ラベンダー祭ー高音美声令嬢
「ごきげんよう、アラン様。お会いできて嬉しゅうございます」
天に突き抜けるが如く高い声が、玄関ホールに響いた。声楽でも習っているのかと思うほどに、良く通る美声。
ルナとヘザーが声のする方へと目を向けると、戸外からホールへと歩いて来るアランに、急ぎ足で寄って行く女性の姿があった。
「見て、ルナ。あんなにお早いのに、スカートの裾に乱れが少ないわ。さすが王国のご令嬢は、特別な技術をお持ちなのね」
心から感心した様子でヘザーが口にした。確かに、滑るように進む足元は、足首はおろか靴さえも見えない。
「見事にウェーブをかけた髪も、素晴らしいセットね。あの速さなのに一筋も揺れたりしないなんて」
女性の着ている濃いピンク色の華やかなデイドレスの背中を見れば、ドレスのウエストに結ばれたリボンはヒラヒラと浮いているのに、髪は板に張り付けたかのように、まとまったままだ。
大きく扇のように背中に広げられた豊かな髪は、金色というには濃い色で、均一にかかるはっきりとしたウェーブは、使用人の努力の賜物と思われる。
「しかもアラン様が、一瞬足を止めて方向を変えようとなされたのに、これ幸いと声を掛ける目敏さはさすがだわ。やはり、真のご令嬢はこうでなくてはならないのね。ルナ」
同意を求めるヘザーの顔には、称賛の気持ちが溢れているが、はたして同意していいものか。ルナは曖昧にうなずいた。
スカートと髪のウェーブはともかく、アラン様は迷惑気に眉を寄せられたようにお見受けしたけれど。とアランを見ようとすれば、ご令嬢の髪ばかりが目に入って仕方ない。
昨日は姿のなかったアランとの再会は、思わぬ形で果たされた。
「で、あの方はどなたなの? 私達より少しお姉さまに見えるけれど」
ニコニコとヘザーが問いかける。
「私が何でも知っているわけじゃないのよ。ヘザー」
ルナが万能だと思っているらしいヘザーに苦笑して、すっかり止まってしまっていた足を動かすよう促す。
どうせこれから、シャルルとお茶を飲みながら、今後の予定を相談するのだ。「シャルル様ならご存知だろう」と話はまとまり、ティールームへと向かった。
玄関ホールでお見かけした「高音美声令嬢」は、伯爵家のご令嬢マルグリット・ベルク様だった。アランより二つ年下の十九歳。
ルナ達が見た通り、わかりやすくアランに好意を寄せており、同格の家柄ということもあってアランも無下にはしていない。
王国の社交界では、アランを追いかけるマルグリット嬢の姿が、ここ一年ほど余興のひとつのように、皆様に楽しまれている。
アランの前には侯爵ソシュール家のご嫡男―――ルナが先回この城で一緒にワインを二本空けた仲のロベール、の兄上―――に片思いをし、行動が行き過ぎるとして、侯爵家より「接近をご遠慮願いたい」と、言い渡されたという。
その後マルグリット嬢はしばらく大人しかったものの、戦法を変えることなくアランに挑んでいる。とマルグリット嬢について、ここまで教えてくれたのは、シャルルではなく執事長コルバンだった。
口ごもるシャルルに、ヘザーが理由を聞けば、
「僕が説明すると言葉をどう選んでも、悪口のようになってしまいそうで」
と困り顔をした。
「お帰り願うことは、できないの?」
紅茶を口に運びながら、ヘザーがシャルルに問う。
「ベルク家から、当家の当主宛に『よしなに』と申し入れがございましたので、それは難しゅうございますね」
シャルルに代わり執事長が答えると、全員の視線がルナへと集まる。
「え……なに……」
求められる返答がわからない。とりあえず、真っ当そうな意見を述べることにする。
「ご挨拶させていただいて、せっかくのお祭なのだし、皆で出掛けたらいいのではないでしょうか」
拍子抜けしたようにヘザーがシャルルを見、シャルルは納得顔をし、執事長は表情を変えなかった。
「まぁ、そうよね。正しいわ、ルナ」
「そうですね。兄上が荒れそうですが」
「お持ち頂いたお酒は、皆様の滞在中に、アラン様おひとりで空にしてしまうでしょうね」
三者三様の意見が出る。三人の様子を見る限り、ルナには真っ当だと思われた発言は、求められたものとは違ったらしい。ルナは内心、小首を傾げた。
伯爵家の遠縁の娘、ルナ・レアードと名乗っても、所詮はメイドだ。ヘザーももちろんだけれど、もともと平民の自分は、今だけでも王国高位貴族ご令嬢と対等にお付き合いしたいなどと、大それた望みは抱いていない。
マルグリット・ベルク嬢を立てて、自分は控えめにしておけば問題はないだろうと、ルナは判断した。
ヘザーはマルグリット嬢について、何事か熱心に執事長に質問している。執事長はいつもの微笑を浮かべて、丁寧に説明している。それを見守るシャルルは、「余計な事は言うまい」と、言葉を挟むの自重しているようだ。
マルグリット嬢について知っておくべき事があれば、執事長が教えてくれると思われる。何も言われないと言うことは、このままでいいのだろう。
そう考えて、ルナは見事な焼き色のクッキーに手を伸ばした。




