ラベンダー祭ーレアール卿・3
「ちい姫の体が透けてきたね。私の力ではここまでらしい」
穏やかに言われてルナが自分の手を見れば、透けた下に男性の肩が見えている。見たことのない光景に、なんとも不思議な心持ちになる。清月の騎士が消えた時と同じだ。
「教えてくれてありがとう、お花のこと」
消えない内にとルナは礼を口にした。
「どういたしまして。お役に立てて良かった」
返した男性は、続けてルナに話しかける。
「君の若君に、作業する時も細心の注意を払うようにと伝えてくれるかな? あと根から作る毒には匂いが無くていいんだけれど、無色だから保管に気を付けるようにと」
「分かったわ」
必ず伝えると、ルナは重々しくうなずいた。男性の強張っていた頬が少し緩む。
「最後に、精霊のようなちい姫にお願いがある。私に祝福を授けてくれないだろうか」
男性がルナにねだった。
「情けない話だけれど、これから先の事を考えると少し怖じ気づいていてね」
眉を少し下げ困ったような微笑を浮かべて、ルナを見ている。
「祝福を授ける」がどうする事だったかを思い出せない……だって今までそんなことをした事はないのだし。ルナは懸命に考える。
自分の「祝福」などが何かの役に立つとも思えない。それでもここで出来るお礼はそれくらいだ。
「神のご加護がありますように」
ルナは囁きながら男性の耳に唇を寄せた。
「ちい姫にはもう会えないのだろうね。私のところへ来てくれてありがとう。レアードはね、王国ではレアールなのだよ。君の示した未来は、私に自信をくれた」
レアール卿の笑みが深まり、ほとんど形のないルナの体は壊れ物を包むかのようにそっと抱かれている。
「離れたくないねぇ、小さなエステレイル様。ふふ。君を連れて城から落ち延びたい気になるよ。さぁ、お行き。私が君を手放せなくなる前に。流されて行けば迷わず戻れる」
レアール卿は、天に向かう形で両手を広げた。
「優しいところが、若君に似てるわ。若君は、おじ様みたいな『じゅじゅつし』になりたいのよ」
ルナの体がレアール卿の腕から離れ、キラキラとした光が一面に広がり瞬時に消えていく。
「それは光栄だ。彼の為に、どうあっても私は生き残らねばならないね」
聞こえてはいないだろう相手に話しかけるレアール卿に、もう笑みはなかった。
誰かが誤用して間違いを起こさぬよう、城を離れる前に「黄色のかの花――ジャスミン――」を燃やすつもりで、コルバン卿との会話の後に外へ出た。
まだ見ぬ世界から来たらしい魂と遭遇したのは、まさにその時だ。エステレイル姫の幼少時によく似た姿で、つい話し込んだ。
聞けば、子供らしく何でも教えてくれた。ある意味、ちい姫の方がエステレイル様より可愛らしかったかもしれない。
「どうやら私は生き残り、姫君の墓守りをするらしい」
レアール卿はそう口に出した。その未来はいっそ清々しくさえある。コルバン卿には言い切って見せたが、他に選択肢が無いわけではない。迷ってもいた。
砦は焼けていると聞いたのを思い出す。火を放つ準備はしている。しかしまだ放つと決定はしていなかった。これは放つ流れになるのだろう。
どの道を選んでも欠けることのない幸せ、という訳にはいかないが少しでもマシな方を選びたい。
「ちい姫」に祝福をもらった耳に触れる。「祝福」がよく分からなかったらしい彼女は、ペロリと小さな舌で舐めたのだ。――子犬のようだった――感触を思い出して浮かぶ笑みを堪えきれない。
まずはこれから焼きに行くつもりだった黄色のジャスミンは、そのままにしておく。
そして、ちい姫から大切なお友達を奪わない為にも、自分の命は大切にしよう。私の子孫であるらしいセドリックが生まれる為には、私が命を落とす訳にはいかないのだから。
ここからは、ひとつひとつの選択が結果を大きく左右することになる。重圧は今も感じているが、その時々の選択の積み重ねが、ちい姫と若君セドリックのいる世界に繋がるのならば。
きっと悩み迷ってするだろうここからの選択は、どれも間違いではないのだと思えた。
ちい姫は全く気にしていない様子だったが、ちい姫が迷い込んだのではなく、自分がちい姫を呼んでしまったのではないかと思うほど、これからの指針を与えてくれた。
事が成せたら王国から離反し、公国へと移籍するらしい。王国のレアール伯から公国のレアード伯か。いやレアード子爵。もしくはレアード候かもしれない。
「悪くない」にやりと笑う。
思い定めたレアール卿は、戸外への用は無くなったとばかりに、城内へと踵を返した。




