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第3話 選ばれるな

 翌朝、柘植がスマホのアラームを切ると、まだそのスマホを置かないうちに瑞葉から入室申請が届いた。


 (まさか……)

 柘植は身を固くして部屋の隅に目だけを向ける。ぐるりと一周したところで、柘植は、瑞葉が独りで物を呼び出せないことを思い出した。前の日に実験に使った盗聴器や盗撮カメラは全て柘植が回収して消去していた。偶然だろうと思うことにした柘植は瑞葉に『30分後にして』と返事をして、すぐに返って来た返信を見てから前日に入りそびれていた風呂へと向かった。


 そこはごくありふれたサイズよりも二回りほど大きく、浴槽は足を伸ばして首まで漬かることができ、どこの会社のものかもわからないアメニティグッズが複数置かれている高級な浴室であり、「お湯」と書かれたボタンを押せば一瞬のうちにバスタブに湯がたまり、その栓を抜けば一瞬で乾燥して使用前の状態に戻る、大変にありがたい、しかし、不自然な場所である。柘植は前日に確認していたため、その不自然さを受け入れる余地ができていた。そして、使っているうちに、そこにあるどれもが極上品であるということを何も考えずとも気付かされた。


 柘植が風呂から上がりペレットを飲み込んでから瑞葉を呼ぶと、昨日よりも身なりを整えた彼女が嬉しそうに現れた。背中の中ほどまでの長い髪は多少なりとも毛先が揃っているし、爪もきれいに削られて、肌の艶も出てきて、ようやく地の姿が現れたようである。服は新しい清潔なものになっていたが、サイズだけはどうしようもなかったらしく、腕まくりをして、予め用意されていたベルトとサスペンダーで折って吊るして、それらしく丈を合わせている。靴下もそれらしく折り返して、靴はストラップシューズのように見えて、その胸元には昨日柘植が取り出したハーモニカが下がっている。


 『似合っていますか』

 瑞葉が予め書いてきたであろうメモを柘植に見せる。


 「ああ、うん。可愛いよ」

 柘植が無難な言葉をかけると瑞葉は嬉しそうにその場をくるくると回り、姿見を通り過ぎて、前の日に使っていたテーブルの元へと行き、そこで柘植の方を再び見た。


 「そうだな。その前に、ニニィに聞いてみようか」

 柘植は「ににぅらぐ」を起動して、「どうぞ」と後ろ手を組んでいるニニィの絵を確認してから『音声入力以外の物の出し方』と入力した。


 『ににぉろふの入力画面でスマホを横向きにして、下画面を上にスワイプしてね。キーボードが出てくるよ』

 簡単な操作だったことに柘植は意表を突かれた。瑞葉が試しに行うと、説明通りキーボードが現れた。瑞葉は「ににぉろふ」を閉じると柘植に向き直った。


 「ちょっと待ってくれないか、すでにされた質問のバックログだ」


 『死んだ人の一番大切な人はどうやって死ぬの?』

 『とっても苦しい死に方だよ』


 『このゲームが終わったら記憶は残るの?』

 『ゲーム中の記憶は残るよ。でも、参加者の事はお互いが覚えていたいと思わないと忘れちゃうよ』


 『ニニィって誰?』

 『ニニィはニニィだよ』


 「つまり、このゲームに関しての質問は全て共有されている」

 柘植は瑞葉に自分が思ったことを説明する。それは同時に、瑞葉を通して自分にも説明しているわけである。

 「だから、迂闊な質問はできない。瑞葉、使わないでとは言えないけれども気を付けるんだ」


 『つげさんがいいと言うまで使いません』

 メモ帳に書かれた文字は柘植をわずかに安心させた。何しろ、瑞葉が窮地に立てば、それは柘植が窮地に立ったのと同じだからだ。そして、その言葉の分、自分の責任は重大であると感じるようになっていた。


 「それじゃ、まず、瑞葉の「7SUP」を見せてくれないか。集団になろうとする人たちからメッセージが来ているはずだ。私のと合わせてみて、返事をどう返すか考えよう」





 笠原は朝食のご飯とみそ汁、それから青菜のお浸し、漬物を食べ終えて、熱いお茶を飲みながらスマホを見ていた。


 (そうか……、この子もか……)

