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第7話 見るな

 「痛ああああ! ああああ! よくも、よくも殺してくれたな!」

 「お前が、お前がのうのうと生きているな! 死ね! 死ね!」

 「助けてくれ……助けてくれ……」

 「どうして、どうして俺なんだああ!」

 亡者が、このゲームの犠牲者が、追いかけてくる、必死に走っても足は普段のように動かない、水の中を、泥の中を走っているように進まない。部活で鍛え上げた自慢の足が全く思い通りにならない。血塗られて反り返った指が服の裾にかかる――。


 「っあぁ!」

 袴田蘭は跳び起きて、それが夢だと気づいた一瞬、安堵が押し寄せてきたが、目の前の光景は数日前から寝泊まりしている場所であった。このゲームに参加していること自体は決して夢ではなかった。


 「はぁー、はぁー……」

 袴田は胸に手を当てて深く、ゆっくりと呼吸する。

 (さっきのは夢。夢、夢だ)

 そうやって自分に暗示をかけて、時々息を飲み、ようやく落ち着いたところで袴田は汗をかいていることに気が付いた。


 下着の首元を少し引っ張ってその汗が思っている以上だと分かった袴田は、ベッドからゆっくり下りるとスマホを持って寝室を出た。


 (あ……、ジャージ……)

 ベッドサイドに畳んでおいた赤茶色のジャージは袴田がここに来たときに身に着けていたものである。袴田はそれを取りに戻ろうかと振り返ったが、意識は元来た道に向かわなかった。


 (どうせ、脱衣所に出てくるし)

 袴田は台所まで行くと冷蔵庫からペットボトルに入った水を取りだし、その半分ほどを一気に飲んだ。それから洗面所に向かい、下着を脱いで籠の中にポイ、ポイと入れ、風呂場の扉を開けた。袴田が「お湯」と書かれたボタンを押すと一瞬のうちにバスタブに湯が張られた。


 (あー……)

 袴田はその波打つことなくふわふわと湯気を放つ水面を勿体なさそうにちらりと見たが、シャワーのボタンを押して頭から少し温めのお湯を浴び始めた。しなやかなで均整の取れた肢体に水滴がその小麦色の表面を滑るように進み、あるものははじかれ、汗を連れ立っていくと、袴田は恐怖やあの夢も一緒に溶かされていくように感じた。


 一旦シャワーを止めた袴田は片手をアメニティの置かれている棚に伸ばした。そこには数に限りこそあれ見るからに最高級のアメニティが陳列されている。しかし、袴田は、以前「ににぉろふ」で呼び出していた自宅で使っていたシャンプーに手を伸ばすと、数回そのヘッドを押した。



 袴田が風呂場を出ると、足元にはいつの間にか柔らかい足ふきマットが敷かれていた。初めの日は驚いて転びそうになった袴田も、もう気にすることなく足を乗せて、ふかふかのバスタオルを手に取り、髪を拭き始めた。スマホの隣にはいつの間にかジャージや下着一式が丁寧に畳まれて用意されていた。



 ドライヤーで入念に、とは言えいつもに比べればずっと短時間で髪を乾かしてからようやく洗面所を出た袴田は、朝食のペレットと水をそれぞれ戸棚と冷蔵庫から出すとリビングへ向かい、備え付けの椅子に座った。そして、味気のない食事を始めた。


 (あまり美味しくないけれど……)

 ペレットは決してまずいわけではない。噛みごたえもフレーバーも栄養も申し分ないのである。しかし、ずっと同じ食感、同じ味というのに袴田はどうしても飽きを感じてしまう。もちろん他の料理を取り寄せれば良い話ではあるのだが、自分の立てる献立に自信がなく、いくつものペレットを取り出して少しずつ摘むことも気が乗らない。


 袴田は食事を終えると袋とペットボトルをゴミ箱に入れて、洗面所に向かい歯を磨き始めた。鏡にはひどくよどんだ顔をした袴田が歯ブラシを咥えて機械的に手を動かしていた。眠れないわけではない。心地よいベッド、静かな部屋、リラックスできる風呂……。食事の栄養バランスも申し分ないし、映画も本も音楽も、好きなものを楽しむことができる。強いて言えば体を存分に動かせる広い場所がないのと、後は日常のほとんど全て、特に人間関係から切り離されているだけである。身体的に、文化的に健康になろうと思えばいくらでもなることができる。


