ルナ時々グレイス所によってハリー・3
「そんなことは、どうだっていい」
ハリーのいつもより少し低い声が、掠れている。
熱っぽいブラウンの瞳が、グレイスの唇を辿った。
込められた想いが伝わって、背筋がぞくりとする。
危険な香りがする!
「だめよ」
グレイスは腕の長さいっぱいに、ハリーを押し退けた。
「グレイス」
宥めるように名を呼び、グレイスの下唇をハリーの親指がなぞる。
本当は十二歳なのに、なんてことを。
グレイスは目眩がしそうだ。が、めまいなんて起こしたら、とんでもないことになるに決まっている。
それが何かは、わからないけれど。
「お願い、ハリー。堪えて」
親指から唇に伝わる刺激に耐えきれなくなり、唇からハリーの指先を剥がして、指先にひとつキスをした。
「これで、許して?」
ハリーを見上げると、ハリーは天井をふり仰いで大きく息を吐いた。
「馬鹿なの……? そんなことしたら、逆効果なのに。そこは十二なのか……」
グレイスが畳み掛ける。
「お願い。そろそろ身体を休めないと。明日ルナがかわいそうだわ」
「いいよ。グレイスがまた会ってくれるなら」
ハリーは譲らない。
気がつけば、指は恋人同士のように絡み合わされていた。
ハリーとの間にこんな絆を作ってよいものか。
否、どう考えてもよくない。
「グレイス、答えて。また、会える?」
断り文句を考えるうちに、額に唇を軽く押しあてられた。何てことをするのだろう。抗議しようにも、言葉が出て来ない。
「ボクは、すごく我慢してるんだよグレイス。一言でいいんだ。言って? 『また会いたい』って」
「……言うことが変わってきているわ……。さっきは、会って欲しいだったのに、今はわたくしが会いたいことになっている」
ハリーは、ふふっと笑った。
「バレちゃった?」
「誰だって気がつきますわよ」
とにかく、絡んだままの指が気になって仕方がない。特殊な能力で何か仕掛けている様子はないけれど、落ち着かないことはこの上もない。
「お願いグレイス。約束してくれないと、ボクはこの腕を解けそうにない」
絶対に、譲る気はないのだ。これでは埒があかない、と渋々うなずく。
「……熱烈ね。わかったわ。また会うわ」
「いつでも?」
「それはダメ。ルナが本来の精神だもの。わたくしに引き寄せてはいけないわ。……どうしても会いたい時だけにして」
これだけは譲らない。グレイスは瞳に力を込めた。
「他に聞きたいことは? 早く聞かないと時間切れよ」
無理に話を変えてみる。
実際、聞きたいことがあったらしいハリーは、すぐに切り替えた。
「オスカーの入手した証拠品については、何か知っている?」
それについては、先に話すべきだった。
「いえ。そこは何も覚えていないわ。そもそもオスカーの仕事がなにかも知らなかったもの」
さらに記憶をたどる。
「時々、泊まりで出掛けて帰ってこない日があった。戻ると、オスカーはひどく疲れていて。そんな日は、一日中側から離さなかったわ」
「『圧倒的にミレディが不足している』と言って」
ルナにとっても、温かく懐かしい記憶だ。
オスカーは本当に大切にしてくれた。思い出して微笑むと、なぜかハリーの顔がしかめられた。
「グレイス。君はボクを妬かせたいの? それとも今度は額じゃなくて、その唇を味わってもいい、と言ってるのかな?」
ここは、不機嫌になるところではなく、微笑ましいシーンなのに、どうして?
「どこからそんな発想になるの……一言もそんなことは言ってないわ……」
ずっと抱え込まれている腕からどうにか抜け出そうと、グレイスは話しながら身を捩る。
ハリーの力が少し緩んだところで、ほっとしていると、
「ふふっ。そんなことをしても、大した距離は取れないのにね」
からかう甘い声に、グレイスは敗北を悟った。
「おやすみのキスをしても?」
ハリーがグレイスの髪を一房取り上げ、これ見よがしに唇を寄せる。あまりのことに、くらくらした。
だって、本当は十二歳ですもの。これは……ないわ。
「それは駄目」
きっぱりと断る。
「いつ君にキスできる?」
更に熱心に言いつのる。
「言ったでしょう? わたくしはこの子の別人格。この子は年々わたくしになる。だから、将来、四年先か五年先か……もっと先かはわからないけれど……この子があなたを選べば、この子の唇は、あなたのものよ」
ついため息が出る。
ハリーは、意外に聞き分けが悪いようだ。
「グレイス。ボクが欲しいのは君だよ」
「でも、わたくしはルナで、切り離せないわ。ルナの選ぶ殿方が、私の選ぶ人よ」
ハリーの口角が下がる。
「ひどい事を言うね。君を抱き締める男に向かって」
離さないというように、腕に力が込められる。
これ以上されたら、潰れそうだ。
「ひどいのは、わかっているわ。でもルナは、これから成長していく。そして、あなたも変わって行くわ。先のことなんて、見通せないのよ。わかって、ハリー」
「それでもボクが欲しいのはグレイス、君だ。ルナちゃんがグレイスになるならボクは待つよ。その気持ちを疑わないで。グレイス」
何を言っても、今夜のハリーには無駄だろう。
ルナが十二歳だということも、頭から抜け落ちているに違いない。今夜はここまでだ。
「あなたの気持ちは、少しオスカーに似ていて怖いくらいだわ。あなたの気持ちを疑ったりはしないけれど……。今、ルナに必要なのは、レオンのような真っ当な愛情なのではないかしら……という気がしてきたわ」
グレイスがしかつめらしい顔を作ってみせると、ハリーは声を上げて笑った。
ルナが将来、誰の手を取るのかはわからない。
それでもグレイスがグレイスでいられる内は、ルナを助けてくれるハリーの気持ちを無下にはしたくない、と思う。
口にしたら、恐ろしいことになりそうで、絶対に言えないけれど。