 彼の元には自分と一緒に残ることを断る、丁寧な返事が返って来たばかりであった。彼の想像ではもう少し頼りにされると思っていた。


 「中学校の校長でも、か……」

 笠原の独り言の通り、彼は自分の素性を明かして、長年の経験で培った他人に分かりやすく説明する力を発揮して、メッセージを送ったはずだった。しかし、それでも、好意的な返事は見た目と服装から高校生以下だろうと分かる参加者の半数を下回っていた。


 『ごめんなさい……。水鳥さんが一緒にがんばろう、助けてくれるって言ってくれました』


 返事が来ているだけありがたいと思うべきだ、と笠原は思った。何せ返事が戻ってこないものもあるのだ。

 (それに……)

 笠原がスマホをタップする。


 「すみませんっ、遅くなりました……」

 そこに地味目な私服の二瓶有子が現れた。


 「ああ、大丈夫です。よく来てくれました。……長岡くんは、どうしています?」

 笠原は二瓶が面倒を見ていた小学生、長岡陸のことを気にかける。彼に笠原がメッセージを送ったとき、彼は草野の死を目の当たりにしたことでパニックになって、自分の部屋で動けなくなっていた。その面倒を見ていたのが一緒に部屋に入った二瓶であった。


 「泣き疲れて寝ちゃいました。起きたら連絡をくれるようにメモを残してきたんですけど、一回出たら入れなくなっちゃっていて……」


 「そうですか……。このスマホは私たちが知りえない技術でできているようですから……、彼が起きて出てくるまでは何もしてあげられないですね……」

 笠原がスマホの上部をつまみ、両面を交互に見ながら自嘲気味に呟いた。

 「それで……、二瓶さん、本当に良いのですか? 私たちと一緒で?」

 笠原の視線が真っすぐと、貫くように二瓶を捉える。二瓶は、たじろぎも、ためらいもせず、はっきりと、こう答えた。


 「はい」


 それから二瓶はその言葉だけでは不十分だったのかと何か早とちりをして、理由を話し始めた。

 「あの、私教員志望なんです、あっ、今は大学3年で、もともと困っている子供を見ると放っておけなくて、中学生のときにすごくいい先生に助けてもらって、それでその先生みたいになりたくて……」

 他に何を話せばと二瓶は考えて、言葉が上手く出てこなかった。彼女が笠原を不安そうに見ると、彼は似合わない、しかし本心からそうしていることが分かる笑顔を見せた。


 「ありがとう。ありがとうございます、二瓶さん」

 「頼りにしています。こんなゲーム……、やってはなりません、本当は。しかし、皆、生きたい、大切な人を死なせたくない……、それなら、私は子供たちを優先したい。綺麗事じゃない、自分が生きるのに、利用するも同じです。それでも、一緒になってやってくれるなら、全力で守りたいのです」


 「私も、そう思います」

 二瓶も笠原のこの偽りのない言葉に同意であった。同時に、彼女は自分もこういう先生になりたいと思った。


 「それで、今、私が連絡を取れた限りだと、私たちは全員で14人。小学4年生から高校2年生までと私たちです。これからみんなを集めて改めて説明するつもりです。返事が来ないのはもう別の人といることにしたからでしょう」


 「確かに、14だから、12人……。もっといましたから、そうですね……。全員じゃないんですね」


 「はい。残りの男子はどうも野口くんのところに、女子はほとんどが水鳥さんのところにいるようですね。……だからと言って、守らなくて良いとは思いません。ただ――」

 笠原は自分に強く言い聞かせた。

 「優先順位は付けなくてはなりません」





 「颯真クン、もっかい教えてくんね?」

 濱崎虎王はこんがらがっていた。野口は紙パックの紅茶を飲み終えると、周りに分からないように小さくため息をついた。


 そこには、野口を含め何人かの学生服を着崩した男子が車座になって椅子に座っていた。もっとも1人はどこかの会社の作業服であったが、その容貌は他とそう変わらない。


 「俺、フツーに説明下手だから、ワリに。じゃあもう一回ね。ルールの十のところに参加者が8割超えていないとゲームオーバーってあるじゃん? だから、100人のときは80人より多い、81人以上いないとダメなワケ」

 野口はここまでは流石に大丈夫だろうと聞き手をちらりと見る。

 「で、てことは、100ひく81が19だから、19人よりも多い、20人以上が欠席するとアウトになるのよ。20人いなかったら100ひく20で80人しかいなくなるじゃん?」


