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ハリーの年末・2

 ハリーの実家は、リンデン領で一番栄えている町の中央広場から坂を登った場所にある。


 母方の祖父が農作物の加工所とその卸売業を営んでおり、ハリーの実家は祖父の持ち家を譲り受けたものだ。


 ハリーの父は子爵リンデン家の次男。セーラの父の弟にあたる。リンデン家は爵位はひとつしか持たない。長男以外は、どこかの爵位持ちのひとり娘に婿入りするか、それが叶わなければ平民になるしかない。


 ハリーの父は若き日に、リンデン領で当時一番勢いがあると言われた商会の長女と恋をした。そしていくつかあった条件の良い婿入りの話を断って、その娘――つまりハリーの母――と結婚した。


 貴族の娘ではなく平民の娘を選んだことで、領民の間でリンデン家の人気は高まり、また商会の規模も大きくなり領の繁栄に一役かっている。



 ハリーが実家に顔を出すのは一年ぶりだが、合間に父とは数度リンデン家の公都邸で会っている。それほど久しぶりという訳でもない。


 母はおっとりとした人柄で、いつも笑みを絶やさない。今日もハリーが子供の頃好きだった料理を幾皿も並べて歓迎してくれた。







――それにしても、することがない――

暖炉の火の赤々と燃える居間で、ハリーが退屈をもて余している所に父が入って来た。


「まだここにいたの? ハリーくん。何をしてるんだい?」


 ハリーと同じ焦げ茶色の髪と茶色の眼をした父は、最近額が少しずつ広くなりつつある。一人掛けの背もたれの高いソファーに座ったままで、ハリーはつい父の額を確認した。


 食卓で見た時は正面からで、前髪が下りていて分かりにくかったものの、下から斜めに見上げるとまた髪が僅かながら後退したように感じられる。


 髪の質と手入れのよさを誉められるハリーだが、それは危機感があるせいだと、また父の額の辺りを凝視した。


「どうかした? 父さんも座っていいかな」


 ハリーの横手、真横ではなく体は火の方に向きつつ斜めに顔が見える位置に置かれた一人掛けのソファーを、父が示す。


「もちろん。何をしているという訳でもなく……強いて言うなら火の番かな。たまに帰る実家は、することがないものだね」


率直なハリーの感想に父が笑った。


「もっと歳を取ると、ちょっと実家に寄っても、身の置き所が無くなるよ」


 それで父が実家に行きたがらないわけか。ハリーは納得する。もっと凄い理由があるのかと思っていたのだが、聞いてみればそんなものかもしれない。


「母さんは?」


父がここに居るなら、母は何をしているのだろう。


「もう寝ている。あの人は早寝早起きだからね」


 椅子の位置通りに座って、楽な姿勢で深く腰かけると、ハリーと父は首を捻らなければお互いの顔は見えない。


ふたり共そのまま暖炉の火を見詰める形で会話を続けた。


「そう言えば、父さん達は寝室が一緒だね」


 貴族の家は通常、主人の寝室、妻の寝室、子供部屋と全て別になっている。部屋数の多い富裕層もそれに倣い寝室を分けている夫妻が多いが、ハリーの両親は今もひとつベッドで休んでいる。


「そうだね。お互い分けようと言い出さないからね。母さんがベッドに入る時間は、私はまだ書斎にいるし、眠っている母さんの隣に寝るのも別に。眠ってしまえば、どこで寝ようと一緒だからね」


何気なく尋ねて返ってきた言葉が、全く予期せぬものでハリーは思わず横目で父を見た。


 いつもと変わらない様子の父は、くつろいだ姿勢でソファーに埋もれるようにしている。どうやら長居をするつもりらしい。


部屋に戻ってもどうせすることはない。ハリーは父を相手に暇を潰そうと決めた。


「仲がいいからだと思ってたよ」


「仲が良い……悪くはないねぇ。母さんは感情の薄い人だから、喧嘩になったこともないし、それを仲が良いと言うのならそうだね」


「『大恋愛の末に身分差を乗り越えて結婚した』と聞いてたけど。幾つもあったご令嬢との婿入りの縁談を、母さんの為に断ったんだって」


薄いというなら、今の父の反応こそ薄いだろう。


「そうか。ハリーくんもそう思ってたんだね。そんな好い話でもないけど……聞く?」


「今、聞きたくなってるよ。すごく」


ハリーが正直に言うと、父は口元だけを笑みの形にした。


「母さんは父親、つまり君のおじいさんに『どうにかしてリンデン家の次男をモノにしてこい』と言われていたんだよ。『妻でなくても妾でも何でも構わない、とにかく繋ぎをつけろ』とね。君のおじいさんは今でこそ好好爺ぶってるけど、若い頃はもっとギラギラしていてね」


ハリーは言葉に詰まった。あまりにも今夜の父の物言いは、普段と違って率直過ぎる。


「君のお母さんとは、領地内のパーティーでたまに顔を合わせたけれど、いつもこちらを窺って気の毒なくらいオドオドとしていたよ。とてもあの父親の娘とは思えなかったな」


 オドオドとしたところが、庇護欲をそそったのだろうか。それとも「あの強権を振りかざす父親から救い出さなければ」と正義の騎士のような心持ちになったのだろうか。いつも呑気なこの父が。


「で、父さんはそんな母さんを好きになった?」

気を取り直してハリーが茶化す。


「いや別に」

ハリーの言葉を父はあっさりと否定した。



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