専門外のお仕事ー心配する男
二人きりになり恐る恐るハリーに目をやると、ハリーは目元に険をにじませていた。
「上着、お借りしてしまってすみません」
シャツにベスト姿では寒いであろうハリーにまず謝ると、ハリーは着ているシャツの袖口辺りを気にする仕草をした。
「彼といる時、嬉しかったか楽しかったかしたよね」
「はい?」
よくわからない。そんな顔をしていただろうか。いつからハリーは見ていたのだろう。質問に戸惑うルナから目を離さないハリーの眉間に、シワが刻まれた。
「何かいいことがあったみたいに、幸せな気分になってたよね」
……告白はされたけれど、幸せな気分かと聞かれれば、場所と状況が「こんな風」であることもあり、そこまでではない。ひとつ心当たりがあるとすれば。
「パトリスさんから、ハリーさんの香りがしたせいでしょうか?」
よく知る香りで安心できた。ルナが微笑すれば、ハリーは信じられないという顔で、二度三度と瞬きをした。
「パトリスさんの上着から同じ香りがしたと思ったのですけれど、違いましたか?」
重ねて尋ねると、ハリーは「あぁ、もう」と言いながら、ルナの胸元を見つめる。視線のとまる位置からペンダントを気にしているのだと分かった。
「取り上げられることもないと思って。今もしています。シスターリリーがお守りのような物だとおっしゃったので。私のお守りだけど、ハリーさんにとってもお守りになるような事を」
難しくて仕組みはよく分からないけれども、それならば外さない。
今、読み取りにくい表情を浮かべているハリーの手首には、ペンダントと同じ色合いの紫水晶のカフスボタンが見える。きっと紫水晶には魔除け効果があるとか、幸運か訪れるなどと言われていて、よく使われるのだろう。
その上シスターリリーが「異能」で、ルナのペンダントには何か細工を施したのだと思われる。
「―――ルナちゃんは、ボクの香りに安心するの? 嬉しいって」
いつもより真剣な顔つきで聞くハリーが不思議だ。そんなの決まっている。
「はい。これでも、それなりに緊張していたのです。ハリーさんの香りがして、本当にもう大丈夫なんだなって安心しました」
つい思い出して笑顔になるルナにハリーが近づいた。無言でルナの着ている上着のボタンをとめていく。
「この香りを気に入ってくれたなら、同じ物を贈るよ。毎日つけて」
……メイドが良い香りを仕事中にまとうのは、問題がある。が、せっかくの好意を無下には出来ない。
「そんな高価な物を普段使いにはさすがにできません。でも頂けるのなら何か大切な事のある日に使わせて頂きます」
言ってから疑問が浮かぶ。
「でも、どうしてパトリスさんからハリーさんの香りが?」
「潜入していたから犯人側と紛らわしいって事で、着替えてもらったんだけど。背格好の近いボクの服を差し上げたからだよ」
だからキミの鼻は正しい。今日初めてハリーが笑顔を見せた。最近会えていなかった、久しぶりに見るハリーの笑顔だ。けれど、そのまま顔が固まる。
どうしたのだろう。いぶかしむルナに
「キミはボクが笑うと嬉しいの?」
ハリーがまた、いきなり脈絡の無いことを尋ねた。
今日のハリーはよく分からないが、パトリスの行動も唐突だった。作戦が成功して高揚した気持ちが、そうさせるのかもしれない。
返事を待つハリーに頷く。
「はい。ハリーさんが笑うと嬉しいです」
シスターリリーからは、ああ見えてハリーのようなタイプが厄介だから扱いには気をつけるように、と何故か物のような言い方で忠告を頂いている。
繊細なハリーが笑顔でいられれば、それに越したことはない。まだ困ったようにルナを見るハリーに聞いてみる。
「私が笑っていると、ハリーさんは嬉しくなりませんか?」
誰かの笑顔は誰かを幸せにするものだろう。黙りこくるハリーを今度はルナがじっと待った。
港から馬車で三十分離れているが、ここでもウミネコの鳴き声が聴こえる。今まで全く気にしていなかったけれど、空は繋がっているし、鳥は行きたい所へ行くのだ。当然のことかもしれない。
「―――なるよ。ボクも君が笑うと幸せな気分になる」
言ってハリーは、ルナの肩をふわりと軽く抱いた。ルナの頭を自分の肩へつけるようにして、小さな声でまるで打ち明けるように語る。
「君が緊張している間、どうやらボクはずっと君の心配をしていたらしい―――自分でもわかってなかったけど」
ありがとうございます、か。ご心配をおかけして済みませんと言うべきか。言葉選びに迷うルナに、今日一番柔らかな声音でハリーが口にした。
「何も言わなくていい。いいから……しばらくこのままで居させて」
そんなに心配をさせたとは知らなかった、と申し訳なく思うルナは「承知しました」と言いたいけれど、何も言わなくていいと言われたばかりだ。
ハリーの背中に手を回そうかと思いもする。けれど、そこまでの勇気が出ない。とりあえず、ハリーのベストの裾を軽く握ってみた。ルナの動きにハリーがピクリと反応する。
「無事で良かった―――お帰り」
「はい。ただいま戻りました」
ハリーの香りを強く感じながら、ルナはようやく作戦が終わったのだと実感した。