 「いや分かりやすいって、なあ、大希? 颯真クン天才じゃね?」

 濱崎は隣にいた森本大希の小さな肩に手を回すとがしりと掴んだ。

 「あ、はい。野口さん流石っす」


 「いや俺マジでフツーだから、テストいつも赤点ギリだし」

 野口は弁明するように小さく手を振りながら答えた。


 「逆にスゴクね? ギリ狙えんのスゴクね?」

 濱崎が変なところに食いつくと、野口は内心苛立ちながらも愛想よく振る舞って続けた。

 「いやフツーにダメで赤点取りまくるし。で、てことは100人のときに20人以上のグループがあったら、みんなで欠席するって言って脅せるじゃん。だからダメなのよ」


 「そこ、そこが分かんねぇんだよ。逆に俺たちが20人以上いればいいんじゃね?」


 「ホントに欠席したらマジで死ぬじゃん。だから実際はしないんだけど、てことは、脅した人たちってみんなの敵になるじゃん? みんなの敵ってことは順番に票入れられて全員死ぬのよ」


 「あー何となく、逆に他の奴らがそれしたらどうなるん?」


 「そこは、欠席した中の誰かしらを許して、出てきてもらえば、ほら、向こうも死にたくないじゃん? で、残りを順番に投票して、最後にそいつらを始末すればいいのよ」


 「うっわ、颯真クン策士じゃね?」

 濱崎は大袈裟なリアクションをとった。


 (あれ? さっきも言ったよな?)

 野口は頭のどこかに浮かんだその考えを自分が言い忘れたからだと解釈した。

 「いやマジフツーだから。だから、今99人で、8割が……79.2、だから80人いないとダメ、てことは19人までOK、20人以上はアウトってワケ」


 「あれ? てことはさぁ、人数減ってったらどうすんの?」


 (さっき言っただろ。……でも、自分で気づいたなら言うほどバカじゃないのか)

 野口は少し驚いた。

 「そこなんだよ。今19人で固まっても、どっかでアウトになるじゃん? そうすると周りからヤバいって思われて、順番に投票されるのよ。だから逆に早めに味方潰さないとなワケ。で、50人になるまで、てことは51人が最後じゃん? 51人の8割が……40.8、だから41人いないとダメで、11人以上がアウト、10人までがセーフ、俺らクリアしてるじゃん?」


 「……あー、俺らセーフ?」

 野口には濱崎の目が離れていくように見えた。そして、理解させることを諦めて、結論だけを伝えて、話を先に進めた。

 「そう、俺らセーフ。それで、今のままだと人数少ないからさ、フツーにやっても危ないじゃん? だから、何かヤバそうなグループとくっついて、数多く見せんのよ。で、いつもは自分たち以外に票入れて、数減らすときはそいつらが目立つから、そっちから狙われて俺ら全員生き残る、的な?」


 「マジスゲェよ、颯真クン、マジリスペクト、いやマジで」


 「誰が誰に入れたか分からないし、同じグループに入れても分からないし、俺らは俺らで守り合っていればいいのよ。つか、俺多分話しまくって目立つから守ってくれね? マジで俺らに入らないように頑張るから、的な?」


 「おっし、俺ら全員、颯真クン守るわ。ヤベェ作戦で俺らマジ助かったし、な?」

 野口には濱崎の目が離れたまま戻っていないのがよく分かった。しかし、自分のためになる存在なのだからと考えないことにした。


 「マジ助かる。だからこれからどっか探すのよ、それで朝早く集まったワケ」

 野口は朝早く、の辺りに意味を仄かに含ませた。

 「で、俺ら今、誘いあるじゃん? それ乗らねってこと」


野口たちは各自のスマホを取り出すと、それぞれの「7SUP」に届いているメッセージを吟味し始めた。

 (どうしてあんな簡単な説明が分からないんだろう? もう何度も)

 森本は思った。何せ大なりと大なりイコールの概念は、小学生の彼でも知っていることだからだった。





 (はいっ! ということでですね、今回はこのフリーゲーム『透明な殺人鬼ゲーム』をやっていきたいと思いまーす。いわゆるデスゲームものですねー、いやークリアできるかなー……なんて、ね)

 若林は初日に自分たちが倒れていた、明るく静かな広間を歩いていた。スマホの「カードキー」の行き先に追加されているのを見つけた彼は、前日に協力し合うことに決めた松葉アレックスと鷲尾彰逸に相談し、他のメンバーが策を考えている間に自分が広間を調べることにしたのである。