 それでも精神的に健康を保つことは、難しい。それは、このゲームで生き残るために極めて重要なことである。冷静な判断力、標的にされない自然な振る舞い、万が一の状況に陥ったときの説得力……。しかし、人が目の前で死ぬのを連日目の当たりにして全くの平然であることは、善いことなのだろうか。


 昨日までは、音と臭いをシャットアウトされて非現実的なやり方だった分、何かがマシだったのだろう。アングラな動画が巨大なスクリーンに映されている、そう思いこめば、まだ日常から離れずに済む。しかし、もう不可能だ。一度意識させられてしまったら誤魔化すことなどできない。


 袴田は口をゆすいでからリビングに行くと、先ほどの椅子に座ってスマホを操作し始めた。やがて、彼女は意を決すると、広間へ向かうのに「カードキー」を使った。自分たちが生き残るために、誰かに投票するために、つまり、誰かを犠牲にするために。




 外崎宗孝は自分の部屋で机に向かって「善きサマリア人の法と不真正不作為犯」という書物を読んでいた。彼はすでに大手企業に内定しており、卒論もほぼ終わっている。来春からいわゆる上流階級に入ることが決まっている勝ち組である。それも当然本人の努力あってこそのものである。まあ、それを良しとする土壌があったことも当然理由の内に入るが。


 彼はこのゲームに参加することとなったとき、不運だと思った。しかし、自分の部屋で落ち着いたところで不運だと嘆き続けるよりも、時間を有効に使おうと考えた。要は、他の人よりも50日、本来平等に有限であるはずの時間を手に入れることができたと考えたのである。


 何かを作って持ち出すことはできないが、ニニィによるとゲームが終わっても記憶は残る。環境も申し分ない。快適で、家事の必要もなく、欲しい文献はほとんど何でも入手できる。


 (知識を蓄えれば、時間を有効に使うことができる)

 外崎は文字を目で追いながら頭の中で自分に言い聞かせた。建設的かつ合理的に思われるこの考えは、何もそれだけが目的ではない。


 (怖い)

 ページをめくる外崎の手は小刻みに震えていた。この恐怖から一時でも逃れるために、彼は頭を小さく横に振ると、目の前のタブレットに集中し始める。幸いにも彼にとってその内容はすでに知っていることから始まっている。


 『善きサマリア人の法とは、窮地の人を救うための無償で善意の行為には、誠意をもって最善を尽くしたなら仮に失敗しても免責が認められるというものである』


 (無償で善意の行為……、例えば車をダメにすることになっても……仮に失敗した場合、免責が認められるためにはその補償を受けることができないのだろうか。さらには、助けたからと言って金一封が送られることも、表彰されることも、後々に容態が急変して亡くなった場合、『償』に該当するのだろうか)

 外崎は自分がバイスタンダー、偶然居合わせてしまった状況を想像する。日本では、バイスタンダーの処置による結果の責任を法的に問われる可能性は低い。つまり、絶対に0ではない。


 (何も評価されない。訴えられる可能性はある。弁護士が優秀なら黒にもなる。それに……コスト……、時間を、そのときの時間を失ってしまう)

 外崎は踏んだり蹴ったりな自分の姿を想像する。助けようとして失敗し、災害から逃げ遅れ、遺族から訴えられ、それが上級国民で、圧力がかかり、誰も自分のしたことを表立って正しいと言わない。親しかった人物が離れていく……。ネガティブに考えてしまうのはやはり、このゲームの影響だろう。とはいえ決してないとは言い切れない。


 (それでも……、何か、得るものは必ずある。……そう、僕の大事な人たちがそうなったときの練習、そう思えば、多分……)

 外崎はメリットをあれこれ想像する。タブレットから目が離れ、洒落た模様の壁紙が視界に入る。その一端から辿っていくうちに恐怖が頭を支配する。


 「怖い……、何が?」


 (誰かを選ぶこと? 選んだ人が犠牲者になること? 犠牲者が死ぬシーンを見せられること? それとも、自分と父が理不尽に死ぬこと? 死ぬ前の痛み?)


