まで行く必要はない。
レオンは、今日あったことを思い出しながら、ふたりが戻るまで火の番をすることにした。
十二歳の女児を縦抱きにして階段を上がっても、全く支障はない。
レオンは、今日ほど己の「身体能力強化」という能力を便利だと思ったことはなかった。
―――これなら、一日中でも抱いていられる――
思ってから、口に出さなくて良かったと、前を歩くハリーの背中にチラリと目をやった。
こんなことを言ったらハリーは聞き逃さずに、「抱く」の意味を敢えて取り違えて、からかって来るに決まっている。
軽薄そうに見せるのを好むのがハリーだ。
階段が怖いのか、レオンに巻き付いたルナの腕にきゅっと力が入った。
「怖いか? ミレディ」
やさしく聞こえるよう心がけて声を出す。
抱き上げた時は目を閉じていたルナが、今はぼんやりと視点の定まらない様子で、邸内を眺めている。
「どうぞ」
ハリーが開けたドアから、レオンに大人しく抱かれるルナが室内に入る。
先ほど、「同調」を掛けるハリーを見おろしたのは、この部屋の窓だ。
「気のせいかもしれないけど……部屋全体から思念を感じるよ。大丈夫、嫌なものじゃない」
ハリーは見定めるように、四方に目を凝らした。
調書にある見取り図を繰り返し見たせいで、自分でも描けるほど内部は把握しているものの、実際に立ち入るのはレオンもハリーも今日が初めてだ。
レオンの肩が、とんとんと叩かれる。
そちらを向くと、ルナの人差し指が可愛らしくレオンの頬に刺さった。
「……!?」
「おりるの」
レオンの体を滑るようにして、ルナが床に降りた。
「ミレディ」
「ルナちゃん」
男ふたりが同時に呼びかける。
ルナは「ミレディ」と呼んだレオンに身体を向けた。
ハリーがさりげなく、入り口近くの壁際に下がる。
部屋で一番邪魔にならない、貴族と同席する際の従僕や侍女が控える位置だ。
「なあに?オスカーのお友達」
あどけないと言っていい口調で、ルナが小首を傾げる。
やはり幼児退行のままなのだと実感したレオンは、片膝をついてルナの右手を取り、少し低い位置からルナの顔を見上げた。
本来ならば、ここへ来る道中で聞こうと思っていたことだ。しかし、ルナは警戒心からか自ら話そうとはしなかった。
ルナとオスカーの関係もわからないままレイクサイド荘へ来てしまったが、当時の記憶のまま話を聞けるのならば、ハリーの採った方法もひとつの手だ、と納得した。
どうしても「精神操作」には、好感は持てずにいるが。
「夜にあったことを、順に教えてくれないか。話してくれたら、ミレディとオスカーの力になれる」
四歳のルナに理解出来るとも思えなかったが、怯えさせないよう気をつけて頼んでみる。
「いいわ」
抱っこ・と、レオンの立てた膝に乗るようにして首に両腕を回してくるルナを、安定する位置にずらして抱えながら立ち上がり、話し出すのを待った。
「夜はいつも……」
小さくてもよく通る声で、ルナが歌うように語り出す。
ハリーは―――と、立ち位置を確認すると、背筋を伸ばして緊張した姿勢を保ったまま視線だけで「任せる」と伝えて来た。
八年ぶりに事件が動き出した。
ルナ(精神年齢四歳)によれば、あの日、カウチに座って、オスカーに寝るまで絵本を読んでもらうところだったのだと言う。
直前に雷鳴が轟き、外が見たくなったルナは、オスカーにせがんで抱き上げてもらい、庭を見た。
言う通りに再現して、レオンは腕に抱いたルナと二人で庭を見下ろす。
今日の乾いた地面に、事件当夜の豪雨は想像し難い。
庭を見てもルナは雷に驚くばかりで、変わったものは何も目にしなかったが、オスカーはひゅっと息を呑んだ。
ルナは、そう説明した。
オスカーはおそらく、押し入ろうとする男達の姿を目にしたに違いない。
レオンは推測する。
その時点でオスカーは、逃げるという選択肢を棄てた。
雨の中、幼児を連れて逃げ切ることのできる確率は極めて低い。逃げるなら、ひとりだ。
ひとりであれば、オスカーなら可能だ。
任務を考えれば、そうすべきだった。しかし、オスカーはその道を棄てた。
メイドの連れた幼女の為に、だ。
それが他人の子だとしても、オスカーは見殺しになど出来なかったのだ。
レオンの知るオスカーは、そういう男だ。
ルナにまた指で頬を突っつかれて、レオンは沈んでいた思考から意識を引き上げた。
ルナは暖炉を指差している。
レオンは指で示された通りに、ルナをマントルピースに寄せてやった。
「オスカーが、この中にわたしを入れたの」
ちょいちょいと暖炉の右隅を指さす。
鉄製の前立ての後ろ、見た目より奥に広く取られた暖炉は、確かに子供が入っても見つけにくいだろうと思われた。
ルナがムズムズと動き、また床に降りる。
子供には重い前立てをレオンがよけてやると、ルナは暖炉の右隅へと、床に手足をついて這いながら移動し膝を抱えて座った。
レオンが立ったままでは、ルナの抱えられた膝しか見えない。
レオンは膝をついて、ルナの瞳を覗きこんだ。