 昨夕の痕跡は話し合いのときに各々が動かした、歪な円状に並べられた大小の白いブロックだけである。そこは、何人もがそこで嘔吐したとは考えられないくらいに清潔で、臭いも全くない。無論、草野の死の痕跡もない。ともすると、草野という存在自体がなかったのではないかと若林が思うほど、何もない。ただし、若林がスマホの「投票箱」を見ると、しっかりと『草野一 1日目の犠牲者』と表示されていた。


 若林はそこを離れ、壁際を歩くことにした。もしかしたら、もしかしたら出口が見つかるかもしれない、ヒントになる物があるかもしれないという思いはほんの限られたものでしかなかった。目的は他のグループがすでに仕掛けているかもしれない何かを見つけることであった。


 白い無機質な壁を左手に付近の天井と床も含めて若林が確認していると、不意に後ろから物音がした。深夜の散歩中に肩を叩かれたときと同じくらいに驚いた若林は壁に背と両掌を付け、音のする方を見るとそこには彼以上に驚いている、「武藤電器店」と書かれた薄いベストを羽織った白髪の老爺、武藤宇佐見がいた。危害を加えられることはなさそうだと若林は判断して、武藤の方に近寄った。


 「あ、おはようございますー。朝早いですね」


 「ああ、おはよう。年寄りは朝が早くてね……」


 「……」

 会話は途切れた。長くても昨日出会ったばかりの人物、ともするとお互いを覚えていないか、「投票箱」で知った程度の仲である。ただの他人同士なら、もしかしたら、もう少し会話を弾ませることができたのだろう。しかし、このゲームの参加者、つまり、お互いに直接的ではないにしろ、殺し合いうる関係にあるのだから、無理もない。


 「……」

 さらに発言が相手の何かに触れてしまって、それが元でトラブルが生じたら、そのわだかまりを話し合いの席に運ばれたら、どちらかが死にうることは目に見えている。今日の犠牲者は、自分でなければ誰でもいいのだ。悪目立ちしたところに入れるのが人間心理だろう。


 この2人はどちらもどこにでもいそうな誰もが簡単にイメージできる人物で、所謂善人であるのだが、互いにその本性を知る由もない。武藤が円状に並べられたブロックの方へ向かったのを背に、若林は壁際へと戻り、再び調べ始めたが、結局何も見つからなかった。時々武藤のように現れた人物たちと当たり障りのない挨拶を交わしただけだった。





 太り気味の老婆、夏里花子は細顔の眼鏡をかけた老婆、御法川加代子と薄毛の目立つ老婆、江守ミツ子を自室に招いてお茶を飲んでいた。彼女たちは前の日の夜に知り合い、今日もお互いに顔を合わせた後で、話し相手欲しさに夏里が誘って、穏やかに見える一時を過ごしていた。


 「やー助かったわよネー。吉野サン、とっても頭がいいんだものー。言う通りにすれば他の人より助かりやすいんでしょ? ワタシ、こんなに難しいの一人じゃ大変だったわー」

 夏里がのんびりと言った。話題はこれ以外に考えられなかった。


 「ホントよねー、だってこんなのよく分からないし怖いじゃない。こうやってお茶とお饅頭が出てくるのはすごいけれど」

 御法川が相槌を打つ。彼女もまた同じことを考えていたからだ。


 「そうよねー、それに吉野サン、自分を守ってくれていたら、元の世界に戻った後で2000万円もくれるって言うじゃない? すごいわよねー。でもどうしてそんなにお金があるのかしら?」

 江守も相槌を打ちつつ、ほんの少し疑問、もしかしたら疑念の範疇にあるのかもしれないが、その思いを口にすると、夏里が「それ!」と言った顔をする。

 「彼女ネ、聞いたんだけど、どこかの県の大地主さんなんですってー。マンションも株もたくさん持っていて、まあーすごいんですって」


 「あらそうなの。すごいわねー」

 江守の疑問は消滅した。この情報源がどこにあるのかは考えない。同じ思考ルーチンを持つ者同士だけに分かる真偽の見分け方があるのだろう。


 「ホントにねー」


 「ホントよねー」


 そうして、彼女たちのお茶会はゆったりと過ぎていった。日差しがあって猫がいればいいのに、と御法川は思った。





 柘植と瑞葉が広間に入ると、そこにはすでに数十人がいて、円状のブロックに腰掛ける者から取り出したであろう椅子に座る者、壁際に寄りかかる者、何もない空間を歩く者、ひそひそ話をする者まで、様々であった。