 外崎は文字に集中しようとページを一気にめくり、また読み始めた。


 『不真正不作為犯は、一般に次の要件を満たす場合に成立すると考えられる。1.法的な作為義務。2.作為の可能性・容易性。3.作為犯との同価値性。4.因果関係――』


 (作為の可能性・容易性……。できるのに何もしない……どこからができることになる? 曖昧だ。両極端は分かる……、容易性……、男だから、知っているから、1回講習を受けたから、お前なら簡単に決まっている。だから、やらなければ有罪。やっても、助からなければ有罪。それなら、必ず助けられるようにしておく? 無理だ。それならやはり、自分の能力を隠す方が絶対にいい。いつも大勢のいるところにいて、その他大勢、誰でもない、取るに足りない誰かになった方が安全だ。そうすれば、誰か、やるべき人間が選ばれる)

 外崎は壁紙の模様を目でなぞっていた。それは他の線と交差する前に途切れていた。


 やがて外崎はタブレットを机の上に残すと、「カードキー」を使って広間へと向かった。「透明な殺人鬼ゲーム」に参加して生き残り、何かの糧にするために。





 朝食を食べ終えて気合を入れた須貝が広間に入ったとき、そこにはすでに数人がいた。普段と違い、その全員が中央の白いブロック近くに集合している。不思議に思った須貝は、その人だかりを構成する中に子供と老人が混ざっているのを確認してから静かに近付いた。


 「これは……本当か?」

 「全然そんな感じに見えなかったし……」

 彼らはブロックの上に置かれた何かを見ている。声の調子からして決して良いものではないと須貝には分かったが、それが何かを当てることはできない。


 「あの、おはようございます」

 須貝がそっとその中の誰かに声をかけると、全員が大なり小なり驚いた反応をした。


 「ぁ、ぉはようございます」

 「おはよう」

 彼らの反応は日常からすれば少し不愛想に見える。しかし、このゲームの参加者はお互いを犠牲にする。具体的に誰が誰をと決まっていなくても、お互いに対する警戒心と後ろめたさはぬぐえない。


 「あ、どうかしたんですか?」

 それでも露骨に敵対しないのは、やはり生来の人間性と、そう振る舞うことがターゲットにされない最も大切なことであると分かっているのだろう。


 「あ、これなんですけど……」

 学生服を着た親切そうな男子、小野優太が少し下がって右にずれて場所を譲った。その隙間に須貝は入った。


 そこには、1枚のタブレットがスタンドと共に置かれていた。その画面には何かの動画が映し出されている。音声はないがこの広間を映したものであり、そこに仁多見と加藤の姿があることから、恐らく昨日の様子であると須貝は推測した。


 映像は編集されたものとは思えず、ただ何も起こることなく、強いて言えば松葉や福本が画面を横切ったくらいである。須貝の頭に疑問が湧いたが、すぐに解決した。


 (これ、近藤、さんが高橋さんを襲う前の映像だ)

 この後に起こったことを須貝は人伝手に聞いていた。突然錯乱した近藤が高橋を襲い、近くにいた宮本が庇って、替わりに殺される――そういうことであった。


 (なら、どうして集まっているの? 見たいから?)

 人が殺されるところをわざわざ見たいと思う人はいないというのが須貝の意見である。最も、すでにここにいる人たちは何度かその光景を目にしているが、決して自発的に見たわけではない。


 「この後……」

 後ろにいる小野の独り言が聞こえた。2度目の須貝の疑問もすぐにではないが、解決した。


 近藤が画面の右から現れた。その一歩ずつ進む先にはスマホを見ている高橋の姿がある。両者の距離が人一人分ほどになると、近藤がナイフを持った右腕を高くかざした。宮本はほんの少し前に立ち上がっていた。そして、ハッとした表情を取ると、高橋を押した。ナイフが宮本のシャツの裾を赤く染める。近藤が再びナイフを構えて、顔の向きが変わった。その目は血走り、むき出しになった歯は食いしばっている。そして、近藤のナイフが――。


