ラベンダー祭ー黄色のかの花と秘密・2
しばらくお互いに無言で朝のひと時を共有する。
心惹かれる出来事に遭遇すると、ルナはいつも思う。「二度とない時間を過ごしている」と。ジャスミンの花はまた見ることがあるだろう。その時隣にアランがいることも、又あるかもしれない。
でも、レアール卿に教えられ香りを辿って見つけた満開の花のもと、言葉など必要ないくらいに満ち足りているのにどこか切ない時間は、きっとこの時だけだ。
シスターリリーの昔話を聞きながら、ふたりで涙が出るほど笑ったことがあった。何を話しても楽しくて仕方ない。
「こんな事は二度とないと思うくらいに楽しいです」ルナがそう言うと、シスターリリーは「子供らしくないけど。わかるわ」と頷いた。
「こんなに笑うことは、そうそうないものね」
同じ話を別の機会にしても、今日ほど楽しいとは限らないのよ。だからそんな幸せな時間に出会ったのなら、存分に楽しまなくてはね。言ってシスターは片目を瞑ってみせた。
「そんな素敵な時間をたくさん持って、お墓に入りたいわよね」シスターリリーはそうも言った。
シスターリリーを思い出すうちに、切なさがどこかへ消えたルナは、口を開いた。
「すみません。勝手に出て来てしまって」
「いや。書き置きもあったし、城内だ。まったく気にする必要はない」
書き置きを見て探しに来たにしては、追い付くのが早すぎる。ルナがドアを出るあたりでは、目が覚めていたのではないか。
疑って横顔を見上げると、伝わったかのようにアランが微笑した。
「おはよう」
「……おはようございます」
「で、どうしてここへ?」
当然の問いにルナは夢で見たことを、かいつまんで説明する。静かに耳を傾けていたアランは、ルナが話し終わっても口を開かなかった。
「少し頂いて帰っても差し支えないでしょうか」
どこが気に障ったのだろうと、心配になりながら伺いを立てる。
「気に入らないな」
ぼそりと漏れた言葉にルナは硬直した。
アランがゆっくりと体ごとルナに向き直る。
「昨夜、俺が会話を聴いたお二方のうちの一人がそのレアール卿だと思われるが、そう好感の持てる人物ではなかった」
言外に「お前と違って俺には」と聞こえる気がする。耳にした会話だけで疎まれるとは、レアール卿は誰と何を話していたのだろう。
「何より気に入らないのは、お前が花を持ち帰りたい理由が、どこかの男の為という点だ」
渡す相手がセドリックだと、分かっているのだろうか。執事長にはほぼバレていると感じるし、執事長が知っているのなら、アランも知っていておかしくはない。名をはっきりと口にしないのは、お互いが伯爵家令息であるという立場からか。
真っ直ぐに向けられる蒼い瞳は美し過ぎて、いつもルナを落ち着かない心持ちにさせる。
立ち込めるジャスミンの香りと相乗して視界が揺れるようで、思わず目を閉じ頭を軽く振ると、アランに肩を抱き寄せられた。
「自分でわかるか? ふらついている」
気遣わしげな声に「お腹が空いたせいかもしれません」とルナが、はしたなくも冗談めかして言えば、アランは笑った。
「俺もだ。―――わかった、この花は土産のひとつとして進呈しよう。ただ、お前が他の男に物をやるのは気に入らない」
「なぜ気に入らないのか」などとルナは聞かない。他にもそうい女性がいるとしても、ルナに好意を示しているのはわかる。本当におそれ多いことだけれど。
「腕の内に抱え込んで、断りようの無いお前に付け込んでいる自覚はある」
アランの好意に付け入っているのは自分のほうだ。ルナは小さく首を横に振った。
「女は秘密がある方が魅力的だと言うが、俺はお前を知りたい。花と引き換えに、一つお前の隠している事を教えてくれ」
思いがけない提案だった。おどろいて顔を上げる。
「そんなことでいいのですか?」
「ただし俺が納得するような『ひとつ』だ。発言は一度限り。俺が納得できないような小さな秘密だったら、今回この花は諦めろ。次の機会にしてくれ」
「よく考えるといい」と、先程までとは変わってアランは愉しげな顔をした。
「次の機会」が本当にあるのかはさておき、とルナは思案を始めた。秘密―――ママが行方不明なことか、瞳の紫を隠していることか、砦で初代アランと遭遇して会話までした事か。どれも口にするのは憚られた。
「迷うほどあるのだな。これは暴きがいがある」
ひとつを決めたルナは、いっそう楽しげにからかうアランから離れ、腕の長さ分距離を取った。見上げる瞳に力を込める。
「自信がありそうだな。聞こう」
こんな悪戯を企むような顔をする人だっただろうか。それすら魅力的で、余計に胸が落ち着かないけれど。ルナは一呼吸おいて口にした。
「私、十七歳に見えるよう振る舞っておりましたが、実はまだ十三です。未成年がメイドとして公式訪問に同行するのは多少の問題があるとして、公国黙認のもと詐称しておりました」
未成年の娼館勤めも、と付け加える。もちろん違法ではないが、成人しているのに越したことはない。
「ですので、このペンダントもそう言った意味合いで頂いたものではなく。アラン様がお気になさるようなことは、何一つありません。私、未成年なのですから」
だめ押しのように笑顔を添える。ロベールに押し倒された時と同じ笑顔になるように。
驚きすぎたのかもしれない。虚をつかれたように声の出ないアランに、ルナは小さな笑い声をあげた。「これはお花の持ち帰り決定ですね?」と。
さらに見開かれるアランの目。珍しいその表情も記憶してお土産にしよう。勝者の余裕を持ってルナは笑みを深めた。