 「すみません、名前、いいですか?」

 柘植が声をした方を向くと、そこには制服姿の品の良い痩せた女子、別宮純夏が立っていた。柘植は一瞬何かの怪しい勧誘を自然に連想したが、彼女の持っているクリップボードに名簿が挟まれているのを見て理解した。


 (不参加者の確認か……)

 柘植の視線に怯えつつも愛想よく振る舞おうとしている別宮を見た柘植は、彼女が誰かの指示でこれをしていると分かった。その背後には同じく不参加者を炙り出そうとしている松葉の姿があった。微笑みながら中年女性の相手をしている。柘植が別宮に視線を戻すと、彼女は精一杯の作り笑顔で固まっていた。


 「ああ、名前ですね、すみません」

 柘植は名簿を彼女から取って、自分と瑞葉の名前を探すとチェックを入れた。それから、手製の参加票を2枚、バインダーから外して、名簿を返した。

 「お疲れ様です。ありがとうございます」


 「あ、こちらこそ、ありがとうございます」

 別宮はようやく終わったとの思いにほっと一息つくと、次の相手を探し始めた。


 (チェックが入っていたのは、子供と男性、それも比較的柔和そうな者が殆どだった。残りの、つまり、女性と粗野に見える男性は、松葉が対応していることになる。私が声を掛けられたのは瑞葉が一緒だったからだろう……)


 「瑞葉」

 柘植は他の誰にも聞こえないようにそっと呟いた。

 「あの松葉という奴には気を付けるんだ」

 瑞葉は小さく頷いた。


 柘植と瑞葉は大人しそうな子供たちと笠原の近くに紛れるようにして座るとその時を待った。誰もが最低限の会話をすること以外、息を潜めて待った。重い空気が場を支配していた。





 「はい、じゃあ『透明な殺人鬼ゲーム』、2日目の始まりでーす。参加者は……なんと、全員でーす。10分後に投票が始まりまーす。よーい、スタート!」

 部屋が薄暗くなり、モニターが突然現れて、それから突然消えた。


 (リタイアした人は誰もいないのネ)

 スーツ姿の中年女性、福本絹子は思った。つまり全員が、積極的にしろ消極的にしろ、自分と、自分のもっとも大切な人の価値の和がそこにいる49人と、その人たちのもっとも大切な人たちの価値の和よりも大きいと判断したということだ。


 (誰を選べばいい……?)

 昨日よりもこざっぱりした身なりの老爺、ホームレスの田渕完治は判断基準の1つを失ったことに少なからず狼狽えた。彼は、欠席することが自動的に全滅のリスクを高めること、つまり自分を含めた全員に牙を剥くことと同義で、従って、犠牲者に選ばれても仕方がないことを知っていた。


 (誰か……、助けて……)

 昨日真っ先に嘔吐した渡辺は心の底からそう願った。それはつまり、誰か私が生きるために死んで、と言っているのと変わらないが、彼女は気がついていなかった。



 「……」

 誰も話さなかった。不用意に口にすれば、それはこのゲームに積極的であるとアピールすることと変わらないからだ。そうすれば、投票されるのは明白だ。緊張、恐怖、悲愴、ポーカーフェイス……、全員、違った顔をしている。


 「欠席者は本当にいなかったんだ?」

 野口が独り言のように、何となく誰かに問いかける。松葉がそれを受けて、バインダーに挟まった紙をめくる。

 「そうだね」



 「……」

 再び沈黙が訪れる。この沈黙は大半にとってはプラスにもマイナスにもならない。しかし、リーダーシップをとってグループをまとめる者、つまり、自分が思った通りにグループを動かした方が自分が生き残る可能性が高いと考える者にとっては、この膠着した状態は極めて都合が悪い。他の者がリーダーの元に集まっている理由は、そうすれば自分たちが生き残る可能性が高いと思っているから、自分たちの代弁者だからである。それが、ただ黙る何もできない無能と知れれば、立ち回りを失敗してしまえば、目立ってしまうにも関わらず、この先の守りの票が減る。


 「それじゃ……、何か全員にとって為になる話がある人はいるか?」

 機先を制したのは影山だった。ただし、この話題は投票先を決めるためのものではない。話の内容は何でもよく、要は誰と誰が繋がっているかを推察するためものものでしかない。