 須貝がギュッと目をつぶるのと隣にいた妹尾が「やっぱりそうですね」と言うのは同時であった。恐る恐る目を開けた須貝は周りが一層硬い表情をしていることに気が付いた。


 「ほら、ここから……」

 妹尾がシークバーを触って少し前に巻き戻す。近藤の表情が映って、宮本が立ち上がろうとしている。近藤を押さえつけようとするにも逃げようとするにも見えるその動作は十分に間に合いそうであったが、刃は宮本の首を切り裂いた。何故ならば――。


 「高橋さん……」

 高橋が両腕で宮本の胸倉を掴み、その場に、つまり高橋と近藤の間にとどめていたからであった。


 その間に他の人たちも広間にやって来て、人だかりの方に集まっていた。須貝はその中の一人、田渕に場所を譲るとすぐにスマホを取り出した。そして「7SUP」を起動すると水鳥を選んだ。


 (でも、どうしよう?)

 不文律として、水鳥と個人的に余計な連絡を取ることは認められていない。見つかれば自分の身に危険が及ぶことは明らかである。


 (私、そんな頭よくないし……。どうせ後でみんな来るし……。究君も覚えておいて、って言ってたけど、連絡して、って言ってたか……分からないよ……)

 須貝がどうしようかと迷っていると、同じく誰かに場所を譲って集団から離れた北舛の姿が見えた。


 (あ、優香ちゃんだ。良かった。大学行ってるもんね。頭いいよね)

 須貝は北舛に責任を委ねることにして、そっと近づくと、北舛もまた須貝に気が付いた。両者は隣に聞こえないくらいの小声で話すために顔を近づけ合う。

 「ねえ、優香ちゃん、どうすればいいの? 究君に言う?」


 「え、分かんないよ。だって私、年下だよ?」

 北舛もまたどうするべきか判断に困っていた。正確に言えば、その手前の考えるということを行っていない。


 「え、だって、優香ちゃん大学行って、頭いいでしょ? 私、馬鹿だよ。ねえ、前の方に座っていたでしょ。究君がなんて言ってたか覚えてないの?」

 それとなく須貝は責任を押し付けだした。全く予想さえもできないのである。


 「でも、私だって、まだ働いてないし……」

 北舛の声が一層小さくなり出した。須貝はその目が充血して潤み、眉を寄せていることに気が付いた。


 (え? そんなキツかった? でも、私には分からないし……、どうしよう……)

 須貝は頭の中が真っ白になっていくのを感じた。北舛の微かなしゃくり声が大きくなり始めたら、何かトラブルを起こしているとみなされて、終わりだ。さらに水鳥を含む他のメンバーまでもいもづる式に選ばれていくか、あるいは切り離されるか……、後者の方がありうるだろう。


 「優香ちゃん、ごめんね。誰か来たら聞こ。私たちが勝手に決めちゃダメだもんね。ね?」

 須貝の下した判断は人任せにすることだった。自分にも分からないし北舛も頼りにならない、それなら今までそうやって生きてきたように、どうしようかとあわてふためいて、あるいはその振りをして、何もしないことに決めたのであった。


 「うん、ごめんね。そうだね。聞こう?」

 北舛もその考えに乗っかった。何故ならそうすれば自分は何もしなくてよいからである。


 2人は近くのブロックに腰掛けると、傍から見たら映像を見てショックを受けたような格好をして、ゲームが始まるのを待った。2人にとっては幸運なことに、少し後に水鳥本人が現れて颯爽とそこの人の輪に入っていった。





 広間は前日同様にざわついていた。その中心はやはり件の映像が流れるタブレットとそこに映る高橋であった。すでにどこからか連絡を受けた高橋は急き切って広間に現れ、それから半ば強制的に動画を確認させられると始め真っ青な顔をしていたが、動画が終わったときには顔全体が紅潮していた。そして、鼻孔を大きく開きながらタブレットを伏せた。


