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ラベンダー祭ー当日・4

 伸びてくる手を避ける拍子に、ぐっと吐き気がこみ上げた。こんな所で粗相をするわけにはいかない。


 なぜこうも王国の方というのは、すぐ手が出るのだろう。こんな時なのにロベールを思い出す。あの時は服がほつれたが、今回は何がどうなるのだろうか。


などと、とりとめもなく考えながら、ルナは村長の孫娘を押し退けるように、(うずくま)った。階段上で不安定な体勢になった少女が、大きな声を上げる。


「ぶつからないでよ、落ちるところだったじゃないの」


 口元を押さえているのでなければ、耳を塞ぎたいほどの大声は、昼間歓声を浴びていた「エステレイル姫」と同じ少女とは、ルナにはとても思えない。


少女が何かしら言いかけた時。


「何を仰っているのかしら?」


 村長の孫娘よりまた一段、金属のように高い声が階上から降り注いだ。


「自分が掴みかかろうとして、避けられたからといって悪態をつくなんて、あり得ませんわ」


その高音美声。うずくまったままでも分かる。マルグリット嬢の声だ。


「大きな声がするから何事かと思って来てみましたら……そこの失礼極まりないあなた。情報が間違っていましてよ」


指摘したマルグリット嬢は、続けて高らかに宣言した。


「アラン様をお慕いしているのは、この私。王国はベルク伯の娘、マルグリット・ベルクですわ」

「アラン様に相手にされていない、というのも違いましてよ。とても紳士的な対応をして頂いておりますわ。今のところ、私と同じ思いを返してくださらないだけで」


 言って、まるで舞台女優の登場シーンのように―――ルナが見たのは旅回りの一座の芝居で、舞台は椿館だったけれど―――マルグリット嬢が階段を降りる。


 手摺に手をのせたまま座りこむルナのすぐ脇に立ったマルグリット嬢が、この上なく高く顎を上げて、少女を見下ろす。


「とにかく、アラン様の件は人違いもいいところですわ」


きっぱりと言い切り、勢いを失った相手に更にたたみかける。


「それに黙って聴いていれば、ひどく下品な事を口にしていらしたけれど。婚約を前提にお付き合いをはじめられたのは、アラン様でなく弟のシャルル様。こちらのご令嬢は」


言葉をとめてルナに目を移し、マルグリット嬢はまた視線を厳しくする。


「シャルル様のお相手のご友人でいらっしゃいましてよ。あなたの仰ったことは、全て間違いですわ」


ルナの言うべき事を全てマルグリット嬢が代わってくれた。


「あなた。妙な言い掛かりをつけて、公国からのお客様の体調を悪くさせるなんて。コルバン家のご迷惑を考えもしなかったのかしら? 正式に苦情を申し立てられたら、どう責任を取るおつもりなの? 取れるはずもございませんわね? 一介の村娘ごときが」


「本日のエステレイル姫」の(あざけ)りもかなりのものだったけれど「高音美声令嬢またの名を押し掛け令嬢」の罵倒は、その上をゆく。会話にもならず、もはや一方的だ。


 さすが階級差にうるさいだけあって、庶民に対して容赦がないとルナは感心した。実は自分も庶民であるとは、当然口にしない。ルナの元々の体調不良まで、村長の孫娘のせいになってしまったのは、申し訳ないとは思いつつ。


大きくなくてもよく響く声で、マルグリット嬢が追い打ちをかける。


「さあ謝罪なさい、今すぐに。受け入れるかどうかは、ご本人次第ですけれど」


 ルナは眼だけをあげて、一言も返さなくなった少女の様子を窺った。美しい彼女の顔は悔しげに歪んでいて、正視に絶えない。


 助けて頂いた自分が余計な事をしては、マルグリット嬢のお気持ちを無にするようで、心苦しくはある。そう気にしつつも、ルナが口を挟んだ。


「マルグリット様。お気持ちは大変ありがたいのですけれど、それくらいで。私はこの方の誤解が解ければ、それで構いませんので」


 そんな事より吐き気の方が耐え難い。もう階上へは行かずに真っ直ぐ部屋へ戻りたい、とはいくら何でも口には出来ない。


「いけませんわ」

ルナの申し出は、即座に却下された。


「こういった事は、その場で解決しておきませんと、後から言った言わないで拗れる元ですのよ」


 マルグリット嬢に、きっぱりと断られる。もはや三竦(さんすく)みの様相を呈しているが、ルナの見る限り、少女は意地でも謝らないだろうと思われた。


 働きの鈍い今のルナの頭では状況を変えようにも、打開策が見つかりそうにない。


「助けて。バルドーさん」

こんな所で呼んでも届くはずもないのに、つい声に出た。



「お待たせ致しました。お嬢様方」


 ルナの声に応じるかのように、階上の廊下から執事長バルドーの声がした。次いで姿を現す。


「デザートが揃いましたので、お声がけに参りました。このような場所で歓談なされずとも、テーブルへお越し下さい」


口角は多少上げられているが、小娘に有無は言わせない威圧感がある。


「マルグリット様、ルナ様には私がついておりますので、アラン様とご一緒ください」


口を開きかけたマルグリット嬢には、執事長が先に「お願い」をする。


「そういうことでしたら。後はお任せ致しますわ」


淑女らしく引いたマルグリット嬢は、ルナに軽く一礼し、美しいドレス捌きで階段を昇って行く。


「さて」


 マルグリット嬢をこの場から離した執事長は、ルナの隣、今までマルグリット嬢がいた位置に立ち、二・三段下にいる少女を見下ろした。



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