 水鳥は手を小さく軽やかに上げると、この場で適切と思われる答えを出した。

 「CDや本をリクエストすると、代わりに全部スマホに入るみたいですね。タブレットとヘッドホンには自動で接続して、使えるようになりましたよ」


 確かにそれはこれから生き残るうえで有益な情報だ、と多くが思う。精神を落ち着かせるものがあれば、気持ちをごまかすことができる。


 「自分の家にある物でも、同じ物を出すことができました。傷の位置が一緒でしたから」


 「部屋の壁紙を変えることもできたわ」


 「金塊は出てきたけれど、現金やその類は出なかったねぇ」


 「テレビやPCは出てきませんでした」


 「生き物も出てこないみたい」


 「食べ物は何でも出てくるな。どれもかなり美味かった」


 「服は出ないわネ」


 誰かが一言話すと、しん、と静まり返り、しばらくして、その音に耐えられなくなった誰かがまた一言話すと静まり返る。それが続いた。合いの手を入れる者がいないのは、変に障らないようにするのと、同じグループであると邪推されて投票先に選ばれうるからであろう。


 「はい、じゃあ投票の時間でーす」

 この沈黙を最後に破ったのはニニィだった。参加者の周りは暗転し、投票先についての相談が表面上は全く行われないまま、闇の中で、自分で決めたのか、予め裏で話し合っていた通りなのか、それともそれさえも表面上のことなのか、誰が誰に票を入れたのか、ともかく、全員の投票が終わった。参加者の視界が元の通りになった。


 「はーい、今日の犠牲者は青井拓斗さんに決まりました」




 ラーメン屋の店主をやっている老爺、酒瀬川喜一は安堵のあまり腰が抜けそうになったが、椅子に座っていたおかげで床に崩れ落ちるのを何とか阻止することができた。彼は、近くにいたどこか翳りのある少女が隣にいる男の袖を握っているのを目にした。それから、透明なケースに入れられた青井の姿が目に入った。


 「はい、じゃあ始めまーす」

 青井は訳が分からないといった顔をして唖然としている。がしかしすぐに、右腕のすぐ近くに平行な赤い線分が数本現れて、逃げるように体を逆の壁に押し付けると、その右袖が赤黒くにじみ出して、だんだんと赤い線分は近づいてきて、壁に張りついて、線分は右腕に食い込んで、反射的に動いた体を新たにできた何本もの線分が等間隔に切って、床に積み重なって、血飛沫が新たな線分を作って、ゆっくりと反対側の壁に消えて、青井の脳ブロックが頭蓋内腔から血のぬめりでするりと落ちた。


 酒瀬川は目の前で起こったことに頭が追い付かなかった。そして、何かからの拘束が解けたのを感じたすぐ後、1人が吐き始めたのをきっかけに、何人もが、昨日よりは少ない数だったが、吐き出した。


 「あー……。明日から名簿の名前の順番、別々にランダムにするね。みんなも部屋に戻ってね。ばいばい」

 そう言い残すとモニターは消えて、それから青井の入ったケースも床に埋まるようにして消えた。


 (ああ、なんてこと……)

 酒瀬川がその椅子から離れられずにいる間に、何人もがすでに広間から消え去っていた。彼を気にかける者はいなかった。そこに残った人数が簡単に数えられるくらいになるまで、彼はそうして椅子に乗っていた。それから、一番大事な人のことを理由に「カードキー」を使って自分の部屋へと帰っていった。



**



今日の犠牲者 青井拓斗

一番大事な人 妻


 五十音順に並べられた参加者名簿の一番上に名前があった。ニニィにアブられるまで派遣社員としてバイオ関係の会社を出入りしていた、ベテランのピペットマスター、いわゆるピペド。誰かと対立をすることもなく、自分の意見は控えめで、言われたことを黙々とこなすタイプ。奨学金で大学に通っていたため子供を育てる経済的余裕はない。彼は密かに試験の手際と正確さに自信を持って満足しているが、その作業が将来的に機械に置き換わった後のことから眼を背けているだけかもしれない。研究者としての知識成果人脈はなく、それなら今の仕事の頭脳労働を、と考えても今までと同じエキスパートが今までと同じ数程度いれば事足りるのだし、新しく雇うのはもっと勉強した人でいいわけだし。


いつも読んでくださってありがとうございます。

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(ノ・ω・)ノよろしくお願いします!ヾ(・ω・ヾ)

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