 「嘘よ……こんなの……。誰……? こんなことして……」

 高橋はそこに座って伏せこむ。近くにいた保育士の鰐部広美が、思わず高橋の肩を抱く。

 「大丈夫よ」

 ただ、その次の言葉はない。


 「嘘だって言うなら、証明できないのか?」

 橋爪隼が野球部のトレードマークである汗臭そうな坊主頭を突き出しながら声を張った。その目は彼女ではなくそれとなく水鳥の方に向けられている。


 「証明、って……、だって……やって、いないし……」

 高橋が下を向いたまま返事にもなっていない返事をした。証明するのは極めて難しいだろう。わざわざ高橋の方を同じ時間に撮っていた別の誰かがいて、その人が動画を提供する可能性はどちらも極めて低確率である。なぜなら、このままなら今日、高橋が選ばれれば、自分は助かるからである。従って、目撃者も期待できない。同じメンバーが見たと嘘をつくことも、この動画が本物なら道連れになるわけだから、あり得ない。第一、仮に動画が出てきたとして、そのどちらが事実なのか確かめる術は――ある。


 「ニニィ、この動画は実際にあったこと? 作り物?」

 マーメイドスカートが特徴的な細身の女性、鳥居升美がスマホに向かって話しかけた。広間の天井近くにモニターが何枚も、ブラウン管のスイッチを入れたときのような音を出して現れた。ニニィが画面の中で体を左右に揺らしている。


 『広間に置いてあるタブレット内の動画は事実?』

 そして、「ににぅらぐ」が起動したことを示すように画面の右方に質問がポップされた。

 「事実だよ」


 「違うよ……」

 高橋は顔を上げるとその周りを見渡してその表情を素早く窺いつつ、その中にいる水鳥を見つけると早口の小声で話し出した。

 「だって、あんなのの言うこと、嘘に決まってるでしょ……。私たちをさらったんだよ……」


 「本当だよ。あんなの、って感じ悪いなぁ」

 ニニィがムスッとしたように見えつつも余裕を感じる表情で返事をする。


 「じゃあ、誰がやったの、だって、こんなことするの、酷いじゃない……」


 「それは言えないよ」

 モニターの中のニニィは指でバツ印を作って口元を隠している。


 「そんなのおかしいよ、だって、不公平でしょ? だから、これは――」

 高橋がタブレットを指す。

 「嘘だよ……」


 ニニィの存在が謎であることはこの場の誰もが反対することのない共通の理解である。すでに全員が日常的に使っている技術を超越したものを目撃して、使用している。しかし、ニニィの言うことに嘘があったかというと、勿論それも証明のしようがないが、あからさまなものは現状、ない。


 「こういうときさ、GMの言葉は嘘じゃないってのが決まりごと、だよな?」

 野口が周りに聞こえるくらいの声で隣にいる三石に言うと、三石はニヤニヤと笑った。その言葉に疑問を持った二瓶が尋ねる。

 「GM?」


 「ゲームマスターの略だよ。このゲームを仕切るニニィが嘘をついたら、成り立たなくなるっしょ?」

 野口は髪を軽く撫でる程度に頭を掻くと、待っていたと言わんばかりに答えた。


 「ゲームっち、遊びじゃねえけん」

 田川が歯向かうように諫めた。「透明な殺人鬼ゲーム」と銘打ってはいるが、彼の言うこともまた事実である。ただ野口はこの横槍が気に入らなかったようで、「あーはいはい」と顔の向きを変えずに口から音を出した。


 「とにかく、そのニニィはGMなんですか?」

 間を持つように二瓶は尋ねる。彼女からしたら野口と田川がどうなろうが構わないはずなのに、どうしても目の前のギスギスした空気を緩和したかったようだ。


 「それが、分からないんだ。聞いても答えてくれないんだよ」

 野口は得意げに答えた。そこに、すでに事情を知った様子の吉野が悠然と現れた。


 「なんだ、まだ話し合いの時間じゃないのにどうしたんだい?」

 すぐに横幅の広い体を揺らして沼谷が近寄ると、「実はネ――」と始めから説明し出した。よく見ると何人かがスマホに文章を打ち込んでいる。メモを取っているのか、他のメンバーに実況しているのか、ともかく、彼らは話に加わるよりもここでのやりとりから次手を考える方を選んだらしい。


 沼谷の話を聞き終えた吉野はきっぱりと言い切った。

 「人の嫌がることはしない、それ以上の事じゃないか。それでニニィは嘘をついていないんだろう? 今までもそうだったじゃないか。ということは今日の投票先は高橋さんに決まり。そうだろう?」


 「ちょっと待ってよ! あれ、偽物なの! 誰かの仕業なの! 誰なの!」

 高橋は早口で声を荒げる。体を、特に前に出した手を大きく動かして色々な方向に顔を動かしている。そして、そこに水鳥がいることに気づいた高橋が、助けを乞おうと一歩前に進んだとき、声がした。高橋はその方向を無意識のうちに向いていた。


 「言い訳は後で聞けばいい。話し合うなら全員が揃う投票前だ。今言っても聞いても何にもならない。冷静になる時間が要る」

 影山が全体に向かって毅然と言っていた。高橋が元の方向を向いたとき、そこに水鳥の姿はなかった。


 大半にとって、高橋の行ったことが嘘か真かはどうでもよいことである。絡まれて巻き込まれる方が危険だ。勘の良いものはすぐに、そうでない者も、リーダーからの指示や、あるいはどんどん消えていく人影、あるいは高橋の形相を見て自分の部屋へと戻っていった。モニターも消えていた。





 人の噂に戸は立てられない。ほとんど全員が集合時間ぎりぎりに広間へ姿を現した。同じ場所に重なって出現しそうなものであると思う者もいるかもしれないが、そうしたことはなく、上手く分散しており、彼らは中央付近に置かれた歪な円状のブロック群に集合した。


 「はい、それでは全員集まったところで『透明な殺人鬼ゲーム』、4日目、開始! 投票は10分後! 始め!」

 薄暗い部屋の中、モニターが現れてニニィが開始を告げると、役目を果たしたモニターが消えた。


 「あの映像は嘘なの……、ねえ、みんな……信じてください……」

 開口一番、高橋は弱々しく、しかし聞き取ることのできる声で言うと、ゴクリとつばを飲み込み、よたよたと立ち上がった。


 (……)

 返答はない。高橋は車座になっている全員を見渡すと、その中の子供が固まっている辺りへ近づいていった。


 「本当なの……。誰か悪い人が、私を殺そうとして作ったのよ……。お願い、守って……」


 「では、彼女の意見に賛成の人はいませんか?」

 松葉が手を挙げてさぞ善意であるように言った。何人かは賛成云々の前に「お前が仕切るな」と言いたいはずであるが、ここで下手に声を出すことは危険なだけであると分かっている。影山、吉野、野口や時田は明らかに顔に出ている。


 (……)

 沈黙。高橋が浅く速い呼吸をしながらも、誰かが答えてくれるだろうと妙に落ち着いて顔を横に動かす。ほとんどの人が目を合わせないように下を向いている。


 (早く終わって……どっちでもいいよ……)

 柳原は必死で震えを押さえながら二瓶の隣で縮こまっていた。高橋が近づいただけで酸っぱいものがこみ上げてきていたのだから、早く自分の部屋に戻りたいと思うのも当然だ。彼女の思いは多くの人と同じである。情報の真偽はどうでもよいし、高橋がどうなろうがどうでも良いのである。自分が助かることに必死なのだから。


 「いないようなら、今日の投票先は高橋真弓さんに決まりでいいですね? では、次に決めることは……昨日の続きですね。全体が生き残るためには――」

 松葉がさらりと宣告して次の話題に移る。あっさりと終わらせた証拠に、松葉はすでに高橋を全く見ていない。


 「待てよ。高橋さんのことも聞くんじゃないのか? 全員の助けになるか?」

 時田が口を挟んだ。これは高橋の側に立って弁護しているのではない。単に、松葉の足を引っ張って意趣返しがしたいだけである。松葉はわずかに目を大きく開くと、薄い笑いのまま「僕はてっきりもう言ったものと……、では高橋さんどうぞ」と顔の向きを変えずに言った。


 「だって……、こんなのずるいでしょ? あの、私、何もやっていないのに……、だって、えっと、だって、女の子だよ? 怪我してるんだよ? 嘘、つけないよ。誰なの、出てきて! ねえ、出てきて偽物って言ってよ! あの、だって……助けて、究君!」

 ぎくしゃくとした身振り手振りを添えて高橋は喚く。最後に水鳥の名前が出ると広間は静まり返った。スッと優雅に水鳥が立ち上がる。高橋の目が輝き出す。


 「彼女が僕を頼ってくれたことは、とても嬉しいことだと思います。僕はテレビや映画に出ていますから、皆さんの中には始めから知ってくれていた方もいると思います」

 ゆっくりと、一言一言を言い聞かせるように、普段よりも少し低い声で水鳥は説明する。

 「ですから……」

 肘から先を体の前で軽やかに柔らかく動かしている。

 「彼女はきっと……」

 その指の動きに合わせて優しく顔を動かし、微笑んでいる。

 「無関係の僕を知り合いだと思ってしまったのでしょう」

 「はい、投票の時間になりました!」


 暗転。参加者が誰に票を入れるのか、判断材料は限られている。その中でそれぞれが役割を終えると参加者の目には元の広間が映っていた。


 「はい、今日の犠牲者は高橋真弓さんに決まりました!」





 高橋美帆の目の前で水鳥が悲しそうに口角を下げて覇気のない目でケースの中を見ていた。


 (かわいそう……、でも、やさしいのね……)

 変な人に絡まれて目立ち、ともすると死ぬかもしれなかったのに、その相手を助けられなかったことを悔やんでいる。高橋の描いた設定はそうであった。


 (あの人は……当然よね。いい気味よ)

 水鳥と同じ方に注意を移した高橋は心の中で暗く笑った。

 (同じ苗字で年も近そうなのに、あっちは幸せそうな格好して、いい服にきれいに染まった髪……、どこかのお嬢様でしょ。わたしなんて……)

 高橋は自分の着ている地元のスーパーマーケットの制服を嫌に思う。小さく付いた油染みは惣菜の並べ方が悪いとクレームを受けて、他の社員から注意を受けたときのことを思い出させる。


 ケースの中の高橋は何かこちらに叫んでいるが、聞こえない。叫んで、ふとピクッと屈んで、天井を見て、高橋の手が天井よりも低い位置で止まって、その天を叩いて、膝を床に着いて、叩いて、叩いて、横になって足を天に突っ張って、必死の形相で突っ張って、片方の股関節が外れて、顔を歪めて踏ん張りが解けて、なし崩しにもう一方の股関節も外れて、両腕を天に突っ張って、肘が曲がっていって、足がへし折れていって、肋骨が折れていって、顔が横を向いて、口から血の泡を吹いて、耳が天についた直後にイッ、と顔が潰れ、そのままグューっと一定速度でプレスされて、そこには赤黒い煮凝りのようなものが残っていた。


 「それでは、また明日っ」

 ニニィの声をきっかけにしてケースが床面に吸い込まれていった。またいつもの子が吐いている、と高橋は思いながらアプリの「カードキー」を使うと自分の部屋に戻っていった。



**



今日の犠牲者 高橋真弓

一番大事な人 母


 ニニィがアブる前は某女子大の文学部に通っていた、小金持ちのところの一人娘。1人暮らしをしているがアルバイトはしていない、勉学に全力を注いでいるわけでもない、自分のハマったものだけしか見えない人物。特技は他人の善意を掠め取って自分は動かず感謝をしないこと。全額仕送りをしてもらい、ずっと育ててくれた父親のことを「アノヒト」と教授や他のゼミ生の前で連呼して全員をドン引きさせたことがある。ちなみに(無職の)母親とも父親のことを「アノヒト」と呼び合っている。ニニィ的に信じられない。第一、ニニィに突っかかってくるなんていい根性しているよね。